第三百一話 手を振る練習をしよう
「私は今まで君達の前に何度こうして立ち、どれ程の事を伝える事が出来たのだろうか。この疑問は、教師であれば皆持つものであると私は思っている。本日で三年生の授業は終了する。それぞれの道に進む準備の最終段階に来たのだ」
あちこちから授業の終わりに対して羨む声が聞こえて来た。
楽し気な声でランフランクはそれに応える。
「……本当に羨ましいか? どれだけ、学生という立場が守られている存在なのか考えた事があるだろうか? 確かに、成績とは日々の積み重ねではあるが己に対しての物であり、本来自分自身がそれに合わせて生きていく……。いわば道を作っていくようなものだ。しかしその評価をするのは、実際は自分自身でしかない。しかし、ここを卒業し、一歩外へ出たら価値観を大きく変えざるを得ないだろう。悪くてもいい、なんて二度と通用しない。常に最高、常に今以上を他人から求められるだろう」
ランフランクの言葉に挑発的にシェアトは言う。
「上等、だな。今以上なんて最高じゃねぇか!」
「お前の自信が羨ましい。……やるべき事をやるだけだ」
堂々と言い放つシェアトに肩をすくめ、あきれ顔のビスタニアが呟いた決意は一体誰に聞こえただろう。
「それに応える精神力、そして向上心を培うのはこの三年間だ。時に挫ける事もあるだろう。しかし、それを乗り越えた時にそれまでの自分は過去になる。敵はいつだって自分でしかない。忘れるな」
甲斐はほう、とため息をつきながら余計な一言を漏らす。
「ランラン相変わらず渋いね。久しぶりに顔見たなあ。疲れた感じでもないのは凄いね。ギア先生も見習ってほしい」
聞こえたのだろうか、甲斐とギアはばっちり目が合い、歯をカタカタと鳴らしていた。
威嚇と捉えた甲斐は対抗して歯をガチガチと鳴らし始めたが、すぐにビスタニアになだめられた。
「さて、最後の授業となった三年生は恐らく明日からの生活に思いを馳せている事だろう。自身で計画を立て、目標に備えて邁進する君達を期待している。三年間君達のサポートをし、時には厳しく、また時には温かく家族のような愛情を持って接してきた教員達にとって、毎年訪れるこの日は喜ばしくもあるが寂しい日であるだろう。だがまだまだ生徒も教員も今日が何のゴールでは無い事を忘れるな。泣くのも笑うのも、来年の春だ」
言い終わると、ランフランクから贈られた激励に三年生は全員立ち上がった。
何か、クロスと甲斐がざわついているようだったがそれもすぐに収まったようだ。
校長が席に戻るまで全員が座ろうとはせず、誰からという事も無く自然と拍手が起きた。
「やっぱり校長先生はすごいねぇ。なんかドキドキしちゃったぁ……」
フルラが頬を染め、高揚した気分を紛らわすように両手で顔を仰いだ。
「おや、フルラちゃんが胸をときめかせるのは僕だけにして欲しいんだけど。妬けちゃうな」
「そっ、そういうドキドキじゃないよぅ……! もう……」
赤らめた顔で頬を膨らませてそっぽを向くフルラに優しく微笑んでいるウィンダムに、シェアトは吐く真似をした。
「お前らって糖分自分で生成してんの? 悪いけど俺は甘い物大っ嫌いだから後にしてくれねぇ? ほら、塩っ辛いやつ食え。塩もっといるか?」
「あ、シェアト。ついでにシュガーポット取ってよ」
「ルーカス、紅茶って白い粉だったか? おい、スプーンですくって食うもんじゃねぇぞ! ほら、咀嚼音おかしいじゃねぇか! 飲み物だぞそれ!」
もはやシュガーポットの中身を移し替えただけのようなカップの中身を紅茶と言い張るルーカスを横目に、甲斐はクリスに日頃から疑問に思っていたことをぶつけている。
「クリス、彼のこういう行動は体に悪くないの?ほっといていい感じ? それと多分ルーカスはもう、悪い病気な気がしてきてるんだけど気のせい?」
「あら、大丈夫よ。まだ若いし、ルーカスだし。甘党って彼のイメージに合ってるしいいんじゃない」
そんな平和なやり取りをよそに、クロスはビスタニアに神妙な顔で話しかける。
「僕もあの時立って良かったんでしょうか……? トウドウさんが立てってうるさいので立っちゃったんですが……」
「何を言ってるんだ? クロスだって三年生だろう。立たない方がおかしいと思うが?」
「いっそ僕が肩車してあげようか!? 翼は必要かい!? 誰よりも目立てば逆に何も気にならなくなるんじゃないかと思うんだがどうだろう!?」
「謎理論を振りかざすのをやめてもらえませんか……」
終わりを知ると、どうしてこんなにも今まで特別だと思わなかった何気ない日常のひと時が恋しくなってしまうのだろう。
愛しい人達が出来たんだ。
優しい思い出が増えたんだ。
失いたくないものが増えた。
共に、進もう。
同じ世界で、この先も。




