第二話 逃げ出す・戻る
少年が東館と言ったここはすれ違う人もおらず、静かだった。
廊下の突き当りを曲がると、大きな両開きのドアが並び、ノブ一つとっても細やかな装飾が施されている。
「誰もいないね、何があるのこの東館には。他にあのトラップあるなら先に言って欲しい……」
「さあ……、あれはなんだろうね。僕も初めて見たから分からないけど……。まだ授業中のとこも多いし……それにこっち側だと、特別教室が多いしね。実験室とか知書室もこっちだし。そうそう、僕はルーカス・ベイン。君は?」
授業中や特別教室、ということはここは学校なのだろう。
そしてルーカスもここの生徒のようだが品が良い。
貸してもらったジャケットはしっかりとした生地で、肌触りも悪くないし軽くて動きやすい。
胸の辺りにはルーカスの付けているネクタイと同じ銀の刺繍の星が光っており、なんとなく誇らしくなる。
「(……チショシツ? なんだ?チショ……? 痴女?)ふーん。あたしは甲斐だよ、ルーカスは日本語上手だけどやっぱり外人なんだね」
少し間をおいてから吹き出すルーカスは、案外幼く見えた。
もしかしたら年下かもしれないと甲斐は思う。
「ごめん、僕からしても君は外国人なんだけどね。それにお互い自分の国の言葉で話しているんだよ、僕は日本語が話せないし。ここは敷地内全体に共通言語魔法がかけてあるからね」
「……お前は何を言っているんだ……?」
「な、何その顔! 怖い! ほんとだよ!? 僕はイギリス人だし、母国語しか話せないからね。君は英語を話せるの?」
「魔法がどうこう言ってなかった?幻聴?むしろ怖い。外人さんってこうやってさらっと騙すの?」
「うん、そりゃあね……。な、何にそんなに驚いてるの?」
らせん状の階段の途中で甲斐が固まっていると、先程通り過ぎたドアが開き、大勢の話し声が聞こえてきた。
「あ、もうそんな時間か。行こうか、階段混んできちゃうから」
ルーカスに背中を軽く押されてまた進み始めたが、頭の中は魔法の事や自宅の階段にいたのに訳の分からない豪華な建物にいること、歩いていたら穴にはまったこと、自分より少し背が高く、笑顔の可愛い外国人の少年が自分と同じ言葉で話しており、これは魔法であると当然のように言ったことで混乱状態である。
「ちょ、ちょっとやっぱりあたし自分で行ける! もの凄い唐突に思い出した! 玄関の気配とか匂いとかもうばっちりだわ! いやはやご迷惑おかけしました!やー年って取りたくないね! はっはっはこれにてグッバイ!」
「色々とそんな馬鹿な! ちょ、危ないよ! 待って! どうしたの!?」
急に裸足のまま階段を駆け下り、残りの数段を飛んで着地した甲斐に、手すりから身を乗り出して声をかけてはみたが聞こえているのかいないのかそのまま走り去ってしまった。
身軽な身のこなしに驚きながらも、小さくなっていく背中と左右に揺れる黒髪を見てルーカスは笑った。
「身軽だなあ……。あれってひょっとするとウサギちゃんだったのかな? ……なんて。ああ、でも罠にかかってたしなあ…」
「うーわわ、お前何にやついてんだよ気持ち悪いぞ。割と本気で」
忍び足でルーカスの隣に並び、顔を覗き込んだのは、襟足が首元を隠す長さで少し青みがかった黒髪、釣り目気味の青い目に意地悪そうにも見える笑い方をした少年だった。
第二ボタンまで緩めたボタンに黒いネクタイをだらりと付け、ジャケット、パンツもルーカスと同じ物だ。
ただ一つ違うのは、銀色の刺繍が太陽のモチーフだということだけだった。
「お疲れ様、シェアト。あれ、エルガは一緒じゃないの? 合同授業じゃなかった?」
「あれはダメだ、なってねぇよ。何がなってねぇかっていうと、バレずにサボるやり方がな! あそこまで机の上でイートゲームに夢中になってりゃバレるだろうよ。あいつ立たされてたのにガラスに自分を映してポージングしては惚けてたから今頃またお説教だぜ」
イートゲームのルールは少し前にシェアトが説明していたなあと、心底愉快そうに早口でまくし立てるシェアトを見ながらルーカスはぼんやり思い出した。
確か小さめの虫にサポート魔法(攻撃的になる魔法でもいいはずだ)をお互いにかけてから戦わせ、負けた方が相手よりも少し大きな虫を用意できる。
そしてまた戦わせていくという簡単なものだった。
最初は微生物から始めていたはずだが、エルガはまだ指先ほどの虫だったが今朝は巨大なイモムシをシェアトが青ざめつつも用意していたのを覚えている。
エルガの虫はこのままサポート魔法を掛け続けられるのならばいつかは人をも殺せるだろう。
「そんな訳だから、エルガは暫く戻って来ないと思うし先に休憩行こうぜ……あれ、なんだよ、お前上着どうした? 忘れたのか?」
「……あっ」