第百四十話 裏切られたなんて思ってないよ
まるで、今のあいつのようにクリスは俺の生活に入り込んできた。
おはようやおやすみ、この挨拶は俺の顔を見て言う事を日課にしているように、毎日どうにか俺を見つけ出しては声を掛けて来た。
それが最初は鬱陶しかったし、彼女の周りにいる取り巻き達がにやつきながらこちらを見ているのも不愉快だった。
いつだったか、挨拶を返した他に何か、本当に他愛のない一言を口にしてしまったのをきっかけにして、少しずつだが話すようになってしまった。
取り巻き達とは話したことも無いが、相変わらずにやついていた。
きっと彼女達は元来そういう顔なのだと思うと気も晴れたし、次第に慣れていった。
段々と彼女はウィンダムとも仲良くなっていったし、持ち前の明るさで相手を退屈させることが無く、いつも笑いを起こしていたのを覚えている。
どの話題でも前向きで、勉強に関しては苦手な事が多いようだが何故か応援する気になれた。
夢の中の場面は次々と変わっていく。
自分でも忘れているような事まで、断片的にピックアップされている。
空き時間に椅子を並べて勉強したり、嫌いな野菜がクリスにばれてしまい、食べるように勧められたりと夢の中の二人は思い出を追いかけている。
落ちたペンを拾ってやると頬を赤らめた事、窓を開けてわざわざ大きく手を振ってくれた事。
そんな些細な出来事まで思い出さなくてもいいんだ。
どうせ、ダメになるんだから。
そして今、二人は夕暮れの中で食堂から持ち寄った夕食を東館の前のベンチに座り食べていた。
「ビスタニア、最近よく笑っているの自分で気付いてる?」
「そうか?……何故だろうな」
そう言う自分の顔がまた笑顔を作るのが分かった。
自分の思う通りに事が運ばないのは、どうやらこの夢の中の世界もどうやら同じらしい。
どの世界なら、自分は自分の思う通りに生きられるのだろうか。
久しぶりにこんな距離で彼女を見る。
といっても過去の自分の見た彼女の記憶が作り出しているのだろうが、それでもどこか懐かしかった。
「あら、知らないなら教えてあげるわ。人はね、楽しい時と嬉しい時……それから幸せなときに笑うのよ」
彼女はそう言うと、紅くなった頬を隠すように顔を背けた。
この時の感情を思い出すと、心の中から抉り取ってしまいたくなる。
何を勘違いしていたんだ、どうして素直に信じてしまったんだ?
「じゃあ、最近の俺はとても幸せらしい。それは、何故だと思う?」
答えが返ってこなくても、それでも自分は微笑んだままだった。
夕焼けが落ちきる前に強い光を発し、また場面が切り替わる。
もう、たくさんだった。
こんな夢を見たのは何故か。
理由なんて無いのかもしれないが、何かがきっかけになり記憶が引き起こされたのかもしれない。
忘れかけた頃に現れるこの夢は、一体なんだ。
こが悪夢でないならなんだというのだ。
そして、秋へと変わった。
ああ、もうすぐこの劇も終わるだろう、それも最悪なラストで。
「ねぇねぇ、クリス。あんたまだあの王子様と付き合ってないわけぇ?」
この日は休日だった。
久しぶりにお互い友人と過ごしていたのを覚えている。
この時ウィンダムと分かれて知書室へ向かっている途中、立ち話をしている声が聞こえた。
何故、ここで立ち止まってしまったのか。
「いつになったら付き合うのよ~。今時そういう純愛とかやってないんですけど! あ~、羨ましい! だってあのナヴァロ君でしょぉ?」
「そんな……やめてよ。そんなんじゃないの、彼とは本当に仲良くしてもらってるだけだから!」
「あっれ~? でもクリスって最初さあ、自分の国に彼氏いるって言ってたよね? いいの? ねぇねぇ、意外にクリスって悪女なのね~? ふ~ん? 二股とかやるじゃ~ん!」
口々に思い出したと言う友人達に、クリスは否定するでもなく笑っていた。
別にそれがなんだというのだ、何も問題は無い。
本当に、問題など無い。
だから、頼むから彼女達の元に向かうこの足をどうか止めて欲しい。