第三百四十七話 二人の喧嘩は加速して
もやもやとしているのは胸の辺り、いや、もしかすると胃なのだろうか。
シェアトと一定の距離を保ったまま、午前最後の実技試験を終えて食堂へ向かう甲斐はみぞおちの辺りを擦りながら歩いていた。
人に何かを期待をするほど幼くもないし、無言を貫いているのに自分の気持ちを察して欲しいなんて言うほど面倒な女でもないつもりだ。
それなのに、心の何処かでは背後にいる彼の歩幅が速まるのを待っている。
何処から出しているのか今にも鼓膜を切り裂きそうな高い声に交じって、聞きなれた低い声が気さくに笑っている。
とてもじゃないが、振り返る勇気は無かった。
こんなにも、食堂までの道は長かっただろうか。
「……カイ達大丈夫かしら。険悪だったわね、朝も」
「あ、来たみたいだよ……。ああ、うん。ダメみたいだ。カイの顔が前に日本について調べた時に見たハンニャっていう鬼の顔にそっくりだもん」
クリスはルーカスの言う般若というものを見た事が無いが、甲斐の表情を見た途端にとても恐ろしい物だと理解出来たようだ。
「お、おかえりカイちゃ……ううえぇぇん……」
「笑ってた子も泣き出す迫力か……。どうやら事態は悪化したみたいだね。カイちゃんの髪の毛が邪悪な覇気によって広がっているように見えるよ」
ウィンダムはフルラの泣き顔を見て楽しそうに笑ったが、エルガは普段通り甲斐にだけ優しく声を掛けた。
「お帰りカイ、実技はどうだった? 僕? 僕はパーフェクトさ! それ以外の言葉は僕に似合わないしね」
「あたしも問題無かったよ! さあて何から食べようかなー」
甲斐は明らかに無理して笑うせいでその顔はますます邪気をはらんでいる。
遅れてシェアトが双子の姉妹と共に食堂へ現れた。
それを見たクリスの顔といったら、まるで甲斐と般若の姉妹のようになってしまっている。
そして誰もがまず最初にシェアト、そしてその両脇にいる双子の巨乳姉妹を見て、甲斐から放たれている妖気に合点がいったようだ。
「自分の兄としても情けない限りです……。問題を先送りどころか悪化させるとは……」
「今すぐここに座りなさいこのノータリン!」
いつの間に後ろに回っていたのか、クリスが髪の毛を頭頂部からわし掴んで引っ張って来る時にシェアトの両脇にいた双子は金切り声を上げていたが、彼女の獣の目を見て押し黙った。
シェアトは抵抗しようにも視界が床に固定されているので顔を上げられず、そのまま席まで情けない形で連行された。
「ノータリンってなんだよ!? 人違いじゃねぇの!? 離せよ!」
「脳ミソが足りてないからノータリンよ! 貴方を現すには最適な言葉ね!」
皆の元に連れて来られたシェアトを待っていたのはそれは冷ややかな視線である。
心底呆れた声でビスタニアがナイフをシェアトに突きつけながら、甲斐に聞こえないように吐き捨てる。
「貴様はどこまで最低なんだ。昨夜の話し合いは無駄だったのか? それともあいつに嫌われたくてやっているのか?」
「何のことだよ……? ……ああ……。あいつらとはなんでもねぇし、ただ話してただけだろ?」
シェアトの言葉にビスタニアはとうとう顔を背けてしまった。
頭を掻き毟り、面倒臭いという顔をすると甲斐の横まで大股で歩み寄る。
「カイ! お前もいつからこの糞女……じゃなかったな、クリスと似たようなもじもじちゃんになったんだ!? 言いたい事があるなら言えばいいじゃねえか! めんどくせえな!」
「呆れた! 今まで何度も呆れて来たけど今回は格別よ! 貴方、カイを放っておいて金髪と銀髪と仲良くするってどういうことなの!? 当てつけのつもり!? 悪いけど、私達はカイに酷い事をするような人とは付き合う気は無いわよ!」
「勘弁してくれ! なんだよ、女友達がいちゃ悪いのかよ!? カイだってただひたすら俺の事を無視してたんだから俺が誰と何を話そうが自由なはずだ! 朝だって見たか!? 俺を! 置いて! 食事に! 行った! それに対しては誰も何も異議を唱えないんだな!」
料理の乗っているテーブルを拳で何度も叩きながら怒鳴るシェアトも、限界のようだ。
煮え切らない互いの態度も、解決しない問題も、雰囲気の悪い食事も。
「あーあー、よく分かった! 俺の事を本気で犬か何かだと思ってんのか!? ふざけんじゃねぇ! お前さっき『私達』っつったな!? んな訳の分かんねえ理由で付き合いやめられんのかよ! ハッ、いいねえ! 願い下げだぜ!」
テーブルが割れたのではないかと思うような音が響き、皿が浮き上がり、何本かカトラリーは床に落ちた。
甲斐が拳でテーブルを殴りつけたのだ。
「もういいから。本当に。シェアトの言う通りだよ、あたし、今朝はどうしてもシェアトと行く気になれなかったんだ。ごめんね。一言も言わずに待たせたのは悪いと思った。すぐ謝れなかったのは意地張ってたのかも。でももう別に、許さなくていいから」
般若が成りを潜め、代わりに似合わないような笑顔を浮かべてる甲斐は席を立った。
その冷静さと素直さにシェアトは何も言えず、困惑したような表情を浮かべている。
「シェアト、あたしはこれから別行動するよ。あの双子の子達と仲良くなれそうもないし、向こうもあたしがいない方が良いと思うから。たまには、話そうね」
にひっと笑った甲斐は普段通りだった。
鞄を肩にかけてフルラのおさげを上に持ち上げてから試験へと先に向かう甲斐が食堂を出てから、シェアトの両脇に座っているエルガとビスタニアはシェアトの頭を一発、思い切り殴りつけた。