23.リッチvs吸血鬼
ヒュンッと風を切る音が聞こえる。
赤い糸のようなものがウィンガルの周辺に見えた。
いや、糸ではない。
ウィンガルの操る《赤い刃》は周辺を切り刻んでいく。
血液を魔力によって操作する吸血鬼の固有魔法――それは、ナリアを守る木の根にも及ぶ。
切り刻むというわけではないが、簡単に切れ目を入れる。
ほとんど予備動作もないまま、赤い刃はモーゼフへと襲いかかる。
だが、モーゼフはかわさない――この攻撃はかわす必要がないからだ。
ウィンガルの周辺では木の根が盛り上がり、それが鞭のようにしなる。
ウィンガルはその攻撃が当たる前に、赤い刃でそれを切り刻む。
吸血鬼の戦闘能力は本体の身体能力の高さもある。
そもそも、魔法の攻撃を当てること自体難しいとされ、モーゼフの攻撃では速度が足りていないように見えた。
ウィンガルは小さくため息をつく。
「拍子抜けだね」
「む?」
「もっと派手に戦うのかと思っていたが、この子達が気になるのかな?」
ちらりとナリアとエリシアの方をウィンガルは見る。
ナリアはまだ眠ったままだ。
エリシアの方は以前拘束されたまま動くこともできない。
モーゼフはそんな不利な状況でも、普段と変わらない声で答えた。
「ほっほっ、すでに終わっているようなものだからの」
その言葉に、ウィンガルが目を細める。
(強がりか――いや、この老人ならばそんな無意味なことは言わないだろう)
そういう自信がそれだけあるのだと、ウィンガルは考えた。
「私の眷属すべてを封印したことは誇るべきことだ。だが、私を同じと見ない方がいいよ」
今度は先ほどよりも速く、赤い刃がモーゼフに迫る。
モーゼフはそれを、上半身を反らして回避する。
パキキッと腰の骨が鳴った。
「むぅ、腰が……」
そう言ってのけぞりながらも、モーゼフは反撃に出る。
周辺の壁木がはがれると、それが槍のように変化してウィンガルの下へと迫る。
だが、それも無意味だった。
同じように切り刻まれてしまう。
「なるほど、見えてはいるようだ」
ウィンガルはにやりと笑う。
モーゼフが回避しない攻撃はあくまで自身にダメージが及ばない攻撃だけだ。
だが、それが自身の魂にダメージを与えるものであれば話は別だ。
魔力を強く込めたものであれば、リッチという魔導師にも攻撃を加えられる。
ウィンガルの身体が霧で包まれると、その姿が消えていく。
それと同時に、モーゼフの周囲に赤い結晶が構成されていく。
エリシアを捕らえているものと同じもの。
血液を凝固させたような塊がモーゼフへと襲い掛かる。
モーゼフに直撃する寸前――風によって作り出された防壁がそれを防ぐ。
「……っ」
モーゼフの視界に、苦痛に顔をゆがめるエリシアの姿が目に入る。
すぐさまモーゼフはそちらに向かって手をかざす。
細い木の根が上下から赤い結晶を押さえ込むように伸びていく。
赤い結晶がエリシアを締め付けていたが、それを魔法によって制止した。
だが――次の瞬間、胸の骨を砕きながら、ウィンガルの腕がモーゼフの身体から伸びる。
「はっはっ、やはり気になるようだね」
モーゼフの感覚に痛みが走った。
魂への直接的な攻撃――ウィンガルはモーゼフの魂へ攻撃が通せるほどに、魔力を纏って攻撃を仕掛けたのだ。
「使えるものはなんでも使うさ」
「モーゼフ、様……っ!」
つらそうな声でモーゼフの名をエリシアが呼ぶ。
モーゼフはそれを聞いて、軽く手をあげる。
(あまりエリシアに負担はかけられんの)
ウィンガルの腕を、モーゼフが掴む。
万力のような力で、ウィンガルの腕を締め上げる。
まるでダメージもないかのように、モーゼフは笑いながら答える。
「ほっほっ、それは戦い方としては正しいぞ」
カッと輝きが増すと共に、モーゼフの周辺で爆発が起こる。
爆風のあとに残されたのは、煙に包まれたモーゼフと、モーゼフを貫いたウィンガルの腕だけだ。
「危なかったよ、少し巻き込まれた」
わずかに爆風はあたったようだが、霧化することで攻撃を回避しているらしい。
腕を捨てる判断も迷いなく行える。
これが種族として上位と言われる吸血鬼だ。
「いやいや、なかなか良い反応をする」
「当然だよ。さて、仕切り直しというには聊かあなたの方がダメージは大きいようだ」
「おや、それはどうかの」
モーゼフの言葉を聞いて、ウィンガルは後ろを振り返る。
木の根によって守られていたナリアの姿が消えていた。
エリシアの方はまだ捕らえたままだ。
(……他に何かいるな?)
取り込んだ者の中に、隠れるのが上手い魔導師がいた。
おそらくそのあたりだろうが、取り込んだ以上結界からは出ることはないと放っておいた。
ここにきてその魔導師がやってきたということは、少なからず協力関係にはあるようだ。
「妹の方はあなたを殺した後でまた回収しよう。だが、姉の方はまだ僕の手中だ」
余裕を見せるウィンガルに対して、モーゼフもカタカタを骨を鳴らして笑う。
「二人に怪我を負わせてしまうかもしれないと思っておったから、少し様子を見ておったんじゃ――」
エリシアの周囲を、木々の根がさらに覆う。
エリシアが感じていた痛みも徐々に和らいでいった。
鎮静化の効果がある植物を操る地属性魔法。
本来は戦闘よりも怪我の癒しなどにモーゼフが扱っているものだったが、今はそれを防御だけでなく攻撃にも使用している。
鋭い槍のように、木の根がウィンガルの方へと向かう。
それをウィンガルは平然とかわした。
だが、かわした先で爆破が発生する。
「……っ!」
ウィンガルが体勢を崩して膝をつく。
すると、今度は地面が盛り上がり、針のように尖った岩がウィンガルを貫いていく。
およそ人の反応速度の数倍でそれを避けようとするが、今度は目に見える暴風がウィンガルを押しつぶす。
メキッという音を立てながら、地面へとウィンガルを押しつぶしていく。
「――」
ウィンガルは身体を霧化して回避しようとしたが、
(霧化……しないだと?)
風が無理やりウィンガルの身体を覆うことで、霧散しようとする身体を押さえつけた。
ウィンガルは削られながらも何とかそこから逃げだそうとする。
そんなウィンガルの上方に、巨大な熱量を帯びた球体が出現する。
「お、おおおおっ!?」
クンッとモーゼフが指で合図すると、それは音もなく落下する。
大きな熱量を持ったそれは周辺を水の膜で覆われながら、その空間内で小規模な爆発を起こした。
たった数秒の攻撃で、四属性の魔法による攻撃を仕掛けたモーゼフ。
エリシアもそれを見て息をのむ。
キメラと戦っていたときとは比べものにならなかった。
(これが、モーゼフ様の本気なの……?)
エリシアにはまだ、モーゼフの底までは分からない。
だが、それほどの攻撃を受けても、ウィンガルは再生をしながら立ちあがった。
「ははっ、大した連続攻撃だった。文字通り、死ぬかと思ったよ」
「ほっほっ、よく言うわ」
「そうだね、私の身体を削り切るかと思ったが、実際にはそうでもないようだ」
「そうじゃの。殺し切れるとは思っておらん」
「拍子抜け、というのは訂正しよう。けれど、それでも私の命には届かないようだ」
ウィンガルの生命力はすさまじく、それを倒すとなればさらに大がかりな魔法を必要とする。
このまま戦いが続けば、モーゼフの方が先に削りきられる可能性もあるだろう。
だが、モーゼフはウィンガルに向かって静かに答えた。
「お前さん、何か勘違いしとるようじゃの」
「……なに?」
「異常な再生力じゃ。お前さん達吸血鬼を殺すのは、ちと骨が折れるからの。骨身のわしにはつらい話じゃ。だから、封印させてもらうんじゃよ」
封印――ウィンガルの眷属もすべて同様に封印されてしまっている。
だが、それもウィンガルが警戒しないはずがない。
「はははっ、私を封印するレベルとなれば、よほど高度な魔法となるだろう。そんな隙を与えるつもりはないが?」
「だから言ったじゃろう。すでに終わっていると」
その言葉と同時に、ウィンガルの胸から赤い結晶が飛びだした。
ウィンガルの魔法ではない。
モーゼフが手に持っていたように、吸血鬼を封印した魔法だ。
「な、に? 封印の魔法を使う動作など――」
「身体の一部を使用した封印魔法は何よりも強力なものになる。そして、ある程度仕込んでおけば魔力をたたき込んでやるだけで発動するんじゃよ」
「まさか」
モーゼフの言葉に、ウィンガルは目を見開く。
ナリアの持っていた骨――あのときの一撃はただウィンガルの動きを一度止めるためだけのものではなかった。
体内にその封印のための仕込みを、骨の一部を残すためにやったことだったのだ。
かけた骨の一部を触媒に、封印の魔法が発動する。
ウィンガルは自身の身体から突き出た結晶に触れると、モーゼフを見てにやりと笑う。
「はははっ、どうやら私の負けのようだ」
「そのようじゃの」
「けれど、それを意味することが分かっているのかな?」
徐々に結晶が広がっていき、ウィンガルを覆っていく。
それでも、ウィンガルは言葉をとめない。
「あなたは私という吸血鬼を打倒した。《リッチ》であるあなたが、《吸血鬼》である私を打倒したのだ。ただの死人と言ったが、あなたはこれから吸血鬼にとっての脅威として認識されるだろう」
「ここでの戦いが広まれば、じゃがの」
「広まるさ。そして吸血鬼達は気付くだろう、あなたの存在に。そのとき、また会えることを楽しみにしているよ――ああ、残念だ、彼女達がどんな味をしているのか知りたかったね」
ウィンガルは笑いながら、最後にそう言った。
コロンと赤い結晶が床に転がる。
それと同時に、周囲を覆っていた霧が徐々に晴れていき、エリシアを捕らえていた結晶も砕け散った。
倒れそうになるエリシアを、モーゼフが支える。
「大丈夫かの?」
「はい……ごめん、なさい」
「謝る必要はない。むしろ、謝るのはわしの方じゃ」
エリシアを抱きかかえて、モーゼフはカタカタと骨を鳴らしながら言う。
「待たせてしまって、すまんかったの」
「そんなこと、ないです……っ。私のせいで……」
砕けてしまった胸元の部分を見て、エリシアは泣きだしてしまった。
モーゼフは少し困ったように笑う。
「心配せんでも、わしは一度死んだ身じゃ。この程度傷でもなんでもない。むしろ、これでお前さん達が助かるのなら安いもんじゃ」
エリシアを慰めようと声をかけたはずだったが、それでもエリシアは泣きやまない。
モーゼフはエリシアが泣きやむまで、優しく頭を撫でていた。




