第三百七十四話 それぞれのプロム
「結局うやむやになっちまったか……。あー、くそ! あの暴力女を沈静化させる薬でも開発したらどうだ、ルーカス」
酒を煽るシェアトをルーカスとエルガは止めなかった。
今日ぐらいはいいだろう、とクリスが罪悪感からくる恩情をシェアトに掛けていたのを知っているのだ。
彼らの愛しの姫君たちは、しとやかな曲からガレージロックに曲が移ると元気に中央に飛び出して行った。
好き勝手に踊ったり、甲斐はフルラのかけた強化魔法でかなり上まで飛び跳ねられるようになっていた。
アクロバティックな動きで夢中ではしゃいでいたが、ドレスだという事をクリスにこっぴどく注意されてからは大人しく可愛いダンスを踊っている。
エルガはスパーキング・ラッシュという七色に光る炭酸水を飲んでは、ナッツを齧っていた。
ルーカスはというと、世界の甘党も喉が焼け押し黙ると言われているデンジャラス・シュガーという酒を飲み続けている。
粘度が高過ぎてグラスをいくら傾けても一向に口に入らない。
その為、スプーンと共に渡される。
しかし、あまりのネバつく酒のせいでスプーンは全く持ち上がらない。
試しにシェアトが指を入れたところ、表面は固い割に粘着質なので離れなくなってしまったので二人がかりで引き離す羽目になった。
仕方なくルーカスがスプーンを折る勢いで力を込めると少しずつだが確かに持ち上がった。
食べる、ではなく飲むのに時間がかかるが口に入れた時の彼の表情は至福そのものだった。
「クリスはいつだって落ち着いてるさ、シェアトも食べる?」
「ただでさえ甘い物が嫌いな俺にそんな毒の塊みてぇなもんを食うかだと? 頭おかしいんじゃねぇか?つーかそれが酒ってマジかよ」
「ああ、僕も結構だ。口に入れた瞬間に何かしらの病を発症しそうな気がするからね」
「おいしいのに……。 今まで僕が食べてきた砂糖なんてこれに比べたら味なんて無かったんだと思い知らされるよ……! 普通の砂糖を何キロまとめて食べようが、これには勝てないね!」
「なんてこった! 手遅れだぜ、こいつ!」
ネクタイを締め直すのも面倒だとシャツのボタンを幾つか開けて、ジャケットを羽織っただけのビスタニアは甲斐がいないのをいい事に家柄の良い女子生徒から頻繁に話しかけられていた。
それもこれも一人でいるのだから、いいカモになっている。
クロスは入学当初に仲の良かった友人など、三年生しかいないこの場では存在しない。
気を使ったビスタニアに一緒にいるように誘われたが、どうやら勉強熱心な眼鏡の集団から神と崇められているらしく、卒業前に一度は話したかったと熱望されたと恥ずかしそうに語り、彼らと共にテーブルのある席へと向かった。
最近はいつも大人数でいるため、ウィンダムと二人ゆっくり話す事が無かった。
これをビスタニアは良い機会だと思い、ウィンダムを探してみたが、彼もまたフルラがいる事を知りながらもアプローチをかける女子生徒に囲まれていた。
卒業する前に話だけでも、といった可愛い要望はまだいいのだが明らかに名家の息子だからと目を光らせて来ている者もいる。
彼の武運を祈りつつ、いくら移動しても離れようとしない目の前の女子生徒をどうすべきかと頭を巡らせた。
「ねぇビスタニア、私達昔パーティでご一緒したことがあってよ。あの時から、貴方はとても輝いていたわぁ。あら、少しめまいが……」
「そうか、すまんが父に連れられて行くパーティは人が多すぎて一々顔など覚えていないんだ。……大丈夫か?」
「そうね……涼めば良くなると思いますの。良ければご一緒して下さらない?」
美しい顔立ちに似合わぬ甘い声と上目遣い、そして気品あるドレス。
どれをとっても一流で、仕草一つも女性らしかった。
彼女に合わせ、ビスタニアは上品に微笑むと耳元でそっと囁く。
「……行くなら勝手に外に出ろ、二度と戻って来るなよ。パーティって何年前の話をしているんだ? どうせお前にとってはたった一人の防衛長の息子だろうが、俺にとっては名前につられてやって来るお前のような無数に湧き出る害虫にいい加減うんざりしてるんだ」
顔を真っ赤にさせたハートは名の知れた家の令嬢で、野蛮な事をした事も言われた事も無かった。
なので、人の顔を打つなどといった野蛮そのものの行為をしたのはこれが初めてだったのだろう。
自分自身驚いたような顔をして踵を返して行ってしまった。
彼女を追うのはその取り巻きだろうか。
熱くなった頬を擦ると痺れているのか感覚が鈍い。
一方、その頃同じようにロックオンされているウィンダムはその女子生徒と盛り上がっていた。
「やっだー! ウィンダムっておもしろーい!」
「そうかい? レヴィちゃん、ここでこうして話していていいのかい?」
「え~? だって私……ウィンダム君と話したいんだも……ん……?」
顎の下にひやりと冷たさを感じてレヴィは下を向こうとした時、ウィンダムの笑顔は凍り付いた。
彼女の後ろから絶対零度の冷たい声が聞こえる。
「動かない方が、いいかもです……。この鎌、よく切れるんで」
大鎌の刃をぴったりとレヴィの喉元に合わせているフルラの目は据わっていた。
更に後ろでは甲斐とクリスが野次を飛ばしている。
恐怖で声が出なくなったレヴィは目だけでフルラを捉えようとするが、真後ろに立つ彼女は見えない。
「酔ってらっしゃるようでしたので酔いを醒ましてあげようと思ったんですが、どうです? 醒めましたか……?」
「醒めた醒めた! 醒めたからっ……助けて……!」
そう言い終わる時にはもう、顎の下の凶器は消えていた。
腰が抜けたレヴィはゆっくりと後退して行くが、甲斐に捕まってしまったようだ。
「……フルラちゃんにジェラシー、感じてもらいたくてね。怒ってる?」
「……お、怒ってないよぅ……。ただ……」
「……ん?」
「ただ、人に刃を向けられるようになったのは嬉しいかな……。夢中だったってだけなんだけど……えへ……。成長、したのかなぁ……」
フルラ相手にあまりからかい過ぎるのも良くないのだとこの瞬間、ウィンダムは学んだ。
人は殺意を抱くと、本当に人が変わるのだと実感した瞬間であった。