第三百六十四話 ドレス談義
「それでね、フルラはパニエ付きで……」
甲斐は夕食時に皆から質問攻めにあうのを回避しようと、クリスへドレスの相談を持ち掛けたのが間違いだった。
水を得た魚のように、いや、まるで海に放たれた鮪の様に生き生きとドレスについて語られてから二時間が経った。
最初は知らない単語やイメージ出来ないドレスについて一つ一つを聞いていたが、それも彼女のエンジンを温めてしまったようだ。
ペンと紙を持って輝く笑顔でドレスを書いては見せて来るやり取りにうんざりしているのは甲斐だけではなかった。
書いて見せられる度に、甲斐は寝そべっているソファから体を起こすといった動作のせいで酔いそうだった。
「パニーニだかなんだか知らねぇけどまだその講演は続くのか?」
「パ・ニ・エ! パニエよ! シェアトにとってはトランクスもブリーフも同じなのかしら!?」
「分かった、分かったから……。そ、それでそのパンツがなんだって……?」
これ以上伸びては堪らない。
早々に切り上げたい甲斐はパンク寸前だった。
「ほら見ろ! 詰め込み過ぎてカイが誤作動起こしてんじゃねぇか!」
「何よ……予備知識があった方が良いかなって思っただけよ……。ねぇカイ、私ばかり話しちゃったわね! 着てみたいドレスを描いてみて!」
ペンを渡されたので甲斐は受け取って言われた通り描き始めた。
様子を離れた場所で見守っているフルラとウィンダムにルーカスがそっと近づいていた。
「この前はクリスと買い物に行ってくれてありがとう。……大変じゃなかった?」
「……まさかクリスちゃんが ショッピングモールの全店舗に入ると思わなかったのと……、公共交通機関を使ってまで他の地区のショップを回ったのはびっくりしたくらいで……。でもおかげで可愛いドレスに靴も買えたから……。試着も店ごとに全ドレスを着るなんて思いもしなかったかな……。えへへ……。お茶の時間は無かったけど……楽しかったよ……」
「なんて言ったらいいのか……。フルラ……次は迷子のふりをして逃げるんだ、いいね……?」
蒼白になったルーカスはフルラの両肩を掴み、目を見開いて忠告する。
しかしその横からウィンダムがルーカスの肩を慰めるように叩いた。
「君もいつか味わうだろうね、その時は荷物持ちをしてあげるんだ。……鍛えておいた方が賢明だと思うよ。スタミナを付けるんだ、ああ、あと待ち時間を潰せるように法律全書でも買っておいたらどうだい? 数千ページもあればきっと大丈夫さ」
「出来たー。ほい、こんな感じ」
興味の無いふりをしていたクロスも本の文字から目を外した。
甲斐が両手で掲げている紙にはけばけばしい女性が描かれており、ぴったりとしたロングドレスのスリットからはすらりと長い足がスリットから伸びていた。
「色は黒とかで、出来る限りリボンとかフリルとか無い奴がいいな」
「全身鏡は頼めば天使達がくれるんだ、悪いな……教えてやらなくて……。この学校は身体測定が無いけどお前がその絵の通りのスタイルなら、お前よりでかい俺達は三メートルを超えてるぜ。まさかマジでそう思ってたのか?」
シェアトが同情しているように甲斐を見た。
その反応が不服らしく、クリスに助けを求めるように視線を投げかける。
「 ……わお。…そうね、凄く……絵が、上手ね……。それに……ドレスも、素敵ね……。……あー…ただ、カイには……もっと……そうね、キュートなデザインの方が似合うと思うの! 短めで…」
「ダメ……?」
縋るような目をしてみたが、クリスは曖昧に笑っている。
「うーん……ドレスなんて着た事ないからなぁ……。でもクリスがそう言うならそうなんだよね」
甲斐は片手でシェアトの首を絞めながらドレスの絵に目を落とした。
おそらくタイトなドレスが着たいのだろうが、そういったドレスはグラマーでめりはりのある体つきをした女性の方が良く似合う。
何よりロングドレスを着るには甲斐の身長が足りないのだ。
高いヒールを履いたとしても、履き慣れないヒールで長時間ホールで踊ったりする事を考えるとやはり別のドレスの方が良さそうだ。
「でもここで提案したドレスが無かったらどうするんだい? オーダーメイドをしている時間は無いよ。とにかく明日、カイが着たいものを選んで来たらいいさ。ファッションショーに出るんじゃないから、気に入ったドレスで堂々と笑う君が見れたらそれでいいと僕は思うね」
助け舟を出したのはエルガだった。
クロスはこのやり取りに興味を失ったらしく、本を読んでいるふりをしていた。
シェアトがどかりと隣に座ったので、思わず本音がこぼれる。
「僕と兄さんも明日実家に帰ってプロムの用意をするのが面倒だなと思ってましたが、女性に比べたらただ制服がかっちりしたようなものですしなんてことないですね……」
「お前、プロムは俺達とばっかいなくてもいいんだぜ?誘われてんだろ、どうせ女達に。そいつらとは行かないのか?」
「何が悲しくて話した事も無い女の子と行くんですか。それに誘って来る人達は声の周波数が同じなのか誰が誰なのかも分かりませんし……」
普段のお愛想モードのクロスからは考えられないほどの顔のしかめ方をしている。
「ほーん? いいなとか思ってる奴もいねぇのか? ああ、難しく考えるなよ。単純に、自分の本能に従え。例えば脱がせた時を考えて胸の大きさはどの位がいいとか……」
「黙りなさい……! もっと兄として弟に教えてあげる事はないわけ!? なっさけない!」
「ああ、じゃあプロムの時の女の扱いでも教えてやるよ。 例えおかしな花飾りが頭に咲いてたとしても余計な事は言うなよ? 『その花は脳ミソを養分にしてるんですか?』なんて言ってみろ、地獄の門が開くぞ。一に可愛い、二に君が一番かわいい、三を飛ばして十に飛べ! こう、若干無理やりにでもバッコ……」
バッコン、とシェアトの頭を手近にあった筆箱で殴りつけたクリスは息が荒かった。