第三百七十二話 男を見せるとき
アップテンポな曲が終わり、静かな中に鍵盤の奏でる音で食堂が包まれると、中央では恋人たちのゆったりとしたダンスが始まった。
暗い会場内で踊るそれぞれのカップルへ柔らかなスポットライトが当たり、周囲のざわめきもその雰囲気に飲み込まれていった。
「みんな綺麗だね……。生まれた時からダンスの才能を付与された人々なのかな?」
全く自分が音楽に合わせて踊れると思えないようで、次々と入り込んでいくカップルを見て溜息混じりに話す。
甲斐の記憶ではダンスなど、中学校で死にたくなるような創作ダンスを踊ったのが最初で最後だ。
軽口が聞こえていないのか、シェアトの反応が無い。
壁に寄り掛かったまま、琥珀色のカクテルを持って甲斐と同じ方向を見ている。
「……シェアト? そんなむすっとした顔してんの、シェアトぐらいだよ。つまんない? ねぇねぇ聞こえてますか? もしもーし?」
「……人、多いな」
沈黙の後、返ってきたのはこれだけだった。
「……人に酔ったとか繊細ぶった事言ったらぶん殴るけど?」
「けど? じゃねぇよ……。そうじゃなくて、なんか落ち着かねぇ」
「……あれ、意外……。お祭りとか好きなんだと思ってた……。 意外……意外すぎる……びっくり……」
「何回言うんだよ! 元々仲間内でわいわいすんのは好きだけど、こういうのは別に好きじゃねえよ。それに、祭りごとが好きなのはお前だろ」
カクテルグラスを傾けて一気に口に流し込むと、甲斐を見て笑った。
お手伝い天使は空気を読んでいるらしく、遠隔魔法でグラスを回収している。
「やっと、目ぇ合った。いつもは可愛いけど、今夜は綺麗だ。女って怖ぇな……、俺が不甲斐ないのか? ……酔わなきゃお前の目すら見れねぇなんて」
じっと見つめ合うこの時間が、長いのか短いのか。
甲斐は途中で分からなくなった。
シェアトはいつになく優しい笑顔なのに、何故か逃げ出したいような気持ちになる。
ゆっくりとした動きで甲斐の前に立ったシェアトは、壁に片手を付いて重心を預け、いつもよりずっと近くにある顔を覗き込んだ。
「この人混みで、ここからあいつが探せるか?」
「あいつって、ナバロ? な、なんで? あたし目はいいんだけど……どこだろ……? でも呼べば気付いてくれんじゃない? そして話すには近すぎると思うんですがシェアトさんその辺どう思います?」
「俺は、この中ではぐれてもお前を見つけられる。どこに至って、絶対に見つけ出すぜ。お前が日本に飛ばされた時も、迎えに来ただろ?」
あの時、唐突に溢れた涙の意味を突き詰めて考えた事は無かった。
指輪の映像でこの世界での役目を知る前に、こちらの世界を選んだ。
「……なんで……?」
「だからこの先、お前がどこに行ったって俺は絶対探し出してやる。何回だって迎えに行ってやる」
「シェアト……近い近い……ちかっ……」
顔が、額が、頭が
全てが熱を帯びていく。
顔を背けても何処を見たら良いのか分からずに目を彷徨わせた後、結局彼の瞳に視線は戻ったが、真剣な表情を見ると力ずくで逃げ出す事は出来なかった。
このまま、シェアトの言葉を聞いてしまえば何かが変わってしまうような気がした。
せめてもの抵抗で彼の胸の辺りを両手で押していたが、簡単にどちらの手首も片手で掴まれてしまい、下ろされた。
「振り払うなら振り払えよ。俺は気にしないぜ。その辺は確かに犬なのかもしれねぇな。逃げるならどこまでも追い掛けるだけだ。本当に俺を諦めさせたきゃ、はっきりしろよ。……このまま、お前があいつに取られんのを黙って見てるのはごめんだ」
「取られるって……そんな、あたし別に物じゃないんだから……」
「んなこた分かってんだよ。でも、恋人にしか見せない顔は絶対あるしお前だってあいつがお前の事好きになってから変わったのを一番分かってんだろ? そういうもんなんだよ。……俺の特別に、なる気はねぇか? ……お前が双子に妬いてんのも嬉しかった。それは少しでも俺の事を特別だって思ってくれてるって事だろ?」
上手く答えないといけない気がした。
覚悟を決めたようなシェアトは返答一つで何かが変わってしまう。
そんな、嫌な予感がした。
どうして突き放せないんだろう。
かといって、この場で頷く勇気も無いくせに。
何度でも追い掛ける、そんな甘い言葉に嬉しいと思うなんて。
自分はなんて嫌な女なんだろう。
いつまでもこのままじゃ、いけない。
そんな事は分かっている。
なのに、双子と楽しそうに話したあの時のシェアトを見ていると叫びたくなった。
それは明らかな嫉妬で、小さく醜い自分を認めたくなかった。
「……なっ……泣くなよ !なんでだ!? ちょちょちょ! やめ、やめろって! 野次馬来んなや! 散れ! 殺すぞ! エルガ何笑ってんだ!?」
「うあああぁああああ……! うああああぁぁあああ……!」
「殺すぞ、はこっちの台詞なのよね……! あんった……カイに何したのよ……? プロムで……女の子を……号泣させるぅうう? ハァ? 覚悟は出来てんでしょうね……?」
甲斐が召喚したとしか思えないタイミングでクリスがシェアトの背後に立っていた。
いわゆる絶体絶命、である。
「うるっせぇえええ! カイもうるせぇけどもっとうるせぇ女が来やがった……! おいルーカス! 何やってんだよ、猛犬こっちに来てんぞ!」
必死に呼ぶもルーカスの姿は見えない。
それどころかこちらを誰よりも攻撃的な目線で見ているのはクロスだった。
「……人間の屑め……屑め……」
「一人エコーしてんじゃねえぇええ。テメエ! クロス! おい! 待てこら!」
憎しみのこめられた低い呪いの声は騒がしい中でもシェアトの耳に届いた。
見方はいないかと見渡せば、ビスタニアが優しい笑顔で歩いてきている。
「……何も言うな、分かっているから」
「赤毛……! なんかこいつが急に感極まりやがってよ……」
だが、ビスタニアはシェアトを無視して甲斐をエスコートして連れ出している。
「おい、こっちに来い。ちゃんと証言出来そうか? すぐに民警に伝えて貰おうな。偉いぞ、性犯罪にあった時は大声を出せなくなる女性が多いと聞く」
「待てやおい。な、なんでそっち行くんだよ! カイ!」
「ああ~ら? どこに行こうとしてるのかしら? 楽しいパーティになりそうねぇ?」
肩に食い込む指先は、これから起きるパーティの開幕を静かに告げていた。