第三百六十三話 外出許可は下りました
習慣になってしまい、朝食の準備の時間に目が覚めた甲斐は、寝ているかもしれないランフランクを訪ねたところ、早い時間から仕事を始めていたのかそれとも昨夜からずっと起きていたのか。
背筋を伸ばして机に向かっていたのは驚いた。
「では、これが支給分だ。事情を知らぬ者には仕事の事も言わぬように」
「ありがとうございますっ! ……ほらー、ランラン! やっぱりだ」
受け取った瞬間に封筒の中身を確認すると、眉を吊り上げて甲斐は怒りだした。
その中から初めて見る色で印刷された紙幣を数枚抜き取り、ランフランクの机に置いた。
「多いよ、五万も! やると思ったんだ。これじゃあ意味ないんだってば! ただでさえ不要な調理場に新人として入れてもらったっていうのに……」
眉を吊り上げて怒っている甲斐に、ランフランクは目を丸くさせる。
「ランラン、ありがとう。気持ちは嬉しいけど、お金の事はきっちりしたいから」
「……私は、君達を子供のように思っている。そして君は、異世界人であり、この世界に家族呼べる者はいない。どうだ、少しは私に親代わりの良い思いをさせてはくれないか。残念ながらまだ良き妻を探している途中でな、子供もまだいないのだ。一人寂しい老人に、一度くらい恰好をつけさせてくれても良かろう」
即座に斬り捨てることは出来なかった。
そんな風に言うのは、ずるいと思った。
ここに来てから、異世界人という異質な存在である者を前にしても拒絶せず、ここに残れるようにと計らってくれた。
安全に暮らせるよう、盾になり、甲斐の知らぬ世界で前線に立ち続けてくれたのは誰でもない、ランフランクだ。
忙しい日常に追われながらも、彼のおかげで毎日楽しく過ごすことが出来た。
頼み込む形で押し寄せる、この優しさにこのまま甘えてもいいのだろうか。
学校という場なのにも関わらず、仕事を紹介してくれた恩もある。
迷っていると、ランフランクが咳払いをして視線を引いた。
「ではこうしよう。私がこの先老いぼれて、明日の食事に困った時にこの金を返してくれ。君を銀行代わりにさせてもらおう」
「……そうですね、じゃあその時は何倍にもして返します。ああ、これを元金として働いてからお返しします。利息分はいつか来るかもしれないその時にでも……」
「さて、お茶でもどうかと言いたいところだが……これから一人来客がるものでな。明日はギアと買い物の日だろう。ゆっくり羽を伸ばして休みなさい。友人達も待っているはずだ」
手を出しにくいのが分かったのか、ランフランクの方から机の上の札を消し去った。
甲斐の持つ封筒の厚みが変わったかは分からないが、確認するのも野暮だろうと甲斐は深く一礼をして部屋を出た。
昨日の夜、甲斐が最後の勤務を終えた時にお手伝い天使たちがラッパを吹き鳴らして世界の終末が訪れたのかと固まっていると、豪勢なケーキが手渡された。
余りの重みに取り落としそうになったがどうにか持ちこたえると、お手伝い天使達は集合して甲斐の頭を撫でたり、頬を指で突いたりと少しでも触ろうとしていた。
そんな小さな彼らがなんだかとてもいじらしくて、目頭が熱くなったが大きな声でお礼を叫び、体を前に倒すとケーキに顔が突っ込んだ。
甲斐の笑い声以外は聞こえないはずの調理場で、どっと沢山の小さな笑いが起こったように感じた。
これは、きっと気のせいではなかったはずだ。
食堂でまず、皆に何を話そう。
高鳴る胸は、喜びに溢れた。
「……さて、待たせたな。入りたまえ」
「失礼します、早朝から申し訳ございません」
礼儀正しく挨拶をしたのはビスタニアだった。
「構わんよ、時間を指定しなかったのは私だ。忘れなければそれでいい。さて、これが給金だ。……色を付けてはおらんのだが、許してくれるか?」
「構いません、最後の最後に我がままを言ってしまい申し訳ありませんでした」
「いや、君の家庭の事情もよく分かっている。これでプロムに出られるな」
一つ下のフロアの階段で、甲斐とエルガの会話を耳にした日。
仕事を貰いにランフランクの元を訪れていたのは甲斐だけではなかった。
プロムの準備の為にと言うと、案外あっさり許可をして貰えたのだが、元々体力派ではないビスタニアにとっては過酷な数日間となった。
仕事場は、普段生徒達が目にする事も入る事もないランドリーである。
仕事内容としてはとにかく全校生徒のクローゼット内に入っている制服やタオルに下着、担当のお手伝い天使が回収して来たシーツやカバーの洗濯だ。
魔法で行うと言っても、色や素材で分ける事を知ったのは何度も空高く浮かされてからだった。
人によって使う洗剤や柔軟剤が違うらしく、組み分けられているカゴも最初は何で分けているのか、どれが誰の物で何組のどの部屋なのかも最初はちんぷんかんぷんだった。
たまにこの世の柔軟剤を一つにまとめる政策を打ち出せばいいのに、といった言い知れぬ怒りが湧いてきたが、やがてそんな事を思う暇も無くなった。
乾燥させた衣類のアイロンがけも初めてだった。
どの位熱にあてるものなのか分からず、とりあえずアイロンを乗せてじっと待っていると煙が上がり出し、またお手伝い天使達に空中に連れて行かれた。
タオルの畳み方も全て限界まで小さくしてみたが、お手伝い天使は笑ったまま顔色を赤くして激しく左右に震え出したので違ったようだ。
手本を真似ると、なるほど確かに今までの生活で使って来た形状になる。
この中のどれかが、甲斐の元にいくのだと思うと疲れていても頑張れた。
少しでも多くを自分が仕上げたい。
そしてみるみる仕事が上達し、早くなるのを感じた。
これは、昨日までの話だ。
明日は買い物に行かなければプロムに間に合わない。
とっくに外出許可は取っておいた。
「ええ、感謝しています。校長」