第三百六十八話 ドレスアップ
三年生の女子達は、揃って夕食をそこそこに切り上げ、部屋へ戻っていった。
食べるとドレスのラインに響く、と甲斐がクリスから聞いた時には、しっかり満腹になってしまっていた。
締まりがきつくなったのを感じているこのスカートの状態からして、もう手遅れのようだ。
クリスとフルラはほどほどに夕食を済ませると、デザートに手を伸ばそうとしている甲斐を連れて先に部屋へ戻ると男性陣に伝える。
そして、一時間後にロビーでと告げた。
そう、一時間後はプロムの開催時間だ。
クリスとフルラに手を振り別れた甲斐は、部屋で一人開け忘れていた紙袋を開封してドレスに着替え始める。
すると、胃の辺りが締め付けられて気分が悪い。
普段出す事の無い肩はこんなに細かっただろうか。
暖かいはずの部屋でも、ひんやりと感じる。
ストールか何かを買えば良かったのかもしれない。
髪のセットはお手伝い天使にしてもらった。
長いストレートの黒髪は束ごとに巻く向きを変えられ、それが終わると左側に寄せてかなり高い位置で一度結ばれた。
そして丁寧に、自然な形になるよう巻かれた髪が広げられていく。
結び目が見えなくなるように仕上げられ、フェイスラインに残った左右の髪を内側に向けてセットされる。
その様子を感心して見ていると、どうやったのか最後に髪の光沢を出され、完了した。
いつものセンター分けの前髪も素晴らしい仕上がりである。
「うわあ、いいんじゃない? あたし、いいんじゃない?」
動く甲斐に合わせて、後ろで鏡を持っているお手伝い天使も動く。
パーティシューズを履こうとしている時に、ノックが聞こえた。
校内で履いている革靴をつっかけるようにしてドアを開けると、そこには美人な女性が立っていた。
エレガントな深みのある青のドレスは鎖骨から顎の辺りまで透け感のあるレースで、胸の辺りからスカートの際どいラインまでは群青色のサテン生地がレースの下地になっている。
ノースリーブの大胆なドレスだが丈もミニ過ぎず、上品な色気があった。
手にしているキルティング生地の白いクラッチバッグは金の金具が手首にある華奢なブレスレットとよく合っていた。
「……あっ……ま、間に合ってます……」
「そ、そうね! まだプロムまでは三十分位あるものね! ちょちょちょ、どうして閉めるのよ!?」
「く、クリス……クリスさんですか? す、凄い…誰かと思った……! ていうか乳でかっ!」
「あー、入ってもいい? カイ、メイクしなそうだからしに来たの」
そう言って動揺している甲斐を押しのけて部屋に入ると、鏡台の上にクラッチバッグの中身をぶちまけた。
見慣れないペンのような物や、手術に使う器具の様な銀色の何か、そしてファンデーションらしきコンパクトが沢山出て来た。
「……クリスさんのメイクってあたしの臓器を便利にリメイク! とかですか……?」
「どうして!? お化粧よ!? ほら座って! カイ、ドレスとっても可愛いわ! チューリップみたいね! 愛らしくて抱きしめたくなっちゃう!」
「目、閉じる? うう、びちゃってしたあ……」
鏡台に付いている椅子に甲斐を座らせ、クリスは片膝を立てて甲斐の顔に白いクリームを塗りだしていた。
「クリスは美人過ぎてびっくりしたよ……。目もいつもの二倍はあるんじゃない? 縦も横も……。ドレスもセクシーだし、乳もあるし言う事無いわ……」
「あらありがとう、いつからそんなにお世辞が上手になったのかしら? ああっカイ、目を固く瞑らないで……。ラインが引けないわ……。そうそう」
目を瞑る力加減など分からない。
甲斐はただクリスに言われるがまま、あちらを向いたりこちらを見たり、目を開いたり閉じたりしていた。
「……よし、あんまり濃くしても駄目ね。さ、見て」
ようやく出たお許しにより鏡を見ると、頬と唇に赤みが足され、瞳の周りの化粧のおかげで随分と大人びた顔になっていた。
猫目を強調させられてはいるが、強気そうな少女から小生意気な女性へと変化していた。
若干まつ毛に塗られたマスカラが瞬きの度に下のまつ毛と触れ合うのに違和感を感じる。
「……あたし、イケてるかな?ね ぇどうかな?」
「イケてるイケてる。イケイケゴーゴーよ。さ、行きましょ。バッグは持った? カイ、アクセサリーはどこ?」
「あー……それが、買い忘れちゃって……ハハ。ま、いいから行こうよ!」
さっさとパーティシューズに足を通し、メイク道具を仕舞う手を止めて口を開こうとするクリスを押し出すように部屋を出た。
慣れない高さの靴で階段を下りるのは怖いが、それ以上に他の人の反応が気になった。
お手伝い天使達のセットしてくれた髪は自分の中では魔法のようだったし、クリスがわざわざメイクをしに来てくれた結果、背があればこのままファッションショーにだって出られると思う。
本当にそう思うのだが、初めてここまで気合を入れたので反応が怖くもある。
「気を付けて下りてね、落ちないでよ?」
元々の身長が甲斐よりも高いクリスのヒールは、甲斐の履くパーティシューズよりも低い物だった。
ピンヒールで難なく段差をリズミカルに降りていく彼女の手は手すりも掴んでいない。
両手で手すりをしっかりと握っているのに段差と足の感覚が掴めない甲斐とは大違いだ。
どうにか降りていく中でロビーはずいぶんと静かだったので誰もまだ来ていないのだろうか。
そんな風に思い、顔を上げるとそこには全員同じような顔をして集合していた。
「おいおい……嘘だろ……!」
驚くシェアトはそう言ったきり、口を閉められずにいた。
腕組みをしたまま、肘でシェアトを小突いたのはクリスだった。
「普段のカイも可愛いけど、今夜の彼女は一味違うでしょ? うふふ、私がメイクしたのよ!」
「カイ……? 君はやはり天から来た美麗なる天使だったのか……! 僕は唯一気が付いていたよ…!」
エルガは神学者のように跪いて賛辞の言葉を惜しみなく投げかける。
シェアトの隣に立っていたクリスを後ろから抱き留めたのはルーカスだった。
「クリス、君は美しすぎるよ。こんな普通の僕が隣にいてもいいのかな?」
「あら、ルーカスもう酔っぱらってるの? 私と交互にカイを見てたの、気付かないとでも思った?どうぞゆっくり鑑賞してらしたら? ……ねえ、カイは私がメイクしたのよ!」
「……女って、怖いですね。僕は絶対、パーティで出会った人とは付き合わないようにします」
食い入るように甲斐を眺めた後、クロスの口から出たのはこれだった。
ウィンダムは首を傾げて尋ねる。
「おや、どうしてだい? 魅力的じゃないか?」
「次の日に顔を合わせたら絶対分からないですもん……。朝と夜で顔自体が違うって、僕の理解を越えています……」
「僕のフルラちゃんはいつだって可愛いだろう? ……今は鼻血を出して気絶してるからあれだけど」
「ウィンダム! クロス! ねえ! 私のメイク、凄いでしょ?ねぇ……! フルラのメイクも私が……フルラ……? ハロウィン仕様になってる……」
だらしのない顔をしたまま、甲斐に話しかけるシェアトは今なら何をしても怒らなそうだった。
口々に褒めて貰えた甲斐はようやくいつもの調子を取り戻した。