第三百六十六話 甲斐の迷い
最初はもう一人の自分へ試着させるのを面白がっていた甲斐も、流石に三十着を越した辺りから嫌になっていた。
クリスの言った通り、ロングドレスはハイヒールを合わせても裾で靴が見えなくなる。
お直しを入れてもいいのだが、このドレスのスタイルは変わってしまうだろう。
このままでもいいのかもしれないが体型に合っているとは言い難い。
そして黒髪だからなのか、希望の黒いドレスが思ったよりも似合わなかった。
もしかしたら顔立ちのせいかもしれないが、どこか暗く見えてしまう。
胸の大きさも多いに関係しているのだろうが、こればかりはどうにもならない。
パットを入れてもいいのかもしれないが、そんな物の為にお金を使うのは馬鹿らしかった。
色も形も最初から考え直さなくてはならず、完全に甲斐の思考はバーストしていた。
「ダメだ……どうしよう……。どれもこれも合わない気がする……」
「黒から離れたらどうですか? 例えば赤とか」
その声に応えるように甲斐二号は赤いドレスを次から次に着ては二人の前で楽しそうに笑った。
出来る限り飾りが無く、ミニタイプという条件に合った店にあるドレスが、二号に着用され、次々に変わっていく。
「あっ! ちょっと二号ちゃん、戻して戻して! ……それそれ!」
目に留まったのはオフショルダーの真紅のドレスだった。
膝上十五センチの思い切ったミニ丈だが、裾にはチュールが重ねられ、ウエストは絞られ、スカートの部分は左右から花弁の様に重なっている。
二号は二人の前でふわりとスカートを広げるように回った。
「これ可愛い! これにする! ……あ、どう?」
「可愛いですよ、ボーダーと同じ位に」
「そういう反応に困る事言うのやめてよ……。よし、じゃあ次は靴とバッグとアクセだ!」
この店にはドレスだけでなく、靴やアクセサリーなど、一式が揃うようになっていた。
そのおかげで卒業プロムに向けての下見なのか、人形のような顔とスタイルの女の子達でにぎわっている。
「本来のプロムはこの時期にやりませんから、恐らくパーティ用でしょう。どうです、そのヒールで歩けるんですか?」
せめて足元は黒にしようと、Tラインいっぱいにパールが付いたパーティシューズを履いた甲斐は十五センチのヒールにより、ぐっと背が高くなっていた。
普段と違った視界と、爪先近くの足の肉にかかる負担に顔を強張らせながらゆっくりと歩いてみる。
こればかりは二号に履いて貰っても仕方がない。
「お? 意外と大丈夫だ……。こんな心もとないヒールなのに凄いね。でもダッシュとか出来るかなあ…」
「プロムというのは運動会の事ではありませんよ。五十メートル走でもなんでもしたいのであればどうぞ外で。まだ雪もありますが」
「じゃあこれと……あとはアクセだね……。あ、もう二号がしてる……。でもこのネックレス可愛いな。あれ……? そういえばこれドレスと合わせていくらなんだろ…?」
値札をギアに持たせたスカートの中から漁って確認する。
ひゅっと息を吸い込んだ。
履いていたパーティシューズを片方脱ぎ捨て、靴底に貼ってある値札を見る。
ぶはっと息が出た。
「な、なに? ドレスで五万九千円……? 靴で四万八千……円?あたしバイトしたのは六日間だよ……? ランランからの気持ちで貸して貰ったのはプラス五万……」
そんな甲斐の呟きを無視して二号は首にしているネックレスをねだるようにいじっている。
二連の黒真珠が互い違いの場所に編み込まれ、大小様々な大きさで大きく開いた胸元が綺麗に見える。
値段を見せるように求めると二号はにこっと笑って値札を指さした。
「あ、ダメだ。これガチのパールでしょ……。これで五万八千円……税込。……これが普通なの? みんな金持ちなの?」
「……他も見てみましょうか。私に遠慮する事無いですよ、今日は一日許可が下りているので。きっとドレ…スも靴も他にもありますよ」
「……いや、いい。ここで買ってくよ。確かにドレスってそんなに着る物じゃないし……。日本でいう卒業式に袴着るみたいなもんだよね……。アクセサリーは無くていいや」
さっきからこの店にいる女の子達が口々に安い等と言っているのも聞こえていた。
それにこの店を紹介してくれたクリスも同じ気持ちだったのだろうか。
もしかすると先に沢山の店を見て来たクリスもフルラもここで買ったのだから、他の店はいまいちなのかもしれない。
これ以上あても無くドレス探しにギアを連れ回すのも悪い気がした。
昼食もまだだったのでお腹も空いている。
三千円程余ったのでギアにアイスでも奢って、せっかく来たのでウィンドウショッピングもしたい。
このドレスも靴も、とても気に入っていた。
二号のしているネックレスは確かに素敵だ。
しかし、それが無くてもいいじゃないか。
会計を済ませて店の外で待っていたギアの元に戻ると、にやりと不気味に笑っていた。
励まそうとしているのだろうか。
「アイス、食べてこ。あとなんか旨い物も。三千円以内なら奢るよ」
「生憎生徒に奢られるほど落ちぶれてはいないので結構です」
「え? 聞こえない。それに今は兄貴なんでしょ。可愛い妹からのお礼だよ」
小さな声で反論されたが、甲斐もにやりと笑う。
チョコチップクリームをギアが、ストロベリークラッシュを甲斐が注文し、大人しく甲斐に会計を任せたギアはどこか居心地が悪そうだった。
それはきっとこのファンシーな店内のせいだろう。
フェダインの食堂で食べるアイスよりとにかく甘味に特化しておりチープな味がしたが、食べ終わるのが勿体無いくらい美味しかった。