第三百八十二話 卒業式
朝食後、下級生は自室待機らしい。
食堂の中を式典用へと変える為、一度三年生は渡り廊下に出された。
担当教員が決められたらしく、彼らを先頭に組ごとに分かれ、横二列に並んでいた。
太陽組の先頭にはキティ、星組の先頭にはギア、月組の先頭にはシャンが付いた。
どの教諭も正装をしているが、その中でも注目はギアに集まっている。
甲斐は一度外出した際にギアの正装を見ていたが、今日はさらにしっかりと着こなしていた。
ネクタイも首元で締め、黒では無く群青色のスーツにはシルバーの細いストライプが入っている。
革靴は深い茶色と渋く、だらしなく見える髪の毛も高い位置で縛っているがおくれ毛一つ無かった。
キティは厳格な顔つきと、髪の毛一本見当たらない頭、そして無駄な体格の良さが高じてえんじ色の燃えるようなカラースーツとイエローのシャツ、そしてモスグリーンのミスマッチなネクタイがおかしな方向へと彼を誘っている。
流石は太陽組の実技担当、といったところか。
シャンは膝より少し短めのタイトな白のスーツにピンクのフリルが付いたシャツを着ているが、豊満過ぎる胸は締められたボタンと戦っているようだ。
ピンヒールのパンプスに慣れないようで何度も前かがみになっては、男子生徒の心を揺さぶっている。
私語が一切無いこの中でシェアトは去年の自分達を思い返すが、勉強をしなくていいのは羨ましいなどと考えていた気がする。
これで本当に明日からフェダインの生徒では無くなるのかと思うとまるで化かされているような気持ちだ。
盛大な交響曲が鳴り響き、観音開きの扉がゆっくりと内側に開いた。
太陽組からの入場である。
隊列を乱さぬように足を踏み入れると、いつもの食堂の面影はどこにも無かった。
歩く道には赤い絨毯が敷かれ、両脇にはしっかりとした革張りの椅子が規則的に並べられている。
前方にはステージが設けられ、上る階段も出来上がり、太陽、星、月のマークが教壇に輝いていた。
その周囲を取り囲むように教員達が椅子の前に立っているのは圧巻である。
前から順に詰めて腰かけていくと、星組の入場となる。
交響曲は激しい曲から柔らかな癒しの曲へと変化した。
シェアトは真っ先に甲斐の姿を探し始める。
彼女は前の方に座っているので頭が他の者よりも低い位置にあった。
退屈しのぎにそっと後ろを背もたれから見ると、ルーカスと目が合い、互いにニヤリと笑い合う。
それに気が付いたクリスは目に力を入れて睨みを利かせて来たが、舌を出すと『覚えてなさい』と口がかたどった。
最後の月組の入場に合わせて曲はどこか緊迫感のあるものに変わる。
ようやく気が付いたがこれは頭上遥か高くでお手伝い天使が生演奏をしているらしい。
シャンの後ろで颯爽と胸を張って歩くのはエルガだ。
女子達に手を振ったり、微笑みを返したりとファンサービスも欠かさない。
その少し後ろをむすっとした表情で歩いて来るのはビスタニアだった。
前だけを見てこちらに気が付いていない。
そしてフルラはクロスの隣で下ばかりを見て歩くものだから、一度躓きかけ、クロスが支えるハプニングがあった。
ウィンダムはかなり後ろで中の装飾を見たり、天井を見上げては隣の女子に話しかけて迷惑がられていた。
全員が席に着くと徐々に音楽は小さくなり、やがて消え行った。
ランフランクがいつの間にか教壇に立っている。
「これより、フェダイン魔法訓練専門機関学校第三百七十四期生の卒業式を始める。……三年間、長く感じただろうか。勉強に費やした時間は全て君達の一部になっているはずだ。学べば学ぶほど、足りなさを感じた事だろう。満たされる時はこの先訪れるだろうか?答えは否。生き続ける限り、その満足感は得られない」
一人ずつの顔を、ランフランクは見ているような気がした。
顔は決して動かさず、瞳だけをゆっくりと動かしている。
「君達がその先に何を見るのか。私は非常に興味深い。私の事を、フェダインの教員を大多数の生徒を覚えてもいないただの老人などと思うな。我々は、一人一人の事を理解する君達個人の教員だ。必ず力になろう、時には盾に、時には剣にもなり、君達を守る事を約束する。卒業しても、忘れるな」
彼は、とても良い校長だった。
この学園の顔とも言えるランフランクは、世界の常識に従わず、甲斐を守った。
この先の人生で校長程の人物に出会えるのだろうか。
「……衣食住を共にした仲間と別れるのは辛いだろう。しかし、その経験も私はとても重要なものだと考えている。今、君達が胸に抱いている感情から逃げ出すな。向き合った者と、背を向けた者とでは大きな差が開くだろう。何人も敵わぬ灼熱の太陽、生命の息吹を守る星、全てを静かに見つめる知の結晶の月。全ての組から私の誇りが解き放たれる。……では、一人ずつ名を呼ぼう」
太陽組から名を呼ばれ、見知った顔が壇上へと上がって行く。
両手で卒業証書を手渡され、一礼して戻ってくるその足取りは力強い。
甲斐の名が呼ばれた。
皆が見守る中、彼女は早足で壇上に上がり、他の者よりも長くランフランクと見つめ合っていたように思う。
そして勢いよく振り返り、証書を頭上に持って見せびらかせて笑うと五段ほどの階段を飛び降り、赤い道を無視してショートカットして席に戻った。
緊迫した中で笑いが起こる。
「……シェアト・セラフィム」
心臓が跳ねた。
緊張する理由など無い。
溜息に見せて深呼吸をして、堂々と歩いて行く。
階段を昇る足が震えた。
証書を掴んだ時に、微かだが目の前の校長が笑った気がした。
「……ありがとう、ございました」
聞こえなくても、いいと思った。
だが、顔を上げた時に一瞬だが確かに優しく笑っていたのを見た。
急に恥ずかしさが押し寄せ、足音を立てて席に戻る。
顔だけでなく、耳まで熱くなっており暫く下を向いていた。
今度は、星組が呼ばれて行く。
ようやくルーカスの名が呼ばれ、目線を上げると模範的な受け渡しをして綺麗に歩いて席に戻るという面白味の無いものだった。
クリスは何かしでかすのではないかと思ったが、受け渡しまでは順調だった。
あまりにも最後までいい子ちゃんなクリスに興味を失った時、甲斐が感極まったのか拍手を送ってしまい、顔を真っ赤にして壇上で慌てていたのが面白かった。
もしかしたら今、夢を見ているのかもしれない。
こうして皆で揃って卒業したと思ったら、目が覚めてまだ卒業試験の前で、全員でまた面白おかしく毎日を過ごす。
そんな夢でも、いいと思った。
月組のトップバッターはエルガだった。
無意味に髪の毛を一度手で払って注目を集め、かかとを鳴らして上がって行く。
彼だけが、ランフランクに何かを言われたように見えた。
振り返ったエルガは不敵な笑みを浮かべている。
そして、カイにウィンクすると、髪の毛をなびかせて戻って行った。
室温が暖かいので眠気が来ていた。
フルラのファミリーネームがインラインだった事をぼんやりした頭で考えていると、予想通りガチガチにあがっている彼女は階段で躓いてしまった。
笑いが起こった瞬間に、甲斐とクリス、そしてウィンダムがホラー映画の恨み深い霊の様な表情で会場内を見回したので一気に静まり返った。
どうにか証書を受け取ると気を付けて階段を降りた為、非常に時間が掛かったが、猛獣から発せられるような殺気が三か所から出ているので誰も文句一つ呟かなかった。
次はフルラの隣だったクロスだ。
緊張位していたら可愛いが、お愛想用の笑顔を張り付けて壇上に登る弟はどうにもいけすかない。
そして証書を受け取ると校長だけでなく、周りに座る教員、そして生徒達に向き直って深々と頭を下げたのだ。
これには各所から拍手が起こったが、シェアトは一切手を叩かなかった。
むしろ世渡り上手な弟の未来がどうなってしまうのかと悪寒さえ感じる。
これで役者は出揃った。
後は長い話を聞くだけだ。
ようやく睡眠を取れる時間がやって来た。
「……おい、立つ時あったら起こせよ」
「はあ~? ちょっと~! あたしも寝ようと思ってたんだけどなー」
そう言うなり、シェアトは隣に座っているアイリスの返事を待たずに腕組みをしたまま寝息を立て始めた。
これから一世一代の告白があるんだから、許して欲しい。
そんな勝手な事を思いながら。