第百九十四話 眠る少女、決意の少年
人の話し声が聞こえたが、甲斐の意識は朦朧としていた。
強い眠気のせいで目を開けるのも迷う。
つい力を入れてしまったが右腕の痛みは無かった。
普段通りに動かせそうだ。
ギャスパーがかけてくれた魔法がまだ効いているのかと思ったが、あの鈍い感覚は無かった。
目を開けると、眩しすぎるほど白く、明るい部屋にいた。
危うく寝ている場所から落ちそうになり、このベッドの幅が自分の体と同じぐらいなのに気が付いた。
背中に当たっている部分が部品名なのかへこみなのか分からないが、ごつごつとしている。
寝かせる気は一切無さそうなこの状況から身を起こせば、横たわっていたのが簡素な長椅子なのにがっかりしてしまった。
忙しそうに行き交う人と飛び交う声がガラス越しに分かる。
この部屋は応接間か何かなのだろう。
向かいにはシェアトが座っているが、両手に額を付けて下を向いている。
「背中がいてて……。シェアト? 寝てんの?」
跳ね起きたシェアトが、向かいから手を伸ばして甲斐の右腕を掴んでは振った。
特に問題は無いのだが、鬱陶しくなり手を引くと前のめりに突っ込みかけている。
「大丈夫か!? 痛まないか!? ……急に倒れたから、死んだかと思ったんだぞ……」
「いつもそれぐらい殊勝な態度ならいいのに……。シェアトこそ大丈夫?」
「ああ、俺は怪我も無ぇしな……。……ケヴィンが、ダメだったみたいだ」
ギャスパーを彷彿とさせる顔色のシェアトの調子を心配して甲斐は尋ねたのだ。
その理由は怪我では無かったが、思い切ったように切り出したシェアトの言葉に甲斐の心臓は早くなった。
ダメだった、という言い回しをしたのは彼なりの心遣いなのかもしれない。
本当はあの時、彼の代わりにあの男が現れた時に分かっていたはずだった。
しかし、もしかしたら、きっと、などという甘い期待が今この時まで捨てきれなかった。
「……そう、なんだ」
良い人だった、そう言いかけたが止めた。
たった一時間にも満たない付き合いだ。
気さくだった彼の事だ、仲間達からも愛されていたに決まっている。
仲間たちは今、どれほど彼の突然の旅立ちを悲しんでいるのだろう。
ケヴィンの事を語る資格など自分には無いような気がした。
「そんな顔、すんなよ。お前が生きていたのも、ケヴィンの指示のおかげだってギャスパーも言ってたぜ。大声を出して自分の居場所を知らせるような隊員は基本いないから、体験に来てる俺らだって近くの隊員にも知らせられるし、優先的に俺らを守るように動いて貰えるから……ってさ」
「うん……うん。あ……ボスは……捕まったの?」
「ああ、任務完了だってよ。……俺らはカイが気を取り戻したら学校に戻れ、とよ。ここから戻れるらしいぜ……もう、行けるか?」
「……大丈夫、もう大丈夫だよ。ホントに。……帰ろ」
お互いが慰め合えるような深さの傷ではない事は分かっていた。
相手と話している口は自分の物では無いようで、気持ちが悪い。
シェアトは、自分の弱さが許せなかった。
感情全てを殴り殺して任務にあたらなければいけないと、頭では理解しているつもりだった。
ギャスパーにねじ伏せられた時、自分が何をしてしまったのか思い出し、情けなかった。
なんの役にも立たず、彼らの負担を増やしているだけの存在が恥ずかしかった。
少しぐらい、成果を上げられるのではないかと考えていた自分の愚かさを憎んだ。
ボスの前に転がされた数々の『成果』を目の当たりにした時、血の気が引くのを感じた。
目標を殲滅、とは相手の命を全て消し去るという命令だ。
甲斐を助ける際にも、一帯の敵を殲滅した時にも、ギャスパーの放った魔法からは本気の殺意が込められていた。
また、敵からの攻撃にも殺意があり、それをどの瞬間も向けられるあの足がすくむような感覚。
来年、この部隊に入れた時に自分は果たして通用するのだろうか。
相手の事をただの的だと思い、容赦なく命を摘み取ることが出来るだろうか。
目の前で甲斐が気を失った時、明らかに動揺し、そして取り乱してしまった。
その時ギャスパーは確かに、甲斐ではなく自分を見ていた。
失望したような、瞳で。
大切な誰かが、仲間が倒れた時にその状態に目もくれず、ただ目標に向かい続ける。
そうなれた時は、自分もあの目をしているのだろうか。
死に慣れきってしまっている、あの瞳を。