第三百三十二話 卒業試験・朝食
卒業試験当日。
この日の食堂はいつもより重い雰囲気に包まれていた。
それもそのはず、この試験に人生が掛かっている者もいるのだ。
だがその一方で、ただ卒業できればいいと鼻歌交じりにリップクリームを塗っている者もいる。
甲斐のいるテーブルでも状態は様々だった。
甲斐は面接が無い試験は恐れるに足らないらしく、眠くならないようにと食事は控え、普段は飲まないコーヒーを飲んでいるだけだった。
不安そうな顔をしているのはフルラだが、どことなくいつも不安そうに見えるのでもしかしたら気のせいかもしれない。
意外だが流石は月組というべきか、成績が悪くない彼女は今回、去年の試験よりも良い順位になればと準備をして来た。
実技の面だけが不安が残るが、ウィンダムのおかげである程度カバーされたはずだ。
隣でシリアルがふやけたのに気が付かず、ひたらすら集中してエルガの作った直前問題を見つめているのはクリスだった。
今、普段からシェアトの事を馬鹿にしているその本人が危ういのだ。
集中力が然程無いのと、そもそも勉強嫌いな彼女はそれこそとにかく卒業さえできればいいと考えている。
そんな恋人を心配そうに見て苦笑しているのはルーカスだ。
二年間総合順位で次席を守って来た彼は、これから試験に行くとは思えないような優しい顔で周囲を見ていた。
今更じたばたしても仕方がないと思っているのか、秀才の余裕なのだろうか。
いや、それほどまでに並々ならぬ努力をしてその席に座り続けて来たのだ。
エルガは昨夜遅くまでクロスの勉強を見終ると、クリスに見事に捕まった。
どうやらクロスの勉強が終わるのを仮眠を取って待っていたらしく、遅くまで彼女の最後の仕上げをさせられていた。
そのおかげで寝不足なエルガは、ここでこうして頭を前後に揺らし、スプーンで掬ったスープをテーブルにまき散らしているのも仕方がない。
ただでさえ普段から寝起きの悪さに定評があるのだ。
この異様な雰囲気の三年生に対してぶつぶつさっきから文句を言っているのはやはりシェアト一人だった。
部隊に合格してからというもの、遊びに全力を注いできた彼には最後の試験といえど、なんら重みは感じないらしい。
「どっいつもこいつもこの世の終わりみてぇな顔しやがって! エルガ! てめぇさっきから俺の料理の皿にしかスープ飛び散ってねぇぞ! 起きてんだろ!?」
「バカ犬黙れ。自分に関係無いからって人の邪魔をしていいわけじゃないぞ」
ビスタニアがシェアトの顔に向け、魔法を使いフォークを浮かせ、飛ばした。
「はああ? うるっせえな! なんで黙ってて欲しい奴に限ってペラペラ話し出すんだろうな」
時間の無駄だと判断したビスタニアは挑発を無視してデザートに手を伸ばした。
ウィンダムは退屈そうにオレンジの皮を使ってナイフで切込みを入れ、器用にトライゾンに似た龍を作り上げ、そっと床に置いてやった。
それにトライゾンは大層喜び、優しく鼻先で持ち上げて落ちないようにバランスを取り始めた。
「はぁ……、 兄さんはここにいるより、今の内に二年生の所へ行って気の合いそうな人を探してきた方が良いんじゃないですか?」
「おっ! そうだな、じゃあちょっくら行ってくるわ! ……ってこの糞ガキコラ! なんで職が決まってる俺様が二年によろしくしなきゃなんねぇんだよ!」
「いや、ここまで試験に対してやる気が無いと、てっきりそういうつもりなのかと」
心底驚いた、という顔をしてクロスはとぼける。
「俺は卒業するんだよ! 筆記がアレでも実技があるしな! そんな固くなるようなもんじゃねぇって! ほら、もう移動するぞ」
「もうそんな時間かい……? ああ、もうダメだ。これって夢?」
「現実だよ! ほら置いてくぞ学年トップ様」
「そうかい……じゃあ君にとっては辛い現実になるね」
欠伸混じりにエルガが言った言葉の意味をシェアトが顔をしかめて考えている。
エルガは目尻に溜まった涙を白いハンカチで拭い去り、話を続けた。
「さっき聞いていた限りだと、何か勘違いをしているようだったからね。とっくに範囲と一緒に配点方法が公表されていたけど見ていようだから教えてあげるよ。卒業試験は今までの試験と違って、筆記と実技を合算しての総合得点にはならないんだ。ふああ……だからどちらもある程度得点しなきゃならないんだよ。卒業試験で赤点なんて取ってごらん、クロスの言っていた通り二年生と仲良くしなきゃならなくなるだろうね。おっと、それじゃあ幸運を」
颯爽とビスタニア達の中に紛れ込んだエルガを追いかけられなかった。
シェアトは今、正に夢の世界へと旅立とうとしていたのだ。
気を失う直前に甲斐が見事にみぞおちを殴り付けたおかげでどうにか意識を手放さずに済んだが、これはこれで意識が消えそうだった。