第六十一話 またね、どうもありがとう
「ルーカス! この女をなんとかしろ! あっ……折れる」
ビスタニアの攻撃は甲斐がシェアトを捻じ伏せてからは止まっている。
どうやら彼女が生きた盾となるのはエルガとシェアト相手だけではないようだ。
「シェアトよりも力の無い僕に一体何が出来るの……? それにほら、盾が無いとどの道やられちゃうよ……」
「友達の絶叫と骨が折れる音が聞きてぇのか!? 良い趣味だなおい! ……くそっ、この女……人間じゃねぇ……」
「思ったよりしぶといなぁ……、 貧弱から仕留めた方が早かったかも……」
「えっそれ、誰の事? ねぇ?」
骨のきしむ音を聞きながら、シェアトは正座の体制のまま上体が地面へ倒れ込みそうになっていた。
逆光で甲斐の表情は読み取れないが、爛々と不気味に光っている目は恐怖を煽るには十分だった。
「ほんと……あの……すみませんでした……カイさん……痛い……。あの……、ほんと……もう、何もしないんで……離してもらってもいいですか……?」
「敬語!? 君は気持ち良い程ヘタレだね! 逆に尊敬するよ!」
「本当だな? リタイアだな?嘘だったらへし折るよ?」
今までよりも、もう一段階強く力を込められると手首が見た事が無いほどに反りかえっている。
「あ、はい……大丈夫です……痛い……むしろそろそろ折れちゃうんで……」
ようやく手を離され、自由になった両手が急に震え出し、生きている事の喜びを噛み締めた。
そして、とうとうルーカスの肩にゆっくりと手が置かれた。
爽やかな笑顔を後ろに向けると、邪悪としか言いようのない笑顔の甲斐がいた。
「……カイ、僕もね彼とは仲良くしたいと思ってたんだ。本当だよ? だから二人を止めてたでしょ?」
「汚ぇぞ、ルーカス! 自分さえ生き残ればそれでいいのかよ!? 悪魔を倒そうって気は無ぇのかよ!? お前ぜってぇろくな死に方しねえぞ!?」
「……そっかぁ、ルーカスも仲良くしたいのかぁ……。じゃあ、とりあえずこんなもんでいいかな?そいじゃ、あたしナバロに結果報告しにちょっと行って来るね!」
そう言うと後ろで座っているシェアトの体に向けてついでといった形で足を振り下ろしたが、信じられない俊敏さで避けられた。
非常に悔しそうに甲斐は舌打ちをすると、一連の様子を見守っているビスタニアの元へ走って行った。
「ナバロ隊長! 二名が戦闘不能で、一名はこちらに敵意が無い模様で降伏です!」
「そ、そうか。……強化魔法が使えるのか?」
「きょう……? 何?今日暇かって? はい! 隊長! 暇です! 一緒に遊びます!?」
「そんな血迷った事を口にする訳がないだろう。さっきの腕力は、『強』・『化』・『魔』・『法』・か? と聞いているんだ。思ったよりも、本当に意外だが機転が利くんだな」
今度はゆっくりと発音してくれたが、相変わらず甲斐は呆けている。
「……いえ? 普通に己の力ですけど?」
やはりこの女には関わってはならない、本能がそう叫んでいるように全身が小刻みに震えた。
そもそもこんなに小柄な少女のどこにそんな力があるのだろう。
認めたくはないが、シェアトはどちらかといえば大柄な方だと思うし更に言えば目の前でへらへらと笑っているこの女は体の成長が止まっているのではと思う程に小柄だ。
世界には知らなくてもいい事、いや、知ってはいけない事があるという事を実感した。
「お、俺はもう行くぞ。あいつらが面倒事を起こさないようにしっかりと躾けておけ」
「ほーい。ねぇねぇ、さっきの条件だけど忘れないでね。あたしと仲良くするんだよ、ね?」
やっぱり覚えていたのかと落胆するが、今の語尾の強さからすると破棄することは難しいようだ。
いや、自分の命を省みないのであればなんとか出来そうだが。
「……仲良くとは……例えばどういう状態を指すんだ……?」
「とりあえず、徐々にでいいよ! まずは無視しないこと。とりあえずそれでいこう。ナバロは 人に対しての立ち居振る舞いをリハビリしてかないとダメみたいだからね!」
失礼な発言を抜かせば案外まともな提案で安心したというよりも、自分を見上げるこの小さな怪物、いやこの女は二十四時間密着等と無茶な事を平気で言ってくるような予感がしていたのだ。
そしてこの破天荒な人間兵器がいればうるさい三人組も少しは大人しくなるだろう。
そのメリットは正直な所、かなり魅力的だった。
今の様なこの無駄な時間も、もう取らなくてもいいのだ。
「不本意でしかないが仕方ない……。付き合ってやる。……はぁ、疲れた……。もう俺は戻る。放っておいてくれ…」
ようやく解放され、寮に向かおうとすると後ろからやかましい声が追い掛けてきた。
「ナバロー! ナバロー! またねー!」
『まずは無視しないこと』
そうは言っても、ビスタニアにはまたねと笑って振り返るような真似は到底出来ない。
不満気な声が背中に響いたが、無視した。
戦闘で乱れた後ろの髪の毛を撫で、砂が付いている気がしたので耳の辺りで手を広げ、払うように小さく振る。
ああ、うるさい声が止んだようだ、どうやらあの女も意外に馬鹿じゃないらしい。