プロローグ
「( よく寝たなあって思ったんだよ。そりゃそうだよ、寝坊してんだもん)」
とっくに過ぎた登校時間を示している壁掛け時計を見ながら、ベッドから起き上がろうともしない少女はぼんやりとした頭で思う。
寝返りを打てば胸まで伸びた黒い髪の毛が顔にかかってくる。
それをさも鬱陶しそうに手で後ろへ流した。
「(そもそも昨日は日付が変わるまでハリガネムシについての知識を深めていたわけだし、そんじょそこらの女子高生よりも学があるぞ今のあたしは。よって一日学校を休んでしまおうが、問題無いんじゃないの)」
ネットで見かけたハリガネムシの動画を見てから、生態について詳しく調べていた昨夜。
そのせいで完全に寝坊をした彼女からはもう、学校へ行く気は消えているようだ。
だが、もう十時になろうとしている今、両親は仕事に行っているので学校へ連絡をするのはやはり自分しかいない。
「(ということはだ! 今日は神様がお休みしていいって言っているんじゃない? そうと決まればこれはエンジョイするしかないよね!? やほほーい)」
とうとう完全に開き直ってしまった。
そうと決まれば早いものでベッドから転がるように落ちると、小柄な少女はむくりと起き上がる。
何をしてこの休日を過ごそうかと心躍らせていた。
その時、ガツンと頭に何かがぶつかったかのような衝撃と目の前が点滅し、続けて鼓動と共に頭痛が始まった。
「( えぇぇー。頭痛唐突すぎるよ。え?むしろこれ頭痛? 初めての痛み……動揺するよこれ……! いたっマジで痛いヤバいなにこれ)」
ふらつきながら、薬を取りにリビングへ続く階段をゆっくりと下りていく。
風邪すらもひかないこの少女、東藤甲斐は自分でもたまに恨めしくなるほどの健康体なはずだった。
「(あーやばい。今、頭痛を直してやるから土下座しながら靴舐めろって言われたら舐めちゃう……いた……痛い……!)」
あまりの痛みによって、意志に反して涙が勝手に落ちていた。
プライドもかなぐり捨てるほどの猛烈な痛みに、思考が冷静ではなくなっている。
「(なにこれ天罰? 学校サボってんじゃねーよっていうお叱りの痛み? 孫悟空ですらここまでじゃないんじゃないの? 神様器ちっちぇえー! ていうかヤバい、本気で死ぬかもしれない。本当、本当神様すいませんでした……!)」
望まぬ時に限って起きる腹痛の時と同じ、神頼みだ。
暑くもないのに甲斐の着ているタオル地で出来たノースリーブのキャミソール型パジャマにじっとりと汗が滲んでくる。
そしてようやく階段の踊り場までたどり着いたが、とうとう耐え切れずに座り込んでしまった。
「(ダメだ、これ誰かに連絡しないと。多分ここで本当に死ぬ。……死にたくねえ……。むしろ この痛みが全人類に分割されたらいいのに…! そうしたらかなり楽になるのに……)」
そうは思うが、そろそろそんな下らない事を考えている余裕も無くなってきた。
携帯はベッドの上に置きっ放しなのでもう一度階段を登るよりも、やはりこのままリビングまで下りて固定電話を使った方が良さそうだ。
壁に手を付いて再び下りようとした時、足が言うことを聞かずに階段を踏み外した。
「(圧倒的死の予感! 走馬灯っていつ見えるのあたしこのまま死ぬの絶対痛いよていうかたぶんこのパジャマワンピースだし落ち方によっては遺体で発見されたらパンツ見えるあれ今日どんなパンツだったっけ)」
思わず目をつぶるが、走馬灯どころか頭をよぎるのはこの期に及んで何故こうもどうでもいいことばかりなのか。
体をあちこちに打ち付けながら、落ちていくというよりも階段を転がるようにして着地を待つことしか今はできなかった。