最終話 =X
「それにしてもエルガ遅いね、早くルート8ってやりたいのに!」
「あら! 来たんじゃない!? ……いい加減にその粘つく視線をやめなさいよ! どんなに見たってカイは手に入らないんだから!」
こちらへ歩いてくる金髪の彼が見えた。
クリスはシェアトにここぞとばかりに強くあたる。
「うるせえ! これはあいつをなんらかの不治の病にかける恨みの念が込められた視線なんだよ! ……あの金髪、なんで正装なんてしてんだ? まさかこれからカイとレストランデートにとか考えてねぇだろうな!」
キャリーバッグを引いてこちらへ近づいて来るのは確かにエルガだったのだが様子がおかしい。
着用しているのは制服ではなく、ダークカラーのスーツで白いシャツの上にクリーム色のベストを重ね、首元にはこれまた白のネクタイを締めていた。
整えられた髪の毛は首元で結われ、歩く度にその毛先が背中から左右に揺れているのが見える。
「あとは寄せ書き、エルガだけだよね!? 流石に寒くなってきた! エルガー! 早くー!」
鶴の一声、というもので甲斐の声には彼はどんな状況でも即座に反応する。
そしてどれだけ離れていても甲斐が呼べばどこからか現れる、そんな噂まで立ったほどだ。
その認識がこの一瞬で壊された。
ペンを持って上で振りながら何度名前を呼んでも、エルガの足は速まる事は無かった。
それどころか手を振り返すような素振りも無い。
「……待て、何かあったんじゃないか?」
ビスタニアは確かにエルガの変化に違和感を感じていた。
聞こえないにしても、こちらが見えていないはずもない。
これだけ遅れたのもおかしな話だ。
ほとんどの生徒たちはとっくにここを離れている時間なのだ。
「……へ? なんだろ、式までは普通だったよね? ……ちょっと行ってみる!」
ビスタニアの手を振りほどき、走り出した甲斐は足元を見ていないので雪の積もった場所を踏んでしまい、ショートブーツの中に雪が入り込んだ。
溶けだした雪により、足が冷えていくのを感じたが構わずエルガの元へ駆け寄る。
「エールガ! 大丈夫? 具合でも……」
前に立った甲斐を避けるでもなく、押しのけるように歩みを進めるエルガに戸惑う。
それでも、彼の後姿を追おうとしたが体が動かなくなった。
一瞬だけこちらを見た、彼の瞳が残酷なほど冷たく光っていたのだ。
負の感情が瞳に集中し、甲斐に放たれたようにすら感じる。
甲斐はそこに立ったまま、急激なエルガの変化にどうする事も出来なかった。
「……おい、人を待たせといてなんだよ。しかも迎えに行ったあいつを置いて来るとはお前おかしいんじゃねぇの?こんな良い日に揉め事起こしたくねぇんだ、早く連れ戻して来いよ。らしくねえな」
シェアトのその言葉も無視してエルガは歩みを進め続けた。
苛立ちが頂点に達したシェアトが彼の肩を掴んで無理矢理こちらを向かせようとした。
だが、その手首を空いていたエルガの左手が掴み、骨が軋むほど強く握られる。
「誰の肩に触れている……? ……手を離せ。……私は急ぎの用がある、最高責任者就任式だ。そうだな、ここにいる者はいつかビジネスで顔を会わせるかもしれん。だが友人などと言って笑わせてくれるなよ」
嘲笑すると握っていた手を捻り上げ、シェアトを突き放した。
雪の上に転がったシェアトに何が何だか分からないと言った顔のクリスがすぐに駆け寄った。
沈黙が当たりを包む。
髪をなびかせて立ち去ろうとするエルガを、今度はルーカスが追い掛ける。
「……悪い夢を見てる気分だよ……! 何をしたのか分かっているのか!? 君が、友人を傷つけるなんて……! このまま行かせる訳にはいかない……!」
「……不愉快だ」
何が起きたのか、誰も理解出来なかっただろう。
現に腹部に重い圧迫感を感じたと思ったルーカス本人も、分からなかっただろう。
気が付けば背中を木に叩き付けられていた。
その衝撃で枝に積もった雪が次々に落ちている。
立ち上がったシェアトよりも先に、ビスタニアが動いた。
ウィンダムも続こうとしたがフルラに震えながら涙を浮かべて抱き付かれ、足止めを食らった。
「最高責任者か、おめでとう。式典まであるのか、それは凄い。しかし……友をないがしろにしていい理由にはならん! まずは膝を付いて詫びろ!」
エルガの足を狙い、雪の中から意志を持っているように蔦が飛び出した。
意に介さないように歩いて行くエルガはそれを消し炭に変える。
眉間に深く皺を寄せ、ビスタニアは次の手としてエルガを捕らえる為の網目状の結界を彼の進行方向へと張り巡らせた。
「……逃がさんぞ! このままさようならを言えると思ったか?」
甲斐がこの事態に気付き、走ってきた。
何度も何度も、転んだようだ。
「何してんの!? ねぇ……エルガ、どうしちゃったの!?」
エルガを捕らえた決壊は内側から壊された。
巻き起こる風に乗って、氷と無数の攻撃魔法が向かって来る。
「盾をっ……盾を展開させろ!」
即座に皆にビスタニアは指示を出す。
近くにいた甲斐とクリス、そして怒りのままにエルガに突撃しようとしているシェアトを守るようにビスタニアが盾を大きく展開させた。
守れる範囲はここまでだった。
ウィンダムはフルラと倒れているルーカスを守るように瞬時に対応する。
そうしている間にもエルガは帰る為に開かれている魔方陣へ向かって進んでいる。
この騒ぎが起きているにも関わらず、魔方陣の横に立っている送り役のギアは止めようともしない。
「待てよ! テメエ! このまま終われるか! 逃げんなよ! 戻れ!」
盾から飛び出してしまったシェアトは頭や顔に攻撃を受けながら、突風に耐えていた。
そのせいで一歩も進めない。
何も答えようとしないエルガはそのままギアの展開させている魔方陣へと足を踏み入れ、こちらを向いた。
「ギア! そいつを止めろ! こんなんありかよ!?」
シェアトが吠えるがギアは動かない。
魔法陣まであと一歩といったところでエルガがようやく振り返った。
「君達はもっと力を付けた方が良いな。……望むなら、いつでも首を取りに来い。……SODOMは野望持つ者を歓迎する! その道の途中で、幾億の命が尽きようとも! 我らはどの国にも属さない! 力を欲する者達の聖剣である!」
「……何訳の分かんねえコト言ってんだ! 待てこらああああああぁあぁあぁああああぁぁアア」
雪に足を取られながら全力で駆け出したのは甲斐だった。
彼女の足には後方から次々に速度強化や跳躍強化の魔法がかけられていく。
そして、跳んだ。
手を伸ばした甲斐は、エルガまでほんの数センチだった。
エルガはその動きにすら動じる事もせず、じっと飛び掛かってくる甲斐を見つめたままだ。
そして彼は一歩、足を陣へ踏み入れる。
消える瞬間に、甲斐にのみ最後の彼の言葉が聞こえた。
「さようなら」
魔方陣は光を失い、エルガも滲むように消えた。
そこに標的を失った甲斐は着地しようともせず、そのまま地面に叩き付けられた。
誰もが言葉を失い、ギアに向かって吠え続けるシェアトの声が虚しく響き渡っていた。
何も答えないギアは式の終わりに配られたそっと就職先の一覧を取り出すと、SODOMの欄を指し示す。
そこには確かに『エルガ・ミカイル』とあった。
その日の夜、彼の言った通り『SODOM』の最高責任者後継式が行われた。
現最高責任者の一人息子だと紹介されたエルガは、まるで知らない人物のように今後の事業展開について語り、報道陣の質問にも冷たい瞳のまま淡々と答えていた。
誰もが最悪な気分のまま、久しぶりの実家でその映像を焼き付けていた。
圧倒的資金力と、軍事関係機器全世界九割のシェアを誇っている大企業『SODOM』
この機関のせいで大切な人を失った者は数え切れない。
その為、買っている恨みを数えたとすれば果てしないだろう。
しかし、より強力な武器を、力を望む者がそれ以上に多い世界である限り、この機関は必要とされているのだ。