第三百六十七話 みんなのお買い物
「ふぅ……、たまの外出もいいものですね。疲れましたが日常を忘れられました」
「そうだね…… まさかあんなランチプレートで胃もたれ起こして吐かれるとは思わなかったけど……。返してあたしの三千円……」
遠い目をしてどこかを見ている甲斐の横でギアは涼しい顔をしている。
「出た物の中にアイスは無かったと思うのでセーフです。それにしても生徒にご馳走してもらう日が来るとは思いませんでした。何かの機会があればお返しをさせて頂きますね、では」
持っていた甲斐の紙袋を返すと、ギアの手のひらには跡が付いていた。
跡を消そうとしているのか、気になるのか手をこすり合わせながらギアは先に帰って行った。
どうせ外の移動は少ないとコートも着ずに出て来た事を後悔しながら、沈んでいく太陽を背に甲斐も月組へと急いだ。
「ただいまー。あれ? ナバロも犬もクロスちゃんもまだ?」
この日、買い物に出ていたのは甲斐だけではない。
もう準備を済ませたクリスとフルラはロビーでルーカスとウィンダムと仲良く団らんしていたようだ。
「お帰りなさい、おかげで静かで助かるわ。あら、手も真っ赤よ。ほら早く暖まって。で? カイのドレスはどんなの?」
「それは秘密。でも高いね……ドレスって……」
少し悲しそうに言うと、クリスもくしゃりと顔を歪めて笑った。
「あー……まあそうね。でも晴れ舞台用だし、あのお店のドレスはハズレが無くていいのよ。縫製が甘いと破れちゃったり、一度しか着られなかったり……流行りのデザインだといざまた着ようって時に着られなくなったりするじゃない。でもあそこはそういうのが無いの」
「他のお店は結構安かったんだけど、サイズが合わなかったり……あともうほつれちゃってたりとか……。私もかなり奮発したよう……」
同意を得られて安心した。
やはり金銭感覚は同じようだ。
そっと紙袋を床に置こうとするとエルガが席を空け、そこに置いてくれた。
「カイのドレス姿を見られるのは明日か。どうだい、僕だけの前で先に着て見せてくれないか?」
「あれ、それなら僕も見たいな。おっと。もう……冗談だよ、クリスの目力でそろそろ虫位なら焼き殺せるんじゃない?」
素早く睨みつけられたルーカスは降参のようだ。
ウィンダムは興味のあるふりすらせずに、フルラへ一直線である。
「フルラちゃん、明日はここで待っているからね。一緒に行こう」
ふと、甲斐はプロムについて何も知らないことを思い出した。
「そういえばプロムってどこでやるの? やっぱ食堂?」
「らしいね。下級生達と夕食を取ってから開催されるんだ。食堂がプロム会場になるのが八時からさ。音楽隊も来るらしいよ。成人している三年生にはお酒が振る舞われるしね」
「恐ろしいわ……。あのバカ犬には気を付けてね、カイ」
「この中で成人してない人っていないよね? っていうか、恐ろしいのはクリスとフルラもなんだけど……」
だがそんな甲斐の心配は聞こえないようで、フルラはウィンダムに不安そうな声で話している。
「先生達は出席されないんだって……。それも怖いね……」
二人の酒癖の悪さを知っている者は口をつぐんだ。
自覚が無いと言うのは罪だ。
「なんだ、やけに静かだな。ああ、あいつらはまだなのか」
遅れてビスタニアが帰ってきた。
シェアトがいないだけでこんなにも心地よい静寂になっている。
「お帰りー。良いスーツ買えた?」
「ん? ああ。……お前は良いドレスを買えたのか?」
「そりゃもう。鼻血もんですよ」
「そうか、では明日はハンカチを忘れないようにしないとな。……先に荷物を置いて来る」
大きな紙袋を持ってビスタニアは階段を上がって行く。
彼の軽口に、周囲は驚いていた。
夕食も終わり、再びロビーで談笑していた時だ。
待ちに待ったあの騒がしい声が響いた。
ビスタニアが舌打ちをしたのと同時に扉が開き、激しく言い合っている兄弟のお出ましとなった。
「だーかーら! お前には赤いシャツなんてまだ早ぇっつーの! このませガキが! これは俺みてぇなイケてる男が着るもんだ! まだおねしょしてそうなガキが着て似合うもんじゃねぇんだよ!」
「それは僕が先に見つけたんですよ! 兄さんは僕の障害だ! 返して下さい! ついでに死ね!」
「今俺に死ねっつったか!? 最高の愛情表現だ! シャツを返せだと!? 答えはノーだ! お前は白いシャツ買っただろ! 刺繍だって入ってんだからそれにしとけ!」
「あれは私服用にです! 兄さんだって他のシャツ買ったじゃないですか! この泥棒! 知能指数最低の猿! 留年しろ!」
「ワオワオワオ! よくもそんなに悪口が出て来るもんだな! なるほど! 俺に対して言いたい事はそれだけか!? 明日はそのだっせぇシャツを着て笑い者になりやがれ! チックショウ……誰だ俺の背中に火を点けやがったのは!?」
「俺だ。見苦しい上にやかましい」
ビスタニアに燃やされた白いセーターをシェアトは素早く脱ぎ捨てる。
きちんとビスタニアがそれを消火した。
半裸のまま何か文句を言おうとビスタニアを指さしてみたが、それよりも先に紙袋を引っ掴んで着替えに荒々しく出て行った。
「なんなの……?」
「レジに行った時にあのイカレ野郎……じゃなかった、兄さんが僕のシャツを横取りして来たんですよ……。あっ! 待て!」
まんまと逃げられたことに気が付いたクロスは追い掛けて行った。
私服のクロスは灰色のフード付きパーカーにジーンズというシンプルなものだった。
「シェアトってなんでああなんだろ……?」
とても純粋な声で甲斐が呟いた。
甲斐の肩を抱いて、エルガが窓の外を指さす。
「見てごらん、クロスに襲われてる半裸の変質者が見えるよ。これを冬の風物詩として広めたいな」
窓の外には全力で紙袋を抱えて走るシェアトと、狙いを定めて攻撃魔法を次々に繰り出してはどうにか捉えようとするクロスの姿があった。
額に手を当てて沈黙したビスタニアと、もう何も言えなくなったクリスがソファに沈み込んだ。