第二百三話 ビスタニアの心情
今、目にしたのは一体なんだったのだろう。
自分の兄である人物が、誰かを抱きしめていたように見えた。
この大勢の人前で。
そしてあいつの体は宙を舞い、気絶したようだ。
ちなみに兄らしき人物を宙へ舞わせた犯人は、抱きしめられていた相手。
最も厄介でタフな生き物、トウドウ・カイだった。
ビスタニアもクロスと同じように茫然と、その場から動けずにいた。
最近は監視役としても、クロスがどこからともなく現れるので中々思うように動けていなかった。
職業体験も希望は流石に受け入れのある職場ではないので、学校に残っていたのだが、あいつと一緒に戻って来たのを見ると彼女の進路は決まったようだ。
この情報は彼女に真実を確認してから父に報告を上げなければならないので、久しぶりに話しかける切っ掛けが出来たのが救いになっていた。
父のあの威圧感が、こんなに緩和されたのは初めてだった。
だが最近、急にシェアト・セラフィムが変わった。
甲斐に対しての態度が変わり、片時も彼女を一人にしなくなったのだ。
一言声を掛けて、彼女との時間を取れば良かったのだろうが、何故かそうしようとは思えなかった。
そして毎回、彼女が自分を探しているのを気付いてはいたが段々とテーブルを離してしまった。
監視役としてこのまま彼女を避けていてはいけないと思っているのだが、いつも隣に座り、楽しそうに話す二人を見ていると何故だか食欲が無くなるのだ。
それが何故か、分からなかった。
今、猛烈な吐き気と共に昔の自分が味わったような感情が湧き上がって来ている。
「ビスタニア? 大丈夫かい……?」
ウィンダムが心配そうな声を掛けるが、その表情はどこか楽しんでいるように見えた。
クロスは首を振って、忌々し気にシェアトを睨む。
「お恥ずかしい限りです、学内でこのような事を……本当にあのバカが……」
「行くぞ」
出来る事なら今すぐ一人になりたかった。
抱きしめ、そして吹っ飛んだあの瞬間しか見ていないが、あれはどういう事なのだろう。
あの二人は、付き合っているのだろうか。
だとしても、どうだっていいはずなのに。
まさか、と思う。
どう向き合ったらいいのだろう。
認めない。認める訳にはいかないのだ。
この気持ちは本当に自分の物なのか。
こんな形で自分の想いを知ることになるとは思わなかった。
不意打ちなど、卑怯だ。
ビスタニアの後ろを歩いている二人は、彼の体が小さく震えているのに気が付かなかった。
「……先に、食堂へ行ってくれ。呼び出されていたのを忘れていた」
「……ああ、そうなのか。ここで君が戻って来るのを待っていようか?」
ウィンダムの提案に、ビスタニアは微笑む事すらせずに首を振った。
「いや、いい。遅くなっては悪い。食べたらロビーにでもいてくれ」
「そうですか? じゃあ、何か持って帰れそうなものを用意しておきますね! 任せて下さい!」
「……ああ、ありがとう」
誰の顔も、見たくなかった。
急にこの世界の人間全てが敵のように思え、笑っている生徒達に嫌悪感が生まれる。
一体何を幸せそうな顔を引っ提げているのか。
怒りに似た感情と、今にも叫び出したいような衝動が危険な程渦巻いていた。
これは、嫉妬なのだろうか。
頭を冷そうと歩きながら考えている内に、自嘲気味な笑いが出た。
異世界の人間だと知っておきながら、監視役として責任がある自分が。
そんな事があってはならないはずだ。
まさか、彼女に恋をしていたなんてこんな馬鹿な話を誰が笑ってくれるだろう。