第四十九話 そうだ、もう疲れたんだ
覚えているのは、フルラの驚いて泣きそうな顔だけだった。
元からあんなに下がっていた眉毛も更に下がっていた。
何をそんなに驚いているのかが分かったのは、思い切りお湯を飲んでからだった。
吐き出したときにまた更にお湯を飲んでしまい、手を動かしてバスタブを掴む事すら考えられなかった。
こうしてバスルームの床に寝ているが、引き上げられたのも覚えていない。
反射的にむせ込み、大量のお湯を吐き出すと重い体を起こしてみた。
立ち上がると貧血が起き、しばらく視界が暗くなったがこの静かさで分かるのはフルラがいない事だった。
バスルームのドアを閉めると、勝手にドアが少し開いて廊下が見えた。
恐らくフルラが慌てて飛び出して行ったのだろう追い掛けなくてはと思うのだが、体調が良くない。
胃の中がむかむかとして、しっかりしていないと頭が下を向いてしまう。
横たわると急に眠気が来た。
次に意識が戻ったのは廊下の騒がしさからだった。
「早く! 早く来てぇええ」
「わーかってるってえ! お嬢ちゃん、こっちは寝起きなんだよ」
「ここお! ここなのぉ、カイちゃんがあ……!」
ドアを開けて入って来たのはフルラではなかった。
寝癖だろうか、あちらこちらに跳ねた髪の毛と焼けた肌にそばかすを乗せた、背の高い少女が入って来た。
頭頂部が白く、徐々に暗くなっていくカラフルな髪の量は厚く、肩より少し下まである。
エキゾチックなはっきりとした顔立ちの彼女は起き上がった甲斐としばし見つめ合い、にっと笑った。
「なんだぁ、ほらお嬢ちゃん。お友達は大丈夫っぽいよ」
「うあああ、よかったああああ。死んじゃうかと、死んじゃうかと思ったよぉおお!」
「……残念ながら生きてたんだけど、このお姉さんは?」
甲斐に縋り付いて話せない状態のフルラに代わり、少女が説明する。
髪の毛を耳に掛けると、外耳には金色の大きなトライバルのカフスが見えた。
「ははっ! そうだね、もっと弱ってても良かったんだけど。おたくもちっこいねえ、でも顔色があんまり良くないから寝てなよ。編入生のカイだよね? あの紹介ナイスだったよ、中々面白いヤツ少ないんだ。ウチはアイリス」
握手をすると、アイリスはフルラを見て眉を上げた。
「それにしても、あんたら怪しい関係じゃないよね? 頼むよちょっと。この子、この格好で駆けずり回ってるからうるさくてさ」
フルラはバスタオルを巻きつけただけだが、素っ裸でベッドに横たわっている甲斐は言えたものではない。
思い出したのかフルラは慌ててバスタオルを上にたくし上げる。
「らってぇ、もうどうしたらいいかぁ……。私星組だったらよかったのにぃい」
「げっ、あんた月なの? それで?もう、冷静沈着がモットーでしょあそこは。なんだかなあ、月組ってこんなコもアリなの? 面白いヤツには面白い友達がいるって、わけか。ま、ウチはもう戻るけどいい?」
「ごめんね、ありがとうアイリス」
「いいって、お二人も仲良くどうぞ。じゃあねえ」
ドアが閉まると、フルラは甲斐の顔を心配そうに見つめる。
アイリスも言っていたが、そんなに酷い顔色をしているのだろうか。
「ごめんね、びっくりしたんでしょ。でもフルラ、頑張ってくれたんだね」
「……ほんと、自分でもびっくりだよぅ……。こんな時間に知らない人ばっかりの太陽組のドアを叩きまくるなんてぇ…どうしよう、皆怒ってるかなぁ? あ、謝って来た方がいい!?」
「人命優先でしょ。大丈夫大丈夫、やったのはあたしじゃないし問題ない」
「だから問題なんでしょおおお。もう……あ……おやすみ、カイちゃん」
一瞬で眠りに入ってしまった甲斐に布団をかけ直すと、フルラは甲斐の脱ぎ捨てた制服をクローゼットに掛けると余っていたパジャマを着てそっとベッドへ潜り込んだ。
ベッドは甲斐がそのまま入ってしまったので濡れていたが、気にならないほどすぐに眠気がフルラの目閉じさせた。