第三十三話 あなたの価値は何グラム?
トレントがいなくなってからどの位経っただろう。
そもそもこの先の見えない穴はどこまで伸びているのだろうか。
そっとルーカスにシェアトが近付くと、目線だけがようやくこちらを向いた。
「どうしたんだよ、お前。体調悪そうだぞ」
「そうかな、ここが薄暗いからそう見えるんじゃない?」
「確かにルーカス、君の様子はおかしい。そしてこの薄暗い中でもカイの漆黒の髪の毛は白い肌を更に際立たせてとても美しいよ!」
皆にそう言われながらも、壁に寄り掛かり深く息を吐くルーカスの前に甲斐が心配そうにやって来た。
「ルーカス、トレント先生の事嫌いなの? その気持ち分かる、あたしもエルガがあたしに向けて言う下らない言葉を聞く度にそんな顔になりそうだもの」
「……トレント先生は才能に溢れた素晴らしい方だよ。……そうだね、きっとまだトレント先生も時間がかかるだろうしいい機会だから話しておこうかな。一年生の時に借りてから……どうしてかな。……すっかり忘れかけてたんだ」
とても小さく息を吐き出すと、トレントが出して行った黄金の天秤を見ながらルーカスが話を始めた。
「……魔力器は家族に買ってもらう人もこの学校にはいるけど、僕の家は残念ながら普通の家庭だから僕もトレント先生から借りてるんだ。それに、僕の場合は特殊で日によって使える魔法の力が微弱な時もあるんだ。……未熟だから、だろうけどね……」
小さく言ったその言葉は、皆の耳に届いた。
ばつが悪そうに笑ってみせたルーカスは話を続ける。
「だから常に一定の力を引き出してもらえる魔力器じゃないとダメだけど、ここならどんな生徒にも見合った物を用意してくれるから」
魔力器自体がどれだけの値打ちがする物なのか、甲斐もなんとなくだが分かってきた。
そしてこの学校はかなり優秀な者が集まっているのだ、上流階級の家庭の子が多くてもおかしくはない。
「勿論、例外なく僕も天秤に掛けたよ。ここへ来る前に中々会えなくなるからと母さんから貰った家族の写真の入ったペンダント、父さんが僕が休みの日に退屈しないようにと苦労して揃えてくれた僕のお気に入りの画家の画集。……分かってる、最低なのは分かってるよ。でも、僕には他に何も無かったんだ」
誰も何も言わなかった。
いや、言えなかった。
話すルーカスの声はとても悲しそうで、そして話すごとに忘れてしまっていた自分を責めるような口調だった。
「でも、それでも魔力器の方が重かったんだ。あんな小さな指輪なのに。分厚い画集を積み重ねても、少ししか傾かなかった。だから、僕は……自分を天秤に掛けたんだ」
「自分を?」
甲斐がようやく声を出した。
シェアトは眉間に皺を寄せたまま腕を組んで、壁に寄り掛かったまま聞いている。
問い掛けた甲斐にルーカスはぎこちなく笑うと、再び天秤を見たまま話に戻った。
「あの当時の僕は、元々引っ込み思案で自信が無くて……学校でもいつも周りの目を気にしていた。消極的でいつも家にいるようなタイプだったから、本も勉強も好きだった。自分次第でどうにでもなる世界だったから。でも、それだけだった。この学校の事は知ってたよ、世界的に有名だもの。ただ、僕なんてそもそも縁が無いと思ってた。……応募してくれたのは両親だった」
ルーカスが天秤の大人が何人も乗れそうな皿を少し手で押すと、簡単に天秤棒が上下した。
金色の皿が壁の光を動く度に反射して、光を散らす。
「奇跡……本当に奇跡が起きたんだ、ここに受かったんだから。僕自身変われるんじゃないかと思った。でも、やっぱり人と関わるより本を読んでいる方が楽だった。それでもいいと思ってたんだ。…たぶん、あの時の僕は焦っていたんだ。あの時……、僕はトレント先生に……」
「『この暗い自分を掛けてください』だったか? そうだな、確かにお前さんはそう言ったな」
誰もがトレントが戻ってきた事に気付いていなかった。
最初から綺麗な印象だったわけではないが、一層薄汚れた様子で体を軽く払っている。
急にトレントの声が入り込み、驚いて皆言葉を失っていると不機嫌そうにトレントは鼻を鳴らした。