第二十九話 穴ぐら教授、お怒りです
地下へ向かう階段はドアのすぐ隣に小さな蝋燭立てが一つだけあり、ルーカスが指輪を取り出して早口で呪文を詠唱する。
どうやらこの呪文がスペルと言われるもののようだ。
「私は知らない・温度を・光を・君を」
「おっ前、まだ詠唱してんのかよ。込め方と力の波さえ分かればこんなん簡単に出来るんだぜ?」
「あ、ばれちゃった。やっぱり練習たくさんしないとなあ……」
蝋燭に火が灯ると、蝋燭立ての取っ手を慎重に持ち上げて先導していく。
階段には他に明かりは無く、横に誰かが並ぶ幅も無いのでルーカスは皆の方を向いて足元を照らしながら、足の感覚と空いている方の手を壁に沿わせて下りていく。
「呪文を言っても言わなくてもいいの? カッコつけてるだけ?」
「最初は難しいかもしれないけどな。スペル……呪文自体は魔法を使いますよーってことを自分自身に教えて、力を発揮させる起爆剤みたいなもんだ」
シェアトは器用に手の平の上で怪しく揺らめく青い光を操っている。
「だから普段じゃ使わない言葉の並びと単語が多いんだぜ。スペル開発者は一般的な人間が力を乗せやすいようにしてある語感だけど、自分なりに変える奴も多いしな。後はそれぞれの魔法に合った力の出し方とか覚えちまえば無詠唱の出来上がりだ」
今度はシェアトの指先に炎が小さく灯り、大きくなったり、小さくなったり、色が徐々に変わったりと様々な変化を起こした。
これも全て彼が操っているのだろう。
「ただ学校では教えやすいように最初は皆同じスペルを使うんだよ。大事なのはどの魔法でどの位力を出せばいいかの感覚を掴む事だからね!」
エルガがシェアトに負けじと不足している情報を盾に甲斐へ自信ありげな声でつらつらと話し出す。
「世界中にスペルなんて星の数ほど存在するし、そんなの全部覚えるなんて馬鹿らしいからね! だから、コツさえ掴めば後は加減や組み合わせの工夫をすればいいんだよ!」
「へえ……説明ドウモアリガトウ」
カタコトで礼を言ったが、それすらも嬉しいらしくエルガはにっこりと笑った。
「ああ! 分かりやすい! なんて分かりやすいんだい! 僕はどんな事にも才能を開いてしまうんだろうか!?」
エルガの高らかな問いかけが閉め切られた階段中に反響して、エコーのように何度も繰り返すと段々と消えていった。
完全に消え入る前に、下の方からドアが開く音と同時に、けたたましくこちらへ向かってくる足音が鳴っている。
「エルガのせいだからな、知らねえぞ。責任取れよ」
そう言うなり、先頭のルーカスを手を伸ばして後ろへ引っ張り、狭い中でエルガを前へと押しやった。
「カイ、そいつと一緒に下がってろ。ルーカス、蝋燭消しとけ」
「アイアイサー。フルラは心配しなくても私の背中と一体化してる」
「そうだね……。今回ばかりはエルガが悪いよ、頑張って」
「僕を盾にするのかい!? 見損なった……見損なったよシェアト!」
戻ってこようとするエルガを全員で押し戻していると、とうとう怒号が聞こえ、目の前に白髪の老人が手に丸い手提げランプをもって現れた。
「糞ガキはああああ貴様かああああぁああ!!!」
「こんにちはトレント先生! ご機嫌は如何ですか!? 外は凄くいい天気ですよ! ご一緒に散歩などは如何でしょうか!?」
引き気味にルーカスが挨拶をするも、このトレントという人物には全く効果が無いようだった。
古びたチェック柄の肩にかけて羽織っている布、第一ボタンまで締められたシャツに少し短く感じるパンツ、くたびれたような革靴の紐は綺麗に蝶結びされている。
ぎょろりという表現がよく似合う大きく見開いた目と小さい黒い瞳、そしてへの字に形を保っている口は怒鳴る度に鼻の穴と一緒に大きく開いた。
「うるさい黙れ! そして死ね! なんなんだ、貴様らこんな大勢で! ここは騒ぐ場所じゃない!」
「せ、先生たるお方がそんな暴言を……! ああ、僕の美しさは人を狂わせてしまうのか!?」
頭のおかしい二人が並ぶと訳が分からない。
「その耳障りな奴を始末されたくなければ黙らせろ! す ぐ に !」
黙らないどころかこだまのように呼応して話し出してしまうエルガを、どうにか口を塞いで後ろに戻している間に、トレントは舌打ちをしてまた下に戻って行ってしまった。
ランタンの明かりが遠ざかっていくのに気付くと、その後ろを皆、静かに追い掛けて行った。