21.吸血鬼
タタルの村を遠くから見渡すことができる丘がある。
その近辺で馬車は停車し、ギーグは《望遠筒》で村の様子をうかがっていた。
レンズを通して遠くのものを見ることができる道具だ。
「異常は、なさそうだが……」
村の様子を見るに、一人一人の様子まではうかがうことはできないが、普通に生活をしているように見える。
むしろ心配されるのは、村が普通であるにも拘らず戻ってこなかったということにあった。
(村で待機しているのか……? そうなる理由があるとすれば、むしろ道中に何か潜んでいるのか?)
伝書鳩も戻ってこなかったと考えると、この付近に何か危険な魔物が潜んでいる可能性も考えられた。
ギーグはすぐに仲間達へと伝える。
「村の方は特に問題なさそうだ」
「何だと? それじゃあ何で連絡係も戻ってこないんだ」
「ひょっとしたら、この付近に何か潜んでいるのを見て、村で待機しているのかもしれない」
「もしそうだとしたら、ここで待機している方が危険なんじゃないのか?」
そんなやり取りをエリシア達も聞いていた。
少なくとも村の方で何かあったというわけではないらしい。
モーゼフの姿を確認するまでは安心できないが、村の方は無事だというのでエリシアは安心していた。
「これから村にいくの?」
「そうみたいね。もうすぐモーゼフ様に会えるわ」
「ほんとっ?」
「ええ」
「やった! モーゼフもきっとさびしがってるから、早く行ってあげないと!」
「ふふっ、そうね」
ナリアは喜びの声をあげる。
エリシアはその様子を見てまた安心した。
村に行けばきっとモーゼフに会える――そう考えたからだ。
冒険者達はすぐに馬車を村へと向ける。
まずは戻ってこなかった連絡係やモーゼフの安否を確認することが先決だった。
《マウンテン・ホース》というこの馬車を引く馬の魔物は、名前の通り山に住む魔物だった。
非常に大人しい性格をしているが、その脚力はすさまじく、山の崖だろうと登り切ることができる。
《騎兵》にも使われることのある馬だが、山道でも安定した動きをすることができる。
時折、ガタリと馬車が揺れることはあるが、それでも静かな方だった。
その中でも、エリシアは弓を握ったまま離さない。
安心する気持ちはあっても、何が起こるかまだ分からないからだ。
「難しい顔してんな?」
そんなエリシアに、ギーグが声をかける。
「俺らじゃ頼りねえかもしれないけどよ。爺さんのところには必ず届けてやるからさ」
「いえ、皆さんには感謝しています。ナリアまで一緒に連れて行ってもらえて……」
「ははっ、まあ連れていくなら二人ともだろうと思ってよ。とりあえず村には危険がないみたいだし、まずはそこで爺さんがいるかどうか確認しよう」
「はいっ」
村まではそれほど時間はかからなかった。
やはり村の付近では人の出入りは見られず、村の外で何かあったのかもしれないと考える方が自然だった。
むしろ、ここまで何もなく来られたのは運がよかった――そんな風にエリシア達が思ったとき、急に周囲を深い霧が覆った。
マウンテン・ホースも慌てて足を止める。
手綱を握っていた冒険者が何とかそれをなだめた。
「な、何だ!? さっきまで晴れていたのに……急に霧が!?」
ざわつく冒険者達に、ナリアは不安そうにしてエリシアに抱きつく。
「おねえちゃん……なんかこわい」
「大丈夫よ。少し霧が濃くなっただけだから」
エリシアはそう言ってナリアを励ますが、内心では自身も怯えていた。
こんなふうに天候が変わるなんて、当然のことだがあり得ない。
異常な事態はやはり、村の外ではなく村の中で起こっていたのだと直感させた。
「一体何が――」
「起こったのか、普通はそう思うだろうね」
エリシアの言葉に重なるように、一人の男の声が耳に届いた。
驚いて振り返ろうとしたとき、エリシアの視界が暗転する。
「誰だ!?」
近くにいたギーグが一瞬、その人陰を見た。
だが、気づいたときにはすでにエリシアとナリアの姿がそこから消えてしまっていた。
「……!? 嬢ちゃん達は!?」
「おい! 何が起こってる!」
慌てふためく冒険者達。
この霧の中では、普通の人間はどうしようもすることはできなかった。
***
「……?」
瞼が重い。
エリシアはそう思いながらも、何とか目を開けた。
(ここは……?)
気がつくと、そこは建物の中だった。
曇ったステンドグラスと、女神を象った像が目に入る。
(教会……?)
よく見れば、長椅子がそちらに向かって並べられている。
そこが教会だということはすぐに分かったが、なぜここにいるのだろうか。
ギーグ達と村に入ってから、霧に包まれたところまでは覚えている。
「ナリア……? ナリアっ!」
すぐ近くに妹の姿がない。
だが、身体は思うように動いてくれなかった。
「なに、これ……」
赤い鉱石のようなものが、手足を覆うように貼り付いている。
それがエリシアの動きを封じていた。
「やあ、ようやく目を覚ましたようだね」
柱の陰から、一人の青年が姿を現した。
金色の髪に赤い瞳、そして青白い肌。
普通の人間ではない――むしろ、モーゼフに近い何かを感じさせた。
「あなた、は――」
その青年が抱えている人陰を見て、エリシアは目を見開いた。
「ナリアッ!」
ぐったりとして動かない状態で、青年に抱えられていた。
すぐにでもナリアのところへと向かいたいが、拘束がそれを許さない。
「はははっ、そんなに慌てなくても大丈夫だよ。少し眠っているだけさ」
「な、なんで……? まさか、この霧もあなたが?」
「そうだよ。わざわざこんなところまでやってきたのも、銀髪の珍しいエルフがいるって聞いたからさ。村みたいなところだって聞いていたから結界を張ったのに……僕としたことが間違えてしまったよ。きちんと話は聞かないとだめだね」
青年は話しながら、ゆっくりとエリシアの近くまで近寄っていく。
その目の前には台座が置かれていた。
青年はそこにナリアを下ろす。
「けど、君達自ら来てくれて嬉しいよ。手間が省けるとはこのことだね」
「どうして、私達を探していたの……?」
押しつぶされそうな不安感にさらされながらも、エリシアは青年から話を聞く。
この状況では、せめて話し合いをすることしかエリシアにはできなかったからだ。
そんなエリシアに対して、青年はにやりと笑いながら答えた。
「食事のためだよ」
「食事……? え、まさか――」
「ああ、私は《吸血鬼》だからね」
その言葉を聞いて、エリシアは背筋が凍った。
吸血鬼――物語の題材にもされることがあるほどの有名な魔族であり、その存在は高い戦闘力を誇るとも言われる。
その吸血鬼がこの村にいて、モーゼフは戻ってこなかった。
それが意味することも、すぐに理解してしまったからだ。
「私の名はウィンガル。ああ、君は名乗る必要はないよ。私は味が知りたいだけだからね」
青年――ウィンガルはナリアを再び抱きかかえる。
「ま、待って。何をするつもりなの……?」
「何、とはおかしなことを。言ったじゃないか、食事をすると。君が目覚めるのをわざわざ待っていたんだよ。シチュエーションというのは大事だからね」
口を開くと、牙ともいえる歯が見えた。
それがナリアへと向けられる。
エリシアは必死にナリアを助けようとしたが、それでも身体は動かない。
「待って! 妹には、ナリアには手を出さないでっ! 私の、私の血を全部あげるから……っ」
「ははっ、いい表情だ。だが、言われなくても君の血もすべて私のものだ。君はメインディッシュだからね。まずは妹の方からいただくとしよう!」
「ナリアっ!」
「神にでも祈りたまえ。そのためにわざわざ教会を選んだのだから」
エリシアの叫びにも、ウィンガルは聞く耳を持たない。
ナリアにより良い暮らしをさせるために、森から出てきたというのに、どうしてこんなことになってしまうのだろう。
ナリアだけは絶対に守る――そう誓ったはずなのに、エリシアにはどうすることもできなかった。
「いやっ! お願いだから! 妹だけは……っ」
そんな言葉が届くはずもなく、ナリアに対してウィンガルの牙が突き立てられる。
そのときだった。
「――」
白い尖った形状をしたものが、ウィンガルの口から頭部を貫く。
他にも三本――鋭い形状をしたものがウィンガルの身体をさらに貫いていく。
ナリアのカバンから出てきたそれは、紛れもなくモーゼフがナリアに渡していた骨であった。
それと同時に、教会の扉がゆっくりと開いた。
「ははっ、まさか、神では神でも《死神》がやってくるとは……」
ウィンガルは突き刺さった骨を抜き取りながら、ゆっくりと振り返る。
その視線の先には、ローブに身を包んだ白骨が立っていた。
「モーゼフ様っ」
その姿を見ただけで、エリシアはその名前を叫ぶ。
表情をうかがうことができないが、モーゼフはゆっくりと建物の中へと入ってきた。
「さて、君は何者かな」
「ほっほっ、ただの死人じゃよ。それ以上でもそれ以下でもない」
そう、モーゼフはカタカタと骨を鳴らしながら答えた。