第三百六話 冬休みです
「……おお、そうか。シェアトいないんだった。くっそ、待ち損じゃん。腕の間接逆に曲がれ!」
珍しくまだロビーに来ていないシェアトを待っていたが、ようやく帰省している事を思い出した。
散々冬休み初日の朝は騒いだり、落ち込んだりとはた迷惑だったが堪忍袋の緒が切れたルーカスに骨の軋む音が聞こえる程強く頭を掴まれ、諦めてクロスと共に帰って行った。
冬休みの計画、といってもエルガが全て立ててくれたのでそれに沿って過ごすつもりだ。
息抜きの時間もスケジュールに入れてくれているので、無理なくこなせる計画になっている。
食堂に向かう中、見えた外は雪がちらついていた。
太陽はいつも輝いている場所から消え、薄暗い雲のせいで目がしっかりと覚めない。
「眠そうだな。大丈夫か?」
甲斐の姿を見つけて走って来たのだろう。
かなり息が上がっているビスタニアは悟られまいと、無理に深く息を吸ってはゆっくりと吐き出した。
「ナバロおはよー。ダメだわ……。あれ、おかっぱカッパは?」
「ああ、あいつは昨日の夜にこっそり帰省していたぞ。ただ、今日の昼過ぎには戻って来るそうだ」
「へーえ? こっそり、ってことは隠密行動なの? カッパって忍者になれるのかなあ」
「……さあなあ。俺に言っている時点で隠密ではなさそうだが。インラインには言うなと言っていたから、そこだけ気を付けてくれ」
ぽかんとしている甲斐にビスタニアは目を丸くしている。
「……今なんて? イン……? 審判用語とかちょっと分かんない……」
「あー、フルラだフルラ。お前、友人のファミリーネーム覚えてないのか……?」
呆れたような声でビスタニアは言った。
しかし、その口元は笑いが隠れている。
「苗字? 覚えてない。それにたまにナバロは誰かかんかを苗字で呼ぶけど、あれもあたし話の流れとかで判断してるもん。あ、うそ。ナバロは分かるよ。ナバロでしょ?」
「ああ、そうだな。ありがとう、それだけで十分だな。……それにしても、時が経つのは早いな」
「そうだねぇ……。最初にナバロと会った時、本気で始末したいなって思ってたよ」
「……そ、そうか。あの頃の俺は態度が悪かったしな。……いや、あれはお前があんな格好でうろついていたからだろう」
歩きながら手近な雪に手を突っ込んでは寒いと笑う甲斐の指は真っ赤になっていた。
その指をビスタニアの首元に差し込もうとしてくる。
やられるがままになっていると、温くなったと嘆いてまた雪に手を差し込んだ。
「……お前の世界では、雪が降らないのか?」
「なんで?」
「いや、あまりにも……楽しそうだったから珍しいのかと……」
「降るよ! めっちゃ積もるしね」
にしし、と笑う甲斐にビスタニアの口元が上に上がった。
「雪が好きなのか?」
「うん、寒いのは嫌だけどね。春も夏も秋も全部好き! ナバロは?」
「俺も、全部好きだ。……いや、嘘だ。実はあまり、考えた事が無かった。でも、お前といた春も夏も秋も冬も良かったと思う」
「あたしもだよ、可愛い事言っちゃって! ナバロめ! ぶっちゃけ、両親の記憶は今はほとんど残ってないけど……友達とか……元の世界の学校の事は思い出せるんだ。この世界の方が凄く楽しいなって思ってる。このまま、ここにいる事になってもきっと後悔もしない。ホントだよ」
またもにしし、と笑う甲斐になんと言ったらいいか分からず、冷たくなった手で彼女の首を掴んだ。
進路が父の機関で無かったとしても、同じ道に進むことは無いだろう。
そんな中、彼女が突然元の世界に戻る事になったらと想像すると、言いようのない不安に駆られてしまうのだ。
「お前をポケットにでも入れておきたいよ……」
「ええー? あ、でもトライゾンにかけてる魔法ならあたしも小さくなれる?」
その一言でビスタニアは固まった。
後ろを振り返り、慌てた様子で戻って行く。
「ちょちょちょ、どうしたの!? 空襲!? 空襲!?」
「トライゾンを連れて来るのを忘れたんだ! 朝食をやらないと! 寒いから先に行ってろ!」
クロスから頼まれていたらしく、血相を変えて戻るビスタニアはスピードを上げて走って行った。
到底追い付けそうにない。
食堂には雪にまみれたご機嫌なトライゾンと、遊びに付き合わされたのかぐったりとしているこれまた雪まみれなビスタニアが現れるのは食事ももう終盤の頃だった。