15.宿屋の夜
魔導師が目指す先は様々だ。
ただ、魔導師として大成して歴史に名を残すことを目的とする者もいれば、魔法でも実現不可能とされる永遠の命というものを目指す者もいる。
最も近しい存在でいえばそれは《リッチ》のようなアンデッドであるが、これはもう人の道は外れてしまっている。
生きているのではなく、死んでいるのだから。
魂の在り処という考えでいけば、あるいはこれも一つの生命なのかもしれないが。
ただ、永遠を目指した多くの魔導師はリッチになることすらも叶わず、その生涯を終える。
限られた一部の者にのみ、辿りつける最も永遠に近い存在と言えた。
モーゼフは、自然に生まれたリッチという類稀なる存在だ。
それだけモーゼフの《大賢者》とまで言われた魔導師の実力が優れていたことの裏付けにもなる。
ある意味、こうしてリッチとして動いていることをただ情報としておさめていくのも価値があるのかもしれない。
リッチになってから眠ることのなくなったモーゼフは、夜はただ本を読んだり、外の月を眺めたりしている。
部屋の中では幻影魔法は使わない。
ローブとフードで姿を隠しただけで、アンデッドの最上位であるリッチの姿のままだ。
「明日は火を起こせるくらいにはなるかのぅ」
モーゼフは考えていたのはエリシアのことだった。
年齢としては遅く学び始めたといってもいいエリシアだが、彼女はどこまでも真面目だ。
それに、エルフという種族から見ればまだまだ子供。
十分に伸び代はあると言える。
同じように、幼いナリアについては高い成長性を感じられる。
自由奔放なところが、むしろナリアの成長の助けになっているのかもしれない。
もちろん、ただ魔法を教わっているだけでは生きていけない。
エリシアはここまで冒険者として稼ぐためにやってきたのだ。
簡単な依頼ならばすでにこなすこともできるだろうが、モーゼフはまずエリシアに合った魔法を覚えてもらってから、冒険者としての活動を始めてもらいたいと考えていた。
それまでは、モーゼフは《薬草取り》などといった簡単な依頼を朝方に一人でこなしていた。
モーゼフも冒険者としては素人であり、そのあたりも踏まえて自身でも学ぶところがあると感じている。
「明日も二人が起きる前に一つ、やってくるかの」
「……モーゼフ?」
そんなことを考えていると、ちらりとナリアが覗きこむように部屋に入ってきた。
エリシアとナリアは同じ部屋だが、モーゼフはその隣の部屋をとっている。
どちらもモーゼフが持っていたお金から支払っているため、エリシアはいずれ必ず払うと言っていた。
そんなことは気にしなくてもいい、とは言っているのだが。
「おや、どうした? ナリア」
「うん……」
いつもなら、エリシアの近くで安心しきったように眠っているナリアだったが、どうやら一人で起きてきたらしい。
ナリアはモーゼフの前までやってきて、ローブの裾を握った。
「モーゼフは、どこにも旅に出ない?」
ナリアはそんなことを言い始めた。
モーゼフは不思議そうに尋ねる。
「どうした、急にそんなこと」
「怖い夢を見たの。おかあさんが旅に出ていって、今度はモーゼフが旅に出ちゃう夢」
旅に出る――それはきっと、エリシアが説明していた死を意味する言葉だ。
ただ、ナリアにとってはある意味で別れのことを示している。
夢の中で、モーゼフがどこかへ行ってしまったということだろう。
「ほっほっ、それが心配でここに来たのか?」
「うん」
頷くナリアを、モーゼフは持ち上げて抱える。
いつものような元気はない。
どこか萎れてしまったナリアを、モーゼフは高く持ち上げた。
「心配することはない。わしはここにおるからの」
「うん……」
「わしは一度旅に出て、まだ戻ってきたんじゃ。だからリッチなんじゃよ?」
「そうなると『ゆーふく』になれるの?」
「ほっほっ、そうとも言い切れんな。実を言うとな、『ゆーふく』とはただリッチになれば得られるというわけじゃないんじゃよ」
「えぇ、そうなの?」
「うむ。それはきっと人によって違うモノじゃ。けれど、ナリアならきっと見つけることができる」
「できるかな……?」
心配そうにモーゼフを見るナリアに、モーゼフは裾からまた白い欠片を取り出す。
「ほっほっ、わしが保証しよう。今はわしの『ゆーふく』を分けてあげよう」
「……うんっ、ありがと」
ナリアはそれを受け取って、強く握りしめる。
モーゼフはナリアの頭を優しく撫でると、
「さあ、おねえちゃんのところで休みなさい」
「……今日はモーゼフのところがいい」
「ほっほっ、そうか。それじゃあ、明かりを消すから横になるんじゃ」
「うん……」
ナリアをベッドに寝かせると、モーゼフは一つの本を取り出した。
それはいつも読んでいるような魔導書ではない。
「何のご本?」
「ほっほっ、ある魔導師のお話を聞かせてあげよう」
モーゼフはそう言って、静かにその本の内容を読み聞かせた。
――その魔導師は、若くして《賢者》と呼ばれる男であった。
一国に仕える魔導師として、戦場をかけることもあった。
彼のことをやがて人々は英雄と呼び、《賢者》から《大賢者》と呼ばれるようになった。
あるときは国を滅ぼそうとする竜と戦い、またある時は敵対する魔導師との戦いに挑む。
彼はどこまでも充実した日々を送っていると感じていた。
そんな彼にも終わりの日はやってくる。
きっと、それは誰にでも平等に訪れるものだった。
彼は満足していた。
終わりは誰にでもやってくるものだと。
彼は旅に出た。
また、新しい人生を生きるために。
けれど、彼は戻ってきた。
彼にはまだ、やることがあったからだ――
「その魔導師さんのやることって?」
「さて、なんじゃろうな。ナリアはどう思う?」
「うーん、魔導師さんのやりたいことをやったらいいと思うっ」
「……ほっほっ、そうか。ならば、きっとその魔導師の願いは叶っているのかもしれないな」
「それならよかったっ!」
ナリアは笑顔で答える。
モーゼフはまた、別の話を聞かせてやる。
しばらくすると、ナリアは静かに寝息を立て始めた。
モーゼフはナリアを抱えて、エリシアの横に寝かせてやる。
穏やかな表情で眠るナリアを見て、今度は怖い夢を見ることがないだろうとモーゼフは安心した。




