第百十九話 それぞれの想い
食事を終えてもまだ甲斐はビスタニア達から離れようとしない。
しかしビスタニアは甲斐と仲良くするという約束があるので無下にも出来ず、仕方なく月組の寮へ一緒に向かう。
どの道エルガに食事を持って行かなければならないので、シェアトも渋々ではあるが後ろを付いて行くしかなかった。
ビスタニアは甲斐の後ろを歩いていたが、彼女の頭頂部が見える。
先日母に言われた言葉を思い出して、鳥肌が立ってきた。
気になるといっても、ティティの思うような感覚ではなくこれはむしろ天敵から身を守るための必要なレーダーのような物だと自分に言い訳をする。
「ねぇねぇナバロ達って今日は何する予定なの? えー! じゃあ、一緒に遊ぼう」
「どうした。文が変だし、俺は何も言っていないのに何故決めた」
目を合わせないようにしても、甲斐は左右前後へ動いてどうにか視界に入ろうとしている。
「今日は勉強をする予定なんだ、とても素敵なお誘いをありがとう。今度是非機会があれば、ご一緒させてもらうよ」
「……エルガ起こして来るわ。それまでにはお前らいなくなってろよ……」
かなり疲れた顔をして寮の階段を上って行くシェアトの言葉など、甲斐の耳をすり抜けて消えてしまった。
今がチャンスとばかりにビスタニアもシェアトに続こうとする。
「あれぇ、ナバロ?まだお話終わってないけどどうしたー?」
低音で呼び止められ、覚悟を決めて戻ると甲斐は勝ち誇っている。
その顔も腹立たしいが、断り切れない自分の弱さにも腹が立つ。
「まだ何かあるのか……、実戦よりも疲労感があるのだが……」
「3引く2は?」
「……はっ? ……い、1……」
「はい正解! 二人ともいなくなったらあたしが一人ぼっちになっちゃうでしょうが! エルガがどんだけ起きないか分かってんの!?」
「知るか! ……おい、俺の勉強の邪魔をこれ以上するなよ……」
頭を手で抑え付け、指に力を込めていくと甲斐は地団太を踏み出した。
ウィンダムが声を出して笑いながら、ビスタニアを止める。
「ここであたしの脳みそぶちまけられちゃうかと思った……。そうだ。ナバロ、手大丈夫?」
帰省の際に付いた傷は完全に塞がっているが、まだ跡が残っている。
どうやら食事中に気付かれたようだ。
特に理由を聞かれた訳でもないが、言いよどんでしまう。
しかし答えを待つ事なく、彼女はビスタニアを見上げて聞いた。
「でもそんなに勉強するのは好きでやってるの? それとも目標があるから? どっちにしても、凄いけどさあ」
「……好きじゃ、ないさ。得意でもない。だから、人一倍努力しないと出来ないんだ。何も、凄くなんてない。それに、ずっと目指している物がある」
「……ビスタニアは、努力家だからね。昔から。カイちゃんは何か目標とか、なりたい物はあるかい?」
「え? 無いよ。無い無い。あんまり考えた事も無い。だから凄いなって言ってるじゃん」
あっけらかんと言ってきた甲斐に、二人は黙ってしまった。
冗談を言っている訳ではないらしく、沈黙している彼らに心外だと怒り出した。
「カイちゃんは……将来、まだ決めてなくて大丈夫なのかい? 決めかねているのなら相談にも乗るよ?」
「何言ってんの? まだ選んでないだけで、あたしはなんにだってなれるよ」
こんなにも笑うビスタニアを、二人は初めて見た。
本当に突然笑い出したものだからウィンダムですら動揺している。
それは決して馬鹿にしている笑いではないのは、楽しそうな彼を見れば分かった。
「そうだな、選択肢なんていくらだってある。……本当に、お前こそ凄い奴だよ」
笑い過ぎたせいで少し涙目になりながら、微笑むビスタニアは元気が戻ったような気がした。
ようやくシェアトがエルガを引きずってきたのはいいが、手が滑り、階段から落としてしまったのを見て、事件が勃発する前に甲斐を残して二人はそそくさと退却していく。
しゃんと胸を張ったビスタニアは、良い顔をしていた。