104.結界魔法
エリシアはウェルフの下に残って、魔法の練習をすることになった。
エリシアにとってはウェルフは《吸血鬼》のとき助けてくれた恩人であり、さらに魔法まで教えてくれるありがたい人物となっているが、ウェルフ本人はひたすらに否定している。
実際、ウェルフが今までにやってきた悪行をエリシアが知らないだけだった。
「私の作業も一段落した。それではまず、結界魔法がどういうものか教えようか」
「はい、お願いします」
真剣な表情で聞くエリシアに対して、少し気まずそうな表情のウェルフ。
魔法を他人に教えるというのも久しぶりだが、エリシアがウェルフの想像を超えて真面目だった。
ふぅ、とウェルフは小さくため息をつく。
「あー、その、なんだ。まず肩の力は抜くことだ。何をするにも真面目っていうのは評価に値するが」
「あ、ご、ごめんなさいっ」
「いや、私の方が疲――何でもない。とにかく話を進めよう」
ウェルフはそう言うと、魔力によって一枚の壁を作り出した。
とても薄い魔力の壁は、エリシアでも破壊できそうなくらいだ。
「まあ、見ての通りこの壁の強度は低い。魔力を薄く壁のようにしているだけだ。こういうことはすでにできるかな?」
「い、一応は……矢を魔力で象る形ですが」
「なるほど、剣や矢というのはイメージしやすいからな。逆に、壁というのは一概には言えない。王城の壁、家の壁、岩壁――どれもこういうものは当てはまらない。まあ、ガラスをイメージするものだ」
「ガラス、ですか」
「ああ、そして次だ」
ウェルフはそのまま、自身の周囲に魔力の壁を展開していく。
ウェルフを囲った薄い壁四枚――丁度ウェルフが一人入れるくらいの狭さだ。
「これで《結界》と呼ばれる部分は完成だ」
「え、これで……?」
エリシアが驚きの声を上げる。
それは、エリシアが今までに見てきたものからは想像できないものだった。
今もウェルフの作り出した結界の中にいるはず――それなのに、ウェルフの作り出したのは言い換えれば人が入れるだけの小さな箱だ。
「驚く気持ちも分かる。私の姿がまだ見えているからな」
「は、はい。しっかりと……」
「ここで必要なのは《幻覚》や《精神干渉》といったより高度な魔法になる――」
ウェルフがそう言うと、目の前にいたウェルフの姿がパッと消える。
それは、突然のことだった。
「え!? 消えて……」
「ああ、私はここにいるが。試しに私のいたところに来てみるといい」
ウェルフに促され、エリシアはウェルフのいたところに立つ。
だが、そこに壁も何もなく、ただぽつんとエリシアが立っているだけになってしまう。
(移動された……? 足音は聞こえなかったけれど……)
エリシアの耳は良い方だ。
ましてや目の前の、それも森の中でエリシアが気付かないことはない。
違う方角から、ウェルフの声が聞こえる。
「そこは私の立っていた場所ではないよ」
「え!?」
ウェルフの言葉にエリシアは驚く。
真っ直ぐウェルフのところへ進んだつもりだった。
そこで、ウェルフの姿が再び露になる。
「例えば幻覚――真っ直ぐ進んでいるつもりでも、別の場所に誘導することは簡単だ。あるいは精神干渉――これは、何となく行きたくないという気持ちを持たせるだけでいい。それだけで、人も魔物も寄らなくなる。合わせて《結界魔法》と呼ぶんだ」
「こ、これが……」
エリシアは知らず知らずのうちに、違う場所に誘導されていたという。
エリシア自身もまったく気付くことはできなかった。
「場所によっては幻覚は使いにくいこともある。だから合わせて使うのが主流かな。元々、結界の壁をカモフラージュするのに必要だけどね。結界魔法と言っても単純でないことは理解できたか?」
「は、はい……正直難しそう――で、でも頑張ります」
「ああ、ここで諦めるようならそもそも魔法に向いていない」
思わず本音をこぼしそうになったエリシアだったが、すぐにやる気を見せた。
必要なのは魔力の壁と、幻覚――そして、精神干渉。
エリシアが使ってきた魔法とはまるで方向性の異なるものだ。
矢を魔力で具現化するだけでも相当な集中力を必要とするが、こちらは同時に三種類の魔法を複合させている。
モーゼフがエリシアにとってまだ早いと考えるのも頷ける話だった。
パリン、とウェルフが魔法の壁を砕いて出てくる。
「私の結界はそれらを複合して広く作っている。今まで見つかったこともなかったのだが――あの爺さんとさっきの子、か。正直少し自信なくなりそうだ」
大体爺さんに見つかってからというもの、のウェルフがぶつぶつと言葉を続けていた。
エリシアは慌ててフォローするように言う。
「そ、そんなことないです! 私なんか全然気付けなくて……」
「ああ、慰めてもらおうと思ったわけじゃない。爺さんが別格なのは知っているし、あの子はよく分からないが……まああの態度から見て相当な実力者なのだろう」
態度だけであれば誰に対しても少し偉そうな雰囲気が出るのがヴォルボラだ。
ドラゴンである彼女が他人に気を使うというのもおかしな話だ。
ウェルフはそのことを知らないが。
「まずは簡単な魔法の壁を作り出すことだ。例えば今作ったのは魔力消費を抑えるために薄く作ったが、あの吸血鬼のときは狭いが強固なものを作った。君が必要とするのはどちらかと言えば後者だろう?」
「……はい。私は、妹を守るために使いたいので」
「妹――あの時の子か。まあ、あの爺さんが近くにいるなら心配はないと思うが……」
「そ、それはそうかもしれないですけど……」
エリシアも、モーゼフのことを信頼している。
モーゼフがいれば、きっと二人を守ってくれるだろう、と。
けれど、エリシア自身は頼ってばかりではダメだ、という気持ちの方が大きかった。
どこにいても、モーゼフといるのなら足手まといにはならないようになりたい。
それが、モーゼフと一緒にいるということなのだと、エリシアは考えていた。
「いやなに。当然使えることに越したことはない。まずは壁を作るところからだ。例えば四枚が難しければ、三枚でもいい。こうやって――ん?」
話の途中で、ウェルフが何かに気付いたように動きを止める。
「どうしたんですか?」
「いや……キメラのやつが少し騒いでいてね」
「キメラが……?」
キメラと言えば――エリシアとナリアがモーゼフと町を目指す途中に出会ったものがいた。
とてもエリシアでは勝てないレベルのキメラであったが、思えばウェルフもキメラを使っている。
(やっぱりすごい魔導師様なんだ……)
エリシアは純粋だった。
あのキメラを使っていたのがウェルフだとは欠片も思っていない。
「まあいい。一先ずやって――」
ズゥン、と地鳴りのような音が遠くから響く。
ウェルフが驚きの表情を浮かべた。
「う、おおっ!? キ、キメラが投げ飛ばされた!?」
「……え!?」
「い、いや、何でもない。君はとにかく今言ったことをやってみてくれ」
不穏な空気を感じつつも、エリシアは頷いた。
キメラが投げ飛ばされる――そんな状況があるのだろうか。
エリシアの見たキメラのサイズから言っても相当な大きさになる。
あれを投げるなんて――
「あ、ヴォルボラ様!?」
純粋なエリシアでも察しはいい。
この森の中で、投げ飛ばすという行為をしそうな人物は一人しかいなかった。
「くっ、私のキメラを投げ飛ばすとはなんてやつだ……遠くて確認できんが。いいだろう、さらに三体追加だ」
「あ、あの……」
「君は魔法の練習をしていていいと言っただろう! こっちのことは気にしなくていい!」
ウェルフにピシャリと言われてエリシアは黙ってしまう。
ウェルフのキメラを投げ飛ばしているのは、きっと先ほど出会ったばかりのヴォルボラであるということも、伝えにくい事実だった。
こちらでは記載していなかったかもしれないので一応。
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