第百十六話 いつも心配しているよ
空にはもう、夜が訪れていた。
二時間程前にこちらに着いた時よりも、一段と冷え込んでいる。
やはりもう学校へ戻ると言うと、ティティは引き止めるでもなくまたくすくすと笑ってじゃあまたと友人を見送るかのように言った。
次に会えるのはまた翌年の年末だというのに。
サクリダイスとした約束の事も、結局ティティへ言えないままになってしまった。
次に会う、来年の冬が『家族』として最後になるかもしれない。
突然そんな事を言えば、もしかしたら笑顔以外の母親を見る事が出来たのかもしれないが期待は低い。
彼女ならあらそうなのとコロコロ笑って終わりそうな気もするから嫌になる。
そこに愛があるかは分からないが、通常の尺度では測れないのだ。
ウィンダムとの待ち合わせには時間どころか日付さえ違う。
声を掛けた方がいいだろうかと思ったが、せっかくの久しぶりの帰省を邪魔するのも野暮だろう。
何故こんなに早く戻るのかと聞かれても、良い理由は浮かばない。
たった数時間で自分は学校へ帰るが君はゆっくりして来いと言っても、きっと優しいあの友人は一緒に付いて来てしまうから。
彼を置いて戻ったら、怒るだろうか。
待ち合わせの時間に現れないと、困ってしまわないだろうか。
風邪をひかせてもいけないので、とりあえず彼のみが開けて見られるメッセージをスポットに置いておくことにする。
スポットへ向かうと、また雪がちらついてきた。
今日はどうも冷え込みが厳しい。
父に言われた言葉を思い出すと、今にも息が出来なくなりそうだった。
何故か父の前だと舌が、口が、自分の思うように動いてくれない。
幼い頃からナヴァロの名に恥じぬよう生き、父を追いかけて来てしまった自分はそこから急に外されると本当に何も無い人間なのだとよく分かった。
チャンスはあと一度だけだ。
あのミカイルとベインの二人を抜かすのは容易い事ではないのは分かっている。
来年の秋の試験は卒業試験となる。
そこを首席で卒業をしなければ、自分が今まで生きてきた意味が無くなってしまう。
生きる意味とは、試されるのか。
二度と取り返しがつかないのか。
生きる意味を失ったら、どうなるのだろう。
「……やっぱり来た! 流石に体力の限界を感じてたんだよ」
「……何、してる?」
スポットのある路地に入ると、目の前に丸く体を抱えているウィンダムが鼻までコートの首元を引き上げた状態で、目尻を下げた。
「いや、それが酷いんだ。家に誰もいなくてさ、多分旅行じゃないかな? だから僕、学校に帰ろうとしてたんだけど……なんとなくビスタ二アが来る予感がして少しだけ待っていたのさ! いや、後ほんの数分後には僕はここにいなかったはずだから良かったよ!」
座ったまま体を前後に揺らしながら、息を吸い込んでは吐き出している。
嘘だと、すぐに分かった。
彼を置いて何処かに旅行へ行くような両親ではない事も知っているし、ましてや一年に一度だけ帰って来る一人息子を待っていないはずがないのだ。
非常に恥ずかしい話だが、ウィンダムの笑顔に、どうしようもなく安心している自分がいるのだ。
きっと家族には顔だけを見せ、ここでずっと、今にも逃げ帰って来てしまいそうな弱い友人を待っていてくれたのだろう。
現にこうしてウィンダムの予想通りになってしまっているのだから、心外だ等と怒る事は出来ない。
今年だけは、自分勝手になってもいいだろうか。
彼を叱咤して家へ戻らせるのが本当なのだろうが、今回だけは許して貰えるだろうか。
「そうか、ならちょうど良かった。父ももう仕事に行ってしまったから、母は帰省しないメイド達と毎年恒例のパーティがあるんだ。落ち着かないから俺も一足先に戻ろうと思ってな」
君に嘘をつく自分は、とても小さくて弱い人間だ。
でも、どうか信じて欲しい。
いつか、君に何かあった時に必ず助けられる、そんな人間になってみせるから。
今はそっと、そうして笑いながら、心の中で仕方の無い奴だと馬鹿にしてくれて構わないから。