第三百十六話 筆記試験前夜
「久しぶりに会う学友の顔は忘れていなかったか? 積もる話もあるだろうが、これからまた長い勉強の日々が始まる。しっかりと皆がこの冬期休暇で息抜きを出来たであろうと私は信じている。長期休暇の間にも出された課題をやり抜いたはずの君達は、きっとこの先も問題無いだろう。まさか今夜、徹夜をするというような事は無いだろうとも信じているぞ」
生徒達の間で笑いが生まれたが、教員席と壇上のランフランクからは真顔になった生徒はすぐに見つけられる。
「そして三年生、君達にとっては緊張の幕開けだろうが何一つとして恐れる事はない。今までの己を信じて、進め。卒業の時まで笑顔は取っておくがいい。それまでは歯を食いしばってでも、耐え抜くのだ」
とうとうこの日が来てしまった。
早い者は明日からそれぞれの企業や機関の試験が始まる。
甲斐とルーカスは一次試験が明日だ。
まずはお互い筆記試験だが、本当に今までやってきた事が通用するのかが心配で、今から胃が心臓と連動しているかのようにどくどくと動いていた。
やはり冬休みとは違い、圧倒的に人数が増えた学校は少し狭くなったように感じた。
食堂一杯に溢れている人の中、どこか浮かない顔をして食事中にも関わらず教本や問題集を手放さない三年生の姿は少なくない。
ロビーではあちらこちらで友人と久しぶりの再会を喜んでいる生徒がいる為混雑していたが、甲斐はそれどころでは無かった。
エルガに作ってもらった直前模試を解き終わると、ギアの元へ走り、実力と必要学力の調整を出して貰い、またエルガの元へ舞い戻る。
そしてようやく全てギアの調整をクリアし、激励の言葉を貰った時にはもう試験日当日の日付に変わっていた。
今更残り数時間でどうこうなるものではないのだから、しっかりと睡眠を取る様にと目の下が真っ黒に染まっているギアに言われ、複雑な心境のまま部屋に戻った。
ルーカスはどうしているだろうか。
彼なりに周囲に気を遣わせないようにしているのは分かっていたが、それでもやはり緊張しているようだ。
三次試験まで勝ち残らなければならない。
その為には一次試験の筆記程度で落ちる訳にはいかないのだ。
彼が今頃ベッドですんなり眠れているとは到底思えなかった。
様子を見に行く事が出来ないのでどうしようもないのだが、かといってこのまま眠れそうにも無い。
今まで敬遠していた展望室へと足を運んでみる事にした。
「相変わらずすんごい怖さ……。高いとこが苦手とかじゃないんだけど、これは流石になあ……。 しかも落ちたらまず助からないだろうってとこもミソだよね……。お? 良い事考え付いた!」
完全犯罪を思いついてしまったが、そんな事をしたら永久追放されてしまいかねない。
ふとニュースで見たサクリダイスの勝ち誇った顔が浮かんだが、縁起でもない妄想は今必要なかった。
どこが道なのかをしっかりと確認しながら歩いて行く。
結局この展望室は甲斐のいる太陽組で授業で使う事は無かったが、月組は以外にも使用しているらしい。
星座の名前と形が一致する事が全く無い甲斐の知識では、昼間の青い空の代わりにこの夜空が広がり、雲の代わりにこの白く光る星があるのだろうとしか思えなかった。
黒よりも黒い道を歩いて行くのに慣れてきたので、顔を上げるとあちらこちらに滲んだように見える光が飛び交っている。
どれかをしっかり見ようとピントを合わせるが、光の縁が邪魔して星の本来の形が分からない。
気にしたことも無かったが、こうして小さな粒のように見えているこの星達は本当はどんな形をしているのだろう。
肉眼でその形を見る事はどの世界でも不可能なのだろうか。
ドアを開けると、風に体が押し戻されそうになった。
足を踏み外せば一巻の終わりだ。
風に乗って雪が顔に当たり、思わず目を閉じてしまう。
ドアを掴んだまま動かせずにいた腕を引かれ、そのまま中へ引っ張り込まれた。
「こんな時間に何してるの? 危ないよ、本当に。僕がいなかったらどうする気だったの……? いや、やっぱり怖いから聞かないでおくよ」
「あたしも考えたくないからそこはスルーして。……ルーカスも眠れないの? 仲間だね」
「そうだね、まさか見つかるなんて思ってなかったよ。でも、あまり長居をすると体が冷えるからそろそろ戻ろうと思ってたとこだったんだ。ここで星空を見てると、自分が勉強の事で不安になっているのが不思議になるんだ。むしろ、どうしてこんな所にいるんだろうなんて思えたりもして……」
甲斐はルーカスの周りに広がる空を見ていた。
ここに来た時の事を思い出しているのか、それとも自分の世界の夜空と比べているのか。
明日の事に思いを馳せているのではない事は分かったが、どこかぼんやりとした彼女の表情を見ていると何も言うことは出来なかった。
しばらく二人は星を追っていた。
ここへ来る道のように流れ星の大群などは見つけられなかったが、白く上がっては消えて行く息を目で追った先に見える、近くて遠い星々をただ焼き付けていた。
「あのね、ルーカス。あたし、明日が終わったら魔力器返すよ」
「……そっか。僕は卒業試験が終わったらと思ってたから……負けちゃうな。……って、明日は筆記試験じゃなかった? 実技が終わってからでも遅くないと思うんだけど……」
「うん、でも実技こそ自分の力でやってみようと思って。だから今までの魔法が全部魔力器のおかげで引き出されてるなら落ちるだろうね。いつまでもなんかの力でドーピングされてたんじゃ、きっとこの先通用しなくなる気がするんだ。それってなんか怖いじゃん」
甲斐の言い方は、いつも誰に対しても変わらない。
自分の意見に同意を求める訳でも無く、提案を秘めたものでもなく、淡々と述べるその言い方は何故かルーカスを焦らせた。
人の意見に左右されるタイプではないが、真っ正直な彼女の前では自分のずるさを見抜かれているような気がしたのだ。
いつまでも使う者だっているし、それが悪ではない。
しかし、彼女としたどちらが早く魔力器を卒業できるかの競争をした時の自分は早く一人の力だけで魔法を扱いたいと思っていたはずだ。
なのに、今更一人が怖いだなんて。
その為の努力を惜しまずにしてきたはずなのに、人はこんなにも脆いのだ。
「……そっか。でもそれで落ちたら……」
「あたしがそこにはいらんって事でしょ。魔力器付けて受かったら、あたしが必要とされてんのか魔力器が必要とされてんのか分かんないしね。……で、でもほんとは受かる要素を増やしたいし、確実に受かりたいよ! ちょっとしたチャレンジ精神っていうか。ごめん、無神経な事言って。 帰り、突き落とさないでね」
「議論と殺意は別物だよ? ……でも、僕が後ろを歩くよ。深い意味は無いけど」
「目、目が笑ってない」
踊る様にして黒に染まった道を走り抜ける甲斐は、明日が試験だと言うことを完全に忘れてしまっているように見えた。
同じ重力を受けて歩いていると思えない程、軽い足取りで独特のステップを踏んで駆けて行く。
人生を賭けた試験が始まろうとしているのにこの余裕を見せつけて来る彼女の世界では、どれだけ過酷な事が多いのだろう。
もしかしたら、数多くの修羅場をくぐり抜けて来たのかもしれない。
きっとそうだと思い込まないと、納得できなかった。
まるで自分の甘さを思い知らされているようで。