第三百二話 兄弟の里帰り
「……あらっ!? あらあらあら!? お父さーん! お父さーん!? 大変! クロスが帰って来たわ!」
玄関を開けてクロスを見るなり母であるジュリアは、声を張って父のトムを呼んだ。
返事が無い。どうやら聞こえていないようだ。
ジュリアはどたどたと騒がしくリビングへ駆け込んで行った。
「……そんな所にいたら見えませんよ。何照れてるんですか」
ドアの陰に座り込んで空を見上げているシェアトにクロスは呆れたように言うが、返って来たのは舌打ちだけだった。
やがて巨体を揺らしながらトムがジュリアに連れられて来た。
「クロス! お帰り。寒かったろう、ほら早く入りなさい。シェアト、さあおいで」
「ようやく我が家の場所を思い出せたようね? それは結構。ところで、私達の顔と名前は覚えてる?」
最初から隠れているのを見抜かれていたようだ。
観念して下を向いたままシェアトは姿を見せる。
「ほら、ちゃんと顔を見せて! もしかしたら性別が変わっていたり、はたまた顔中にピアスを開けていたりするかもしれないでしょ!? ……本当に、心配ばかりかけて」
「あれ?母さん、ちょっと太ったんじゃねぇか? ああ、父さんほどじゃないから大丈夫だ。それに好きな子もいるし……その顔やめろ! 女だよ! 自然な流れでカミングアウトしたわけじゃねぇわ! 後は特に、変わりはねぇ。……去年は、ちょっと色々あって帰れなかっただけだよ。心配かけて、悪かった」
ようやく胸のつかえが無くなった。
両親の顔を見れば、本当に心配してくれていたのも分かるのに。
どうしてあんなに意地を張ってしまったのか。
「変わりなく切れ味の良い息子で安心したよ! それに父さんは太っているんじゃなくて、いざという時に家族の盾になれるように頑張っているだけだ。服のサイズが合わなくなるなら着なければいいだけだ! さあ、いつまで立ち話をしているんだ?ちゃんと母さんが好物を用意してくれているから、少し早いが昼食にしよう」
もみあげから顎に繋がっているひげを触りながらトムは二人を中へ入るように勧めた。
ようやく家に上がると、懐かしい匂いがした。
家の匂いは言い表すのは難しいが、母の作る料理の匂いと洗濯洗剤、そしてお気に入りの花の香りは分かる。
一年ぶりに帰った実家は本当に変わっていなかった。
家具も、色味も、照明の明かりさえもそのままでどれもこれもとてつもなく懐かしかった。
「兄さん泣かないで下さいよ。気持ち悪い」
クロスのその言葉にトムは寂しそうな瞳をした。
「……クロスはまだシェアトに敬語なのか?」
「ああ、心配する事ねぇよ。こいつ学校じゃあよく悪態ついて来るし、今は飛び級で三年生だしよ。周りにいるのも俺の友達とかでそいつらにも敬語だから癖になってんだろ」
「やめて下さい。ビスタニア先輩達に使っている敬語と、兄さんとトウドウさんに対しての敬語は意味合いが全く違いますから!」
頭を思い切りシェアトに引っ叩かれ、涙目で兄を睨んでいるクロスを見て両親はほっとしたような表情を浮かべていた。
「そういえばクロス、飛び級おめでとう! でも、お友達が沢山出来たようで嬉しいわ。シェアト、貴方も大人になったのね。ちゃんとクロスの面倒を見て。……でも、人より早く卒業するって事は足りない部分も多いままよ? ……それに、その部分を後から埋める事が叶わない事もあるけどいいの?」
キッチンから温め直したビーフシチューをジュリアが運んで来た。
そのついでにクロスに話しかけると、フェダインに入る前では考えられない程、はっきりとした声で返事をする。
「母さん、フェダインはとても良い所だよ。先生方も、先輩達も皆親身になってくれるんだ。僕はきっと、経験が足りない。それは分かっている。でもそれを負い目にしないような人間になるよ。だから、安心して欲しいんだ。……といっても、卒業試験である程度の結果を出せるかどうかなんだけどね」
「立派な息子達に育って、本当に誇りに思うよ。ああ、お前達は父さんの様な男らしい体型は似合わないだろうから今の体型を維持する方が良いぞ」
「これ以上無いアドバイスをありがとよ。……父さん、母さん。夕食が終わったら話があるんだ」
人の目をしっかりと見る事が出来るようになったのかとトムは一人、感心していた。
昔はふらふらとした意見を投げ捨てるように言い、すぐに不貞腐れていたシェアトがいつの間にか一人の男として確立したものを持つようになっている。
もう、心配する事は無さそうだ。
子供が育つのは早い。
体の成長はずっと見て来たが、人間関係を築いて行くと子供は親の知らない顔を見せる。
それがシェアトにとって良い物になればいいと、ずっと願って来た。
他人の与える影響力はとても強い。
シェアトの性格的に、悪い方へと転ぶ可能性だってあった。
しかし、期待を大きく上回る成長をした息子がこうして帰って来た事に父親としての自分が喜びを隠し切れなかった。
隣でジュリアは不安そうな顔を見せた。
それをクロスが敏感に感じ取り、そっと背に手を当てて食卓に着くように促した。