第三十話 我、何も持たざる者成
「せ、先生! 本当に階段の段差が見えないですから! もう少しゆっくり下りてください!」
「なんで付いて来るんだ! あっちへ行け!」
ルーカスは必死に呼びかけるが、この暗闇でも素早いトレントの声は遠ざかっていく。
「こいつの魔力器取りに来たんだよ! 用が無けりゃあ、こんなモグラの穴みてえなとこ来ねえよ!」
「おい、糞ガキ。ここと外の扉の解放の権限を握っているのはワシだということを覚えておけ。それとも閉じ込められたらモグラのように新しい穴を作って出ていくか? ん?」
「そんなシェアトのナイスファイト、僕は見たいな!」
やはりエルガとトレントのコンビは頂けない。
「ご期待頂いて申し訳ないが、お応えしねぇからな!」
南京錠が厳重に鎖で幾重にも巻かれた鉄の取っ手をトレントが握ると、一瞬で全ての鍵が外れ、鎖は綺麗に纏まって取っ手に巻き付いた。
トレントは鼻を鳴らして扉を少しだけ開け、自分の体を横にするとそのまま滑り込ませてしまったので、優位を照らしていた光が無くなってしまった。
中からの明かりが漏れてもいい気がするのだが、全く明るさに変化が無い。
仕方がないので手探りでトレントが残した扉の隙間から入っていき、残るは甲斐とフルラになった。
「フルラ、流石に背中から離れて。自分の体に自主性を持たせてくれないと、削ぎ取れるよ」
負担が大きすぎると判断した甲斐はフルラに呼びかける。
「や、やめてよぅ。それどんな速さでこの隙間に入る気なのよぅ…… あ、あれ!? いない!?」
反応どころか気配が無くなり、本当に一瞬で甲斐は中へ行ってしまったようだ。
暗闇に残されたフルラは焦りながら隙間を探していると、隙間から思い切り腕を引かれ、開いている扉と開いていない扉に前後に体を打ち付けながら入った。
「……ほうら、ね?」
「何があああ!? えええ、今のカイちゃんなのおお!? もう滅茶苦茶痛かったよおおお!? ねえええ!」
「やかましい! 本当にやかましい! 静かにしろと言っているんだ! 蠅の方がまだましなんじゃないのか!?」
トレントは沈黙よりも怒号を選んだ。
「ハエがあたし達の大きさなら、ハエの羽音のがうるさいんじゃないですかねえ!?」
「逆ギレすんなよ! それにしてもなんも見えねえ……」
トレントの声がするのは少し離れた場所からだった。
そしてじんわりと壁全体が淡い電球色に発光し始め、徐々に部屋、というよりも洞窟のような全貌が明らかになった。
誰もが暗い中、動き回ろうとしなかったのは正解だった。
足元には箱が無規則に積み上げられており、書類なども落ちている。
妙に広い洞窟内は先の見えない入り口が上下左右のあちこちに空いており、どうにか標準体型の人間であれば通れそうだ。
「この壁、あ、熱くないんだ……。不思議」
「そうだろう! んん? お前は……あれか、この前の編入生とやらか。校長から聞いておるぞ。成る程、そうか、それで魔力器を……ふむ」
「彼女に合う物をお願いします、組は太陽です」
率先して前に出るルーカスへの返事は舌打ちだった。
頭を掻きながら甲斐を舐め回すようにトレントが視線を這わせる。
「それはいいが、何を差し出す? お前は、何も持っていないんじゃないのか?」
「……へ?」
「ジジイ! カイにも天秤かけんのかよ!? 校長から聞いてんだろ!?」
何を言っているのか分からない甲斐を他所に、空気が張り詰めている。
トレントは動じることなく、また鼻を鳴らして甲斐に近寄った。
「ふむ、事情は知っているさ。だが、ここの決まりを覆す事は出来ない。校長から言われても決まりは決まりだ。そうやってここを云十年……代々云百年と守ってきているんだ」
「え? 何? ねえ、ちょっと不穏な感じ? トレント先生倒す? 倒すの?」
「ち、違う……。そういう不穏さじゃないし、絶対話聞いてなかったでしょううう!?」
シェアトはずっとトレントを睨み、エルガは口元だけに笑みを浮かべて壁に寄り掛かっている。
ルーカスの顔色が悪く見えるのは、この薄暗さのせいだろうか。
壁の明かりは強まったり、弱まったりを繰り返していた。