第九十六話 ごめん、何も、出来なくて
甲斐は、行ってしまった。
残された者達は皆、視線が交差している。
「……ギア先生、お話があります」
とても静かに、ルーカスは切り出した。
「そうですねぇ、私も言いたいことがあります。教師の邪魔をするなんてルーカス君らしくないですよ、どうしました? これ、私じゃなかったらかなり問題です。以後気を付けて下さい」
手と足首をぐるぐると回した後に軽い口調でそう言うギアの近くで、飛ばされた二人が座り込んだままルーカスとギアを交互に見ている。
「すみませんでした……。ただ分からない事だらけで、混乱してしまって……。何故……今、急にあんなに強力な魔方陣を生成してまでカイを送ったんですか?」
「申し訳ないんですが答える義務は無さそうですね。……簡単に説明するなら、元々カイちゃんは日本に行く予定でしたし、日程も時刻もいつでもいいとの事だったので私の都合の良い今、送らせてもらいました。これで満足ですか?」
直角に人差し指を曲げ、頬を掻きながら面倒そうに説明するギアを信じられるはずは無かった。
「……答えになっていません。どうして通常のスポットを使わず、カイをこの場で送ったのか。納得できない。それも、僕を見た途端に」
「ルーカス君、私は君の質問に答えました。たまたま送ろうとしている時に君が来たのでしょう。私は教え子達が皆好きです、誤解されるというのはとても悲しいことですね」
ギアの空気が、変わった。
これが実技担当でない教員の持っている力なのかと素直に驚くほど、彼を取り巻いている力が目視できる。
脅しなのだろうか、それとも牽制か。
そうまでして隠さなければならない何かがあるという証拠だ。
だが今、これ以上深入りしたところで勝ち目は無い。
それどころかクリス達まで確実に巻き込んでしまうだろう。
引くしかなかった。
無理に頷いてみせると、ギアはにこりと笑って二人の手を持ち、引き起こすと謝罪をした。
そしてルーカスの横を通り過ぎる際、彼は笑っていた。
「おや、彼らは少し遅かったですね。冷えるといけない、早めに寮へ戻って下さいね」
後ろからシェアトとエルガが近道をして道なき道の雪を物ともせずに走り来る音がする。
今のルーカスには彼らに向ける顔など無かった。
ここに来たのがもし、彼らのどちらかだったらカイを助けられたかもしれない。
理由も聞かずに必死になってくれた二人に、甲斐を助けてやれなかったと言ったらどう思うだろう。
不甲斐なさが情けなくて、消えてしまいたかった。
これから二人にはどうしても甲斐の日本行きを止めたかった理由を話さねばなるまい。
そしてそれは、最悪の結果となってしまったという事を知らせるという事だった。
「……二人とも、ごめん。カイは大丈夫だから。僕の、勘違いだったみたいだ。シェアトとエルガにも……謝って来るよ」
口を開きかけたクリスが黙ったのは、ルーカスの目は赤く今にも涙が零れそうに見えたからだけではない。
それでも、彼は何かと必死に戦っているような悲痛な笑顔を向けたからだ。
聞きたいことは、たくさんあった。
だがそれは今口にしてしまったら、何かが音を立てて壊れていきそうな気がした。
それだけ言うと雪を踏みしめる音と一緒に、彼は遅れて来た二人を連れて振り返らずに行ってしまった。
隙間なく降る雪がクリスの髪の毛に付いたまま、いつまでも溶けなかった。
立ったまま動こうとしないクリスの手をそっと引いたフルラの手の震えは、きっと寒さのせいではない。
お互い、強く手を繋いで一言も話さないまま歩いて行った。