第三百六十五話 ギア先生とお買い物
「はい、じゃあ行きますよ。はぁ……」
「溜息がでかいな~。おおわっ」
落ちていくような感覚が容赦なく襲い来る。
悲鳴を出そうとした時にはもう、足が地面を踏みしめていた。
街中に行くというのでギアはいつもの囚人のような服から、明らかに着慣れていないスーツを着ていた。
ただまるで葬儀用かと思う程黒く、シャツには普段の服への未練を象徴するかの如く、白地に黒の細い線が縦に等間隔で入っている。
しかし首元にネクタイは無く、ジャケットの前も開けたままなので役目を果たせなかった金のボタンは無念そうに付いていた。
普段履いているブーツから革靴に変わった足元も、結局は黒なので代わり映えしない。
幸い細身の長身という恵まれたスタイルだが、光の無い瞳が影を作る。
甲斐と出会った当初、髪は胸の辺りでそのままハサミを横に入れたような状態だったが、今は少し伸ばしているらしい。
お手伝い天使に切ってもらう時間すら無いせいか長さが揃っていないため、どうにかしようとその辺にあった紐で結んだようだ。
一方で甲斐の私服はワンピースの寝間着しかこの世界には存在しない。
その為、今日は制服姿に封筒のみを握りしめ、初めての海外のショッピング街へと繰り出していた。
行き先は日本でも良かったのだが、この世界の甲斐の知り合いに出くわすと面倒なので国ごと思い切り外してみた。
クリスに勧められたショッピングモールを歩く。
買い物は嫌いではない甲斐は、至る所で魔法が使われた演出の店内に気分が上がってきた。
「見た!? このマネキン、一瞬で服が変わったよ! でも裸の瞬間は見れないんだよね……どうなってんだこれ」
「こらこら、あまりはしゃがない。宇宙人の偵察だと思われますから」
「なにさ! 驚かないけど、たまに買い物とか来るの? ていうか自宅ってどこ?」
「自宅? フェダインですよ。基本的にこういった特例が無い限りは学校からも出られません。だからはしゃぎたくなる気持ちも分かります」
当然だという風にさらりと言ってのけたが、甲斐からすれば驚きだった。
他の教員もそうだが、トレントは特殊だとしても謎が多い。
「え? 住んでるの? いや、あたしも住んでるけど……。休みの日はあるよね?」
「はい、一応教員には生徒の四倍の広さの部屋が与えられるのでそこに住んでいます。買い物もネットワークがあるのでカタログなどを見てお手伝い天使に頼んでありますし、不便はしていません。ただこうして特例で外出する際は監視魔法がかけられますね、例外無く」
「……な、なんでそんな軟禁状態なの……? 囚人服ってやっぱり……」
「守秘義務がありますからね。私も色々知ってしまっているので、外出した際に漏らされても困るでしょう。監視魔法も私のような聖人からしたら重さの無い枷ですから。それに、皆それを承知でフェダインで教員として働いているので。誰も文句は言わないですよ」
家族の事などを聞きそうになったが、こんな場所で聞く話でもないだろう。
やはり高い志を持っていれば、郷愁の想いすらも捨て置けるのだろうか。
それとも、絡み合った複雑な事情がやはりあるのだろうか。
教員達の事を思うと何故か切なくなった。
「さあ、ドレスはどこです? ここですか?」
「そこは下着屋だし分かってて入ってんだろお前」
「ああそうですか。じゃあ早く案内して下さい。そうだ、貴方と私には言語共通魔法がかけられていますから店員とも難なく話せます。……疲れましたね、あんな所にアイスの看板がある。では」
「行かせないよ? 体力無さすぎんだろ! それでも教しっ……」
甲斐の頭を胸元にうずめて黙らせたギアは周囲に素早く目を走らせた。
離れようともがく甲斐の力ではびくともしない。
ようやく顔が離れ、潰された鼻を擦っているとはにかむような笑顔が目の前に現れた。
それはまるで恋人に対して悪戯をした後に見せるような表情で、流石に凍り付いているとドスの利いた声が聞こえた。
「言い忘れてました、私の事は大声で教師なんて呼ばないように。ここで何があるか分かりませんから。そうですね、ボーダーとでも呼んで下さい。恋人とのデートでもいいですし、とにかく適当な関係性でお願いします。ああ、兄妹でいいんじゃないですか。 守れないなら口封じをしますのでそのつもりで……」
全く唇を動かさずに言うギアが恐ろしく、激しく頷くしか無かった。
道行く人はカップルが戯れていると思ったらしく口笛を吹いたり、感化されたのか密着し始めた。
「ボーダーの兄貴、あっちの店に行きやしょう!」
「そうきましたか……」
ドレスショップは薄暗く、鼓膜を破壊する目的があるような音量でクラブミュージックが流れている。
様々なドレスを着てモデルのような女性が闊歩しているので避けて歩くと、ギアが笑いながら彼女達に手を伸ばした。
すると流し目をした後、そっと手を重ねた。
だが、その手がギアの手をすり抜けていったのを見逃さなかった。
すぐに踵を返し、また店内に入って来た客へ服を見せびらかしに行ってしまったが、どうやら彼女達は映像らしい。
「さあ、どれに致します?」
「うーん……黒の……胸の辺りはちゃんと隠れて……うーん……」
鏡を見ていると、中から今の甲斐と同じ容姿、そして同じ制服を来た甲斐そのものが飛び出してきた。
制服姿の甲斐はにこにこしたまま立っている。
「ギギッギギッ!? じゃなくてボーダー! こんなとこにいたよ!」
「大丈夫、これも魔法です。貴女が一着一着着るよりも彼女に着てもらった方が早いでしょう」
試しに適当に選んだドレスを自分にあてると鏡から飛び出した甲斐二号は制服からあてたドレスに早変わりした。
「凄い……でも変わる瞬間ってやっぱり全裸なんだろうか……? 光とかで大事な部分は包まれて……」
「いいからちゃっちゃと選ぶ! ほら次々着せる!」
「やめてやめて! ボーダーを着せないで!」