第百四十四話 二人の、これから
「で、あの時ってどの時なんだよクリスさんよぉ?」
「僕も興味あるな、是非聞かせてよ」
ビスタニアが甲斐に連れ去られてから、残った者達はこの調子である。
クリスは腕組みをしたまま、ロビーで無言を貫いていた。
珍しい事にルーカスもシェアトと一緒にせっついてきている。
「呆れた、貴方までどうしたのよ。普段なら止める側じゃないの!」
「僕たちは恋をして、愛を育むために生まれてきたのだから、興味を持つのは当然じゃないか? さあ、洗いざらい全てここで話すといい!」
エルガの戯言に食いついたのはフルラだった。
顔を赤らめ、エルガにどもりながらも続きを頼んでいる。
「あ、あ、愛を育むってどうやるの!?」
「髪だけじゃなくて頭の中もピンクなんだな、お前は。俺は少し悲しいぞ」
息を荒くしているフルラは、最近妙に下ネタに食いつきが良い。
四人がかりで来られては、誤魔化し続けるのも難しそうだ。
クリスは観念するしかないと、腹を括った。
「……私とビスタニア、一年の頃ちょっといい感じだったのよ。自分で言うのもなんだけどね」
ここで何故かシェアトが一人で大笑いをし出した。
語り主から発せられている怒りのオーラを敏感に察知したルーカスが思い切り肘を無礼者の腹に打ち込み、黙らせる。
「……まあ、もしかしたら貴方達の中にもなんとなく知ってたりする人がいるかもしれないわね。いつも難しそうな顔をしてるけど、仲良くなってみたら良い人かもっていう軽い気持ちで挨拶してたんだけど……。ある日彼が『君は人よりも朝が早そうだな』て言ったのよ! 今まで目すら見ずに挨拶だけだったのに!」
「あいつ、女子が構いたくなる何かを持ってるんじゃねぇの。俺からしたら挨拶マシーンに少し知能が付いたんだなって位にしか思わねぇな」
興奮気味になっているクリスの話に水を差さないよう、エルガがシェアトの頭に鋭くチョップを入れる。
どうしてこうなる事が分かっていても尚、余計な口を叩いてしまうのだろう。
「……多分、彼は私の化粧とか巻いてある髪の毛を見て思って何気なく言ったんでしょうけど、当時の私からしたら天変地異レベルだったから嬉しくなっちゃって。そこから話しかけるのが多くなって、言葉を返してくれるのが嬉しくなって……」
こうして話していると、本当に過去の事なのだと思い知らされる。
流石にここでは恥ずかしくて言えないような二人の時間もあった。
時折、彼が優しく笑いかけてくれるようになったのはいつからだっただろう。
彼が自分を絶対に視界に入れようとしなくなったのがいつからかは、しっかりと覚えているのに。
「でも、一年の秋だったわ。休日でティナ達と廊下で立ち話をしていたの。そうしたらビスタニアとどうなんだって話になって……」
そうだった、あの日自分は取り返しのつかない事があるのだと強く、そして今も痛む程に学んだ。
あの時までは全て、順調だと思っていたのに。
「なんだよ?ここまでの話だとお前があからさまにあいつに嫌われてたのに結びつかないぜ?」
「君は本当に言い方を考えるっていう事が出来ないのかい? デリカシーが無いって君の名前なんじゃないかと思うよ」
「そうだよぉ、シェアト君いい加減にしないと女の子達に呪われちゃうよ……?」
「カイに呪われたら、それは二十四時間三百六十五日全て僕の事を考えてくれている証ってわけだね!? いやあ、一種の愛の形としてはアリかもしれないね」
「なよなよコンビがうるせえなあ。エルガに関しては通常運転だけど目障りだぜ……。んで、どうなったんだよ」
ぶはっと今度はクリスが笑い出した。
周囲は何故笑い出したのか分からずに困惑の色が見える。
「あはっ、もう本当可笑しいのよ。も~、馬鹿馬鹿しくって! 私、ティナ達と会った頃ね。彼女達には見栄を張って彼氏が国にいるのなんて言ってたの。もう、ふふっ。笑っちゃうでしょ? それをたまたま思い出した彼女達にどっちを取るの~なんて言われてる時に、これもまたたまたまなんだけどちょうど彼が来ちゃってね!」
笑い過ぎた、と言って目から零れそうになっている涙を拭う彼女に今度はシェアトも何も言えずに床を見ながら聞いていた。
フルラが差し出した白いハンカチを受け取って、また笑顔でクリスは話を続ける。
「それで、別に私と彼は何か関係があったって訳でも無かったんだけど。それこそよくある友達以上恋人未満よ。だからこそ、彼も何を言おうか迷ったと思うわ。……でも、とても大人だった。痛々しい程にね」
冷静にいようと努めた彼を、きっとこの先も忘れる事は出来ないだろう。
面と向かって、ずるく汚いときっぱり批判してくれた彼の表情は、何故か言われているこちらよりもとても悲しそうだった。
そんな顔を、させたかった訳じゃなかったのに。
たった一つの、虚勢を張った嘘が、一番大切な物を壊してしまった。
これはその罰なのだと、受け止めるしか無いと思った。
「弁解をしようと思ったのは、その時だけよ。弁解して信じてもらったとしても、きっとその前みたいに戻れないって分かっていたの。だから、せめてまた挨拶だけでもってしばらく頑張ったんだけど…彼が迷惑そうだったからやめたの」
「……クリスちゃん……。な、なんだかとっても切ないね! うぅう」
「はいはいよしよし。でも、私が悪いのよ? 被害者面なんて出来ないわ。またカイに汚い奴だって怒られちゃいそう。それにね……」
何もかも、今はもう良かったのだ。
甲斐のおかげでビスタニアが自分を認識してくれるようにもなった。
時々だがぽつりぽつりと話すようにもなった。
それだけで、十分だったのに。
今朝、何故かは分からないが彼があの時の事を謝ってくれた。
謝るのも、原因も自分にあるはずなのに。
もう彼は前へ進んだようだ。
いつの間にか強く駆け出している。
意図せず、その背中を見送る事が出来たのだから、次は自分も歩み出さなければ。