第三百五十八話 ビスタニアの進む道
ビスタニアがエルガを友人だと言い切ると、またも驚いたようだ。
父の顔を見ていると、してやったりといった気持ちになった。
「友人? お前はどこまでもめでたいな。説教をするつもりはないが、相手はお前をそうは思っていないだろうな」
すぐにサクリダイスは攻撃態勢へと変わる。
「何を知っているというのだ? そしてお前は、あいつの本当の姿を知ればそんな陳腐な言葉で飾った関係も一瞬で消え去るだろう。……憧れと友情は違うぞ?ん?」
ここでどう弁解したとしても、サクリダイスに理解をして貰う事など出来ないだろう。
そもそも、そんな事は望んではいない。
憧れと友情は違う?
そんな事、言われなくても分かっている。
怒りなど湧かなかった。
恐らくこの先、毎日いくら話し合っても分かり合えないだろうから。
平行線はどこまでいっても平行で、交わることなどないのだ。
ただ一つ。
この話をして良かったと思ったのは、サクリダイスがこのフェダインでの生活を覗き見ているかもしれないという僅かな可能性が完全に無くなった事だった。
もしも見ているのであれば、こんな薄い言葉は出なかっただろう。
それに世界的機関のトップなのだ、息子の学生生活を覗き続けるような時間も無いだろう。
沈黙を肯定と捉え、気を良くしたサクリダイスは眼鏡の位置を直すと前のめりになった。
「……それで、お前は首席だったな? ここでは親子の会話ではなく、防衛長と一学徒の会話を望んでいる。分かるな?」
ビスタニアが頷くとサクリダイスは喉を鳴らした。
「我が機関に入る手続きを進めておく、お前は残りの期間で面接練習にでも明け暮れておけ。必要最低限の知識だけではなく高みを目指すんだ」
生きてきた中で最も多く描いた瞬間が訪れた。
何度も祝福の言葉を述べる父に、気の利いた答えを堂々と返す自分をイメージしていた。
考えるだけであんなにも高ぶった気持ちすらも、こうならなければと思い込んだものだったのではないだろうか。
それほどまでに、こうして動き始めた未来に対してビスタニアの心には何の感情も顔を出しては来なかった。
やっぱりこの話が出てしまったかというような面倒さばかりが首をもたげている。
いつになく機嫌が良さそうな父の口元に刻まれた皺を見てこの人も年を取ったのだなと考えていた。
一度自分の足元に視線を移す。
毎年サイズが大きくなるのでその度仕立て直していた靴も、去年は買わずに済んだ。
ビスタニア・ナヴァロの器は『完成』したのだ。
これからは、ちっぽけだった中身を器を破るほどに大きく、ずっしりとしたものに成長させていくのだ。
沈黙を不審に思ったのだろう、サクリダイスが不機嫌な声を出した。
「……まさか、辞退するなどと言わんだろうな? ん?」
その通りだった。
順位を見た時は確かにそう決意していた。
あんなにも目指していた父の背中はいつの間にか、自分の中で小さな物に変わっていた。
ナヴァロ家の為に、名に恥じぬよう、常に努力し、手を抜いたことなどない。
そしてそれは確かに礎となったのだ。
何一つ、無駄なことなどない。
だが、自分は変わったのだ。
変わることができたのだ。
道を、選ばなければと思った。
これからは自分の為に、自分の人生を歩まなければと。
「いえ、必ずや合格し……防衛長の力となってみせます」
だからこそ、防衛機関に入ろうと決めた。
家のためでもなく、父のためでもない。
自分で決めた、この道を歩んでいこうと。
満足そうに志願者となった息子を見ると、サクリダイスは嫌な笑いを浮かべて立ち上がった。
もう話は無いという合図だと受け取り、一礼してから部屋を出た。
次はクロスの番だ。
監視訳としての務めを本当に期待されていなかったらしく、話題にすら上らなかった。
その分、クロスがうるさく言われるのかと思うと申し訳なく思う。
防衛機関の話を受けると決めたのは、ミカイルと話してからだった。
恐らく首席を譲ってくれたのも、他の者に対しての計らいの意味は確かにあったのかもしれないが、確実にナヴァロ家の事を考えての事でもあったのだろう。
有無を言わさずその席へ押し込められたが、それは卒業の思い出にというような計らいのあるセンチメンタルな物ではない。
進むべき道にあった大岩を砕いて貰ったはいいが、戻る道も同時に潰されているような気がした。
礼など言わないし、聞きたくも無いだろう。
その代わり進んで行く様を見せなければならない。
それが言葉無き二人の約束だ。
「お疲れ様でした! ……卒業祝いのパーティプランでも立てて来たんですか?」
にやついているビスタニアを見てとうとうストレスで気が触れたかもしれないと思いつつ、平静を装ってクロスが話しかけた。
「……よく分かるな。ケーキはとびきり大きい物にしてくれとねだって来たんだ」
「そりゃ凄いですね! じゃあ僕はBGMのリクエストでもして来ようかな。開催はビスタニア先輩の家ですよね?」
顔を見合わせて吹き出すと、ひとしきり笑った後に拳をぶつけ合い、クロスを見送った。
誰もいない校長室はどこか懐かしい匂いがした。
古い本の匂いと、染みついたコーヒーの香りなのか。
部屋というのは家主を映すというが、この懐かしさも、暖かみもその全てがランフランクを象徴しているような気がした。
暖色の明かりの下で座ってると程良い眠気がやって来る。
三年間過ごした部屋を離れる。
そしてまた新しい家主により、部屋もまた変わるのだろう。
そこは誰かにとってこうして落ち着けるものになるだろうか。
とりあえず、照明は今よりもっと淡いものにしよう。
あいつが何度でも来たくなるような、知らぬ内に眠気に襲われてしまうような。
暖かな室温を保って、そっと掛けてやれるブランケットも必要だ。
必要最低限でいいと、勉強机と眠るだけの部屋にしてしまった今の部屋に申し訳ない。
ああ、そうだ。
たまにやかましい奴らが訪れるだろう。
常識が無い奴もいるからいつ現れてもいいように、多目に椅子も用意しなくては。
知らなかったんだ。
ウィンダム以外の誰かが自分の部屋に来るなんて。
椅子は二つで十分だと、そう思っていたんだから。