第三百二十八話 クリスとエルガの勉強会
正式な合格通知を甲斐が周囲に見せびらかすのに飽きた頃、三年生全員の部屋に卒業試験の範囲通知書が届いた。
内容は細かな文字でびっしりと書かれており、教材と見比べてみて分かった事は出題されない範囲の方が少ないという事だった。
ほとんどの生徒が進路も決まり、気が抜けたように過ごしていた中でようやく次の目標が定められたおかげで緩んでいた空気が再び引き締まった。
各組によって範囲や教材が全く違うので、同じ組の者同士で勉強をしていたが、エルガだけはやはり特殊であり、特別だった。
彼は一向に勉強に勤しむような素振りは見せなかった。
確かにシェアトと甲斐に泣きつかれて勉強を見てやったり、クリスの壊滅的な分野を一から勉強させ直したりと引っ張りだこだったが、そうしているエルガは何故かとても嬉しそうに見えた。
「……はあ、もう嫌だわ。卒業さえできればいいと思ってたのに、これじゃあそれすらも危ういじゃない」
「驚いたよ、よくこれで三年生になれたものだね! 普段の君のしっかりしたイメージとは裏腹に勉強に関してはこんな状態だったなんてね!」
笑顔のまま辛辣な言葉を並べ立てるエルガと、それに対して傷ついた様子も無いクリスは息が合っているようだ。
「……昔から勉強って苦手なのよ。冗談半分でフェダインを受けたら受かっちゃっただけ。ラッキーと思った私が間抜けだったのよ。夏休みすら無いこんな勉強命の学校だったなんてね……。こんなの聞いた事ないわ……。でもどうしても、みんなの前だとどうしてもいい子ぶっちゃうのよ、ヤな性格してるでしょ」
「そうかい? それでもルーカスは君が好きなんだからいいじゃないか。自分が好きな人から好かれる事の方が勉強なんかよりも遥かに難しいんだよ」
中性的なエルガの声はなんの感情も込められていないように思えた。
その言葉には甲斐に対する思いが含まれているのかも、見つけられそうにない。
彼の作成してくれた綺麗な文字の並ぶ問題を解きながら、三年間学んでも分からない事ばかりの授業内容よりもこんなにも完璧な人間が目の前にいる事の方が不思議に思えて来た。
「ねぇ、エルガ」
「なんだい? 分からない所でもあった?」
こうして友人として彼と接し、話し、勉強を助けてもらう事になるとは過去の自分は想像もしていなかっただろう。
「……あと少しで、私は生き物の命を助けるようになって、ルーカスは人の命を助けるのよね」
「そうだね、と言ってあげたいけれどそれは君が無事に卒業できればという条件付きだ。でも、どれも君達が望んだ結果じゃないか」
「……でも、カイとシェアトは人の命を奪うのよね」
何を言わんとしているのか、エルガは瞬時に見抜いただろう。
そしてそれはクリスが全てを言わずして分かってもらおうとしたせいでもある。
「クリス、そんな言い方は良くないな。仕事なんだ、仕方ないさ。いわれのない通りすがりの人を急に襲う訳じゃない。それだけの事をした人を、世界的に危険だといわれる人を野放しにいておけないじゃないか。一般人で太刀打ち出来ない相手なら、それ相応の力がある者じゃないといけないんだ」
「分かってるわ、ごめん。でも私が言いたいのはそういう事じゃなくて……。どうして、根本が無くならないのかしらって思うのよ」
珍しく咎めるような口調のエルガへ早々に謝罪する。
そして、子供が大人に質問を投げかけるように問う。
「根本? 争い、とかそういう漠然としたものかい? 逆に問おう。君はどうしたらこの世界から悲しい職業を無くせると思う?」
「……難しいわ。そうね、政府が九割の人が納得する事を決めても一割が反発したら今の世界と同じだし……。悲しい事が起きないようにするなら……そうね、力が無くなればいいんじゃないかしら」
「魔法が無くなった世界って事? ……凄いな、まるでおとぎ話のようだね。でも、この世界で魔法を使える人口の割合は極端に少ないんだよ。未だって政府に抗っている中には魔法が使えない者も大勢いるだろう、残念だけど何も変わらないんじゃないかな」
「あら? そういう人達ってどうやって……ああ、そうか。えーっと、爆弾にあと銃と……兵器ね。良く考えた物だわ」
多様な外傷の処置方法が載っている図解の教本を引っ張り出すと、兵器での負傷例があった。
身を焼く火炎放射器や、踏んだ瞬間に爆発する地雷、トラップ型の爆弾は負傷兵を作ることが目的である。
そうしておびき寄せ、纏めて叩く。
見ているだけで辛い気持ちになる物ばかりだ。
「分かっただろう? 魔法が無かったとしても、武器がある。これがある限りは『ヘイワナセカイ』なんてものは来はしないのさ」
「じゃあ、これを無くせばいいんだわ。今ある物も全て取り上げて! ……あら? どの兵器にも同じマークがある……。ソドム……? ああ、聞いた事あるわ。兵器開発のとこね。ここが無くなればいいんじゃない?解決よ!」
良い案が一つも浮かばないクリスは暴力的な結末を話し、降参とでもいうように机に突っ伏した。
しかし、エルガは今日一番の笑顔と拍手をクリスに捧げる。
「そうだね! 僕もそう思うよ! なんて名推理だ、恐れ入ったね! そうと決まれば一緒にSODOMを潰しに行くかい!? その前に問題を全て解いてしまおうか!」
「……そうやってすぐ現実に引き戻すんだから……。いいわよ、やってやるわよ」
本気で嫌そうな顔をしながらペンを走らせるクリスの真正面で、エルガは口元だけに微笑みを浮かべ、窓を叩き付ける雪を見ていた。
「……僕も、そう思うよ。本当に」
吹きすさぶ風とそれに乗った雪の当たる音が、小さな声を掻き消していった。
微かに揺れる窓を細い指で抑えると、冷えて痛くなるまでエルガは指を離さなかった。