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ソロリス

作者: ゐづみ

大学の文芸部で発表したものです。

天体に関する知識が乏しいのは、ご容赦ください。

「やぁ、はじめまして。僕はジョン」

『はじめまして、サラよ』

「オーケー、サラ。サラね。あぁ、そのなんていうか、はは。いや、まいったな」

『緊張しているの?』

「そりゃそうさ、緊張するよ。一体、何を話したらいいのか」

『大丈夫よ、大丈夫。なにも心配することないわ。他の人のことは気にしなくていい。ここにいるのは私とあなたの二人だけ、そうでしょ』

「そうだね、ああ、そのとおりだ」

『ええ、楽しくいきましょう。まずは、そうね。ジョン、あなた結婚は?』

「いや、してないよ。ずっと研究一筋だったからね。恋人も居ない。そういう君は?」

『私もしてないわ』

「そうなんだ、それは、なんというか」

『おかしいわよね。独身の“人間”二人にこんなことを――』

 惑星ソロリスは突如として太陽系に姿を表した。地球と火星の間、太陽系の第四惑星として。

 その姿は、地球のそれと大きく似ていた。地表を覆うのは七割の海面と三割の陸地。大陸の形は違えど、緑地や砂地の割合も概ね同程度であると見られた。瞬きの内に出現したその星は、まるで我々人類に与えられた新天地のように思われた。

 しかしながら、何の前触れもなく出現した事実を除いても、ソロリスに関するあらゆる事象が規格を外れていた。

 まず、ソロリスは太陽系唯一の逆行惑星であった。つまり、太陽の自転に対して、逆向きの公転を行うのだ。太陽系の惑星は皆、太陽の自転と同じ方向の公転軌道をとっている。その中をソロリスだけが逆走している形になる。

 更に異常なことに、ソロリスの公転速度は余りに速いのだ。速過ぎると言ってもいい。地球が三六五日間をかけて公転軌道をぐるっと回るのに対し、ソロリスはわずか二三時間と五五分で公転を終える。太陽との距離が地球と比べて遠い以上、勿論公転距離は地球より長くなるわけだが、それでも尚地球の三六五倍の速度でその軌道を走破する。例えるならば、反対車線を走る自分と同型の自動車が、音速を超えるスピードで爆走しているようなものだ。こんなのは驚異的というよりむしろ荒唐無稽だ。そんな超速で回転しながら何故軌道外に弾き飛ばされないのか、その原因は目下のところ判明していない。

 ソロリスの出現当初、世界中の宇宙開発機関がソロリスへの移住計画を考案した。増えすぎた人口を収容する新たなフロンティアとして。しかし如何せん、こう何もかもが規格外とあっては、人間が生活できるかどうかが危ぶまれた。たとえ外からだと地球と全く同じ環境が整っているように見えても。そもそも、そんな異常な状況にあって、何故緑や水を保ち続けていられるのかが謎であった。

 そんな中ある機関が、ソロリスから発せられる微弱な信号を感知した。それは毎日、ソロリスが地球に再接近する際に受信された。果たしてそれが音声通信であると判明するのに、さほど時間はかからなかった。

 驚いたことにその通信は、地球人類にも理解できるメッセージを内包していた。というより、英語での音声が発信されていたのである。恐らくは男声の肉声と思しき声で、我々とコンタクトを取りたい旨を伝えてきたのである。その場に居た者は皆、困惑を超えておかしな高揚感に包まれていた。地球人類のファーストコンタクトは、突如現れた外惑星の、人類らしき生物とのものでとなったのだ。



『ハァイ、ジョン』

「やぁ、サラ」

『この前はごめんなさいね。途中で切っちゃって』

「いやぁ、君のせいじゃないよ。もともと長い時間話せるとは思ってなかったしね。聞く所によると、だいたい十五分くらいだったそうだよ」

『そうなの。じゃあ今回もそのくらいを目安にしておいたらいいかもしれないわね。ああでも、今日はもう少し長く話せるんでしょう』

「そうだね、前回の倍くらいは話せるみたいだよ」

『それなら三十分くらいは話せるのね。それでもやっぱり短すぎるは』

「限られた時間だし、互いのためにも有意義な情報交換をしないとね」

『ふふふ、ジョンったら。すこし固く考え過ぎじゃない』

「そうかな」

『この前も言ったけどここにはあなたとわたしの二人だけなんだから、難しく考えなくてもいいんじゃない。情報交換とか、相互理解とか、そういうのは必要ないと思うわ。現にこうやって今お話し出来てるんだからそれで十分でしょ』

「そういうもの、かな」

『まぁでも、あなたのそういうおカタイところ、嫌いじゃないわよ』

「おいおい、からかわないでくれよ」

『ふふふ』

 先方が提示した条件はたった一つ。一対一の対談であること。

 ソロリス星人達も、現在自分たちが置かれているの状況を把握しかねているとの事だった。そして、文明を持っている惑星であろう地球を観測し、一か八かメッセージを送ってみたのだという。結果、知的生命体との邂逅を果たし、然も同一の言語を扱っているのだから驚愕したそうだ。

 どちらが口火を切ったかの違いのみで、現状は相互に大きな差はないようだ。ただやはり、出現したのはソロリスの方で、先方もこの太陽系の惑星の住人でないことは自覚していた。

 音声通信でのやりとりを数度繰り返した後、一度映像通信での対話を試みるべきだということになった。ただしその際先方は、これまでの文脈を共有していない、個人同士の対話が望ましいとの提案を出してきた。完全に一対一の独立した個人と個人の関係を構築すべきだと。そして、監視や録画・録音も一切不要であると。

 地球側はこれに大きく困惑を示した。例えば、ソロリス星人が人類史に例を見ない異形の姿をとっていて、見たものを発狂させかねないというのであれば、その主張も分かる。しかしこれまでの音声通信の結果、地球人類とソロリス星人は凡そ同じ姿形をとっていることがわかっている。それに、映像も残さず観測もしないのであればそもそも対話の意味が無いのではないか。

 しかしソロリス側は頑として意見を曲げなかった。曰く、技術的な意見交換や現状把握のための情報共有はこのまま音声通信を介してでも可能であり、映像を解する必要はないのだという。むしろ互いに、『未知の異星人』であったほうが、今後都合が良い場合もあるかも知れない。ただもし、我々の関係が今後長く続くようであれば、ひとつモデルケースを設けておく必要があるのは事実である。そこで一度、ノイズの全くない状態でのソロリス星人と地球人の設けておくべきだ。その経過を、あくまで個人同士のものとして観察してはどうか、というのである。

 全てに納得がいったわけではない。しかし、ソロリス側も決して地球人を謀ろうとしといるわけではないことは理解できていたため、地球側もその要求を飲む事にした。

 最後にソロリス側から、地球側の人選は若い男性が望ましいという要求が追加された。そして地球人代表として、気鋭の文化人類学者、ジョン・スミスが選抜された。



「やぁ。久しぶりだね、サラ」

『ハァイ、ジョン。久しぶりって、まだ前回話してから四日しかたってないわよ』

「そうだっけ、そっかそうだったか。いや、これは失礼」

『もしかして、わたしと話したくて待ち遠しかったとか』

「はは、そうかもしれないね」

『あら、からかい甲斐がないわね。以前のあなたなら赤面しているところよ、今の』

「そうだね。でもまぁ前回結構話す時間があったから、それなりに打ち解けられたのかなって気がしてるよ。僕にしては珍しいことなんだけどね。こんなに早く人と仲良くなるのは」

『なぁに、もしかしてわたし口説かれてるのかしら』

「え、いやいやまさか。全然そんなつもりじゃなくってだね」

『そうそう、その反応よ。それこそジョンって感じだわ。でも確かに、わたしもすごく話しやすいとは思っているのよ。気が合うのかもしれないわね』

「そう言ってもらえると嬉しいよ。そういえば、この前言ってた……」

 対話が終わる度に、ジョンには軽い報告を求めていた。これに関してはソロリス側も承諾している。無論承諾がなかったとしても地球側は聞き出すことをしていただろうが。

 ジョンの報告によれば、案の定ソロリス星人の見た目は地球人類のそれと全く変わるところがなかったそうだ。しかも、対話相手のサラという女性はジョンの目から見る限り相当な器量好しだという。話している内に、相手が宇宙人であるということを失念してしまうことがままあったそうだ。というのも、ソロリス星人と地球人類は、文化の面でも共通している面が多く見られたのだ。例えばポップカルチャー。音楽や映画、小説にスポーツといった大衆向けの娯楽が、好まれる傾向は違えど、存在するのだという。アーティスト名や作品名を巡る会話はできないが、ジャンルや演出といった面では、地球人類との会話とほぼ同等なものが可能であった。

 当初、学術的な興味から依頼を承諾したジョンは、対話を重ねるごとに次第にサラと対面することそのものを楽しむようになっていった。それはさながら、遠く離れた友人に連絡を取るかのように。報告の内容も、どんどん他愛のない世間話のようなものへと変遷していき、凡そ惑星ソロリスやソロリス星人を研究するための材料となりえないものとなっていった。

 一方で、音声通話での更新は絶えず続いており、そこでの情報交換は密に行われていた。また、地球の天文学者や宇宙物理学者がソロリスの特性や軌道についての研究も重ねていった。そしてその過程で、とある重大な事実が報告された。

 ソロリスの公転速度が、日を追うごとに漸減しているというのだ。それも、きっかり二分の一ずつのペースで。つまり、ソロリスが公転軌道を一周する度に、次回の公転には今回の公転の二倍の時間を要することになる、ということだ。発生した当初、ソロリスは約二十四時間で公転軌道を一周していた。観測から暫くの間は、その速度を維持していた。しかしある時、丁度ジョンとサラの最初の対話がなされた辺りから、速度は徐々に減少していくこととなった。速度の減少と二人の対話による因果関係は、今のところ明らかになっていない。

 速度の漸減に関しては、ソロリス発生時の初速が奪われたや、太陽の自転方向に順応しつつあるなど諸説ささやかれているが、有力なものは一つとして存在しない。また、先方との音声通信やジョンとサラの対話が行われ続けていることから、公転速度が急激に変化しているにもかかわらずソロリス星人の生活が続いていることになる。

 地球とソロリスの交信は、二つの惑星が再接近した瞬間にのみ可能とされている。公転速度が減少した以上、その交信頻度もまた少なくすることになる。単純計算で、空白期間が一日、二日、四日、八日、十六日……と倍々していく。これはソロリスとの情報交換の機会が、そしてジョンとサラの対話が回を追うごとにドンドンと待ち時間を増やしていくことになるということだ。



『ジョン。あぁ、ジョン。会いたかったわ、ジョン』

「僕もだよサラ。酷く、待ち遠しかった」

『本当に。嬉しいわ、ジョン。ええわたしも、とてもとても待ち遠しかったわ』

「君と会えない時間が、まさかこんなにも辛く寂しい物になるなんて思っても居なかったよ」

『そうね。一ヶ月なんて、普段日常を過ごしている内はいつの間にか過ぎ去る他愛もない期間のはず。そのはずなのに、あなたに会えない期間だと思うと、途端に銀河の果てを目指すような、遠く途方も無い隔たりのように感じてしまうの。チープな表現だと思うけど、本当に時間が止まってしまったようだったわ』

「あぁ、なんというか不思議な感覚だよ。君とは直接あったこともない、こうして映像通信で何一日に一度会話するだけの仲なのに。数千万キロメートルも離れた所にいるのに、こんなにも」

『きっとそんなことは関係がないのよ。直接あったことがなくても、物理的な距離が離れていても、関係ない。こうしてあなたと話して、あなたの目を見て、それだけできっと十分なのよ。だってわたしは、あなたのことを』

「ちょっと待ってくれ」

『え』

「そこから先は僕に言わせてくれ。頼りないかもしれないけど、僕も男だからね。実にちっぽけなプライドかもしれないけど、任せてくれないか」

『……えぇ、そうね。わかったわ』

「ありがとう、サラ。あのね、サラ。僕は君のことが……」

ソロリスの公転速度が漸減する。これはコンタクトの間隔が開くのと同時に、一度のコンタクトにおける対話時間が増えることも意味する。出現当初、ソロリスが約二十四時間をかけて太陽の周りを公転していた頃は、一度の接触時間は十五分ほどであった。それが、公転速度が減少し再接近している時間が長くなるために、交信頻度同様交信時間も倍々に増えていった。十五分、三十分、一時間、二時間、四時間……と。

 空白期間は増えるがその分、交信する際には前回以上に濃密な時間を過ごせる、ということになる。

 だが無論、空白期間と接触時間は共に無限に増大し続けることはありえない。ソロリスの公転速度漸減にも限度がある。否、この書き方は不適切だ。計算の上では、速度を無限回半減させ続けることは可能だろう。しかし、ある程度まで減少した速度はほとんど静止しているようにしか見えず、それ以上減少したところで地球とのコンタクトの間隔に差は生じ得ない。

 具体的には、十度目の半減を迎えた時。ソロリスの公転速度は地球を下回り、五百十二時間をかけて軌道を周回することになる。それ以降も公転速度は減少し続けるが、空白期間に関しては地球の公転周期である一年にひたすら漸近し続けるのみとなる。接触時間も増え続けることはなく、約七十二時間=三日程度が頭打ちとなる。



「まさか、こんなことがあり得るなんて……夢のようだよ、サラ」

「えぇ、わたしも信じられないわ。でも、夢じゃないのよ」

「眼の前にいる君は、本当に君なんだよね」

「そうよ。わたしはサラで、あなたはジョン。夢でも幻でもないわ」

「正直なところ、僕は君の実在を疑っていたところがあったんだ。僕は政府に担がれているんじゃないかってね」

「まぁ、ひどいのね」

「だって僕はモニター越しの君しか知らなかった。勿論、それで十分だったし君を愛していた。でもこうして、触れられる距離に君がいるのを見て始めて真に実感が持てたよ。君は確かに存在するんだって」

「そうね。わたしもこうしてあなたと会えてほんとうに嬉しいわ。会えるなんて、思っていなかったから」

「あぁ、どうしよう。伝えたい言葉が山ほどあるのに、いざ君を前にすると何から話せばいいのやら。モニター越しならあんなに饒舌になれたのに」

「大丈夫よ、焦ることはないわ。今日は一日中ずっと一緒に居られるんでしょ」

「一緒に……そうだ、一緒に居られるんだ」

「だから、ね。ゆっくりしましょう。心配ないわ。わたしたちは愛し合っているのだから」

「僕達の愛は、星を越えたんだね」

 当時の地球において、軌道エレベーター建設は大変センセーショナルな話題だった。

 人は以前より、宇宙にはロケットに乗って到達するものだと思っていた。しかし、天を貫かんばかりにぐんぐんとその頂を伸ばし続けているカーボンナノチューブ製のケーブルの束に、人々はいつしか夢を託すようになっていた。その進捗はめざましく、完成まであと僅かというところまでこぎつけていた。これにより、宇宙ステーションへの物資の輸送や、安価な宇宙旅行の実現などが望まれた。

 そして、地球とほとんど同程度の科学水準を持つソロリスでもまた、当然のように軌道エレベーターは建設されていた。デザインの細部に違いこそあれど、機構や仕様は地球のそれと酷似していた。

 地球にもソロリスと同様の軌道エレベーターが建設中であると知ったソロリス側のメッセンジャーは、ジョンとサラのランデブーを提案してきた。この場合のランデブーとは、男女の会合を意味すると同時に、宇宙空間における人工衛星やスペースシャトルのドッキング作業も意味している。

 軌道エレベーターとは、地上から静止軌道上にある人工衛星までをケーブルで繋ぎ、物資や人間を運搬する技術である。地球の静止軌道上にある人工衛星にジョンを、ソロリスのものにサラを送り、どちらかの衛星からシャトルを発進させもう片方の衛星にランデブーさせる。この方法であれば、現行の技術でもジョンとサラを会わせることは可能であった。

 無論、それ相応のコストは要求されるしリスクも高い。地球側は、そこまでしてジョンとサラを合わせることにメリットを感じていなかった。ここ最近のジョンの報告を聞く限り、彼がサラに対して学術的な興味以上の感情を抱いていることは明白であった。それを後押しすること自体に否はなかったが、あくまでそれは個人間の感情の問題であり、国を上げて、星をあげてバックアップするほどのものではないとの判断が大勢を占めていた。

 しかしソロリス側は、二人を直接合わせるべきだという意見を固持した。真のファーストコンタクトを為すに適任なのは彼らしかおらず、今この時以上に適切なタイミングはないのだ、と。凡そ理性的な判断とは言いがたく、二人の関係性に言及するときに限って、地球人類はソロリス人に異星の意思を感じずにはいられなかった。

 結局はソロリス側の強硬な姿勢に押される形で、ジョンとサラは宇宙で相見えることとなった。



「やぁサラ。またこうして君と会えて嬉しいよ」

「わたしもよ、ジョン」

「前にあった時からずいぶん時間が経った。四ヶ月だ。とても、とてもつらかったよ。以前の、モニターを通して接していた頃とはわけが違う。一度君の温もりを知ってしまったあとに、今までで一番永いお別れをしなくちゃいけないなんて。毎日毎晩、君のことばかりを想っていたよ」

「えぇそうね。そのとおりだわ」

「実は僕は、とても恐ろしかったんだ。確かに僕達の愛は星を越えた。これはすごく尊いことだし、僕は人類史に新たな一ページを記せたことに誇りを持っていたよ。それでも、どこまでいってもやはり人の心は脆く儚いんだ。宇宙に出たところで、それは変わらない。僕はね、サラ。君への気持ちが薄れていって、風化していかないかどうかとても不安だったんだ。四ヶ月なんて大した期間じゃない。それでも、人の心が、記憶が、気持ちが変わってしまうには十分な時間なんだ。今日こうしてまた君に会うまで、君を思い続けることが出来て本当によかった」

「辛かったわね、ジョン。その気持ち、とてもよく分かるわ。人の心なんて移ろいやすいものですもの。これほど遠くの距離を隔てた愛を成し得たわたしたちでも、時間を越えることだけは出来ないわ。ましてや、わたしたちは未だ出会って八ヶ月しか立っていない。そのうち半分を連絡もなく、写真すら無いまま過ごしたのよ。あなたは胸を張ってもいいわ」

「ありがとう、ありがとう、サラ。でも次は八ヶ月だ。今度こそ、僕は耐えきれる自信がないよ。こんなにも君のことを想っているのに、ふとした拍子に君のことを忘れてしまうんじゃないかと……」

「心配ないわ。あのね、ジョン。わたしも勿論、あなたと同じでこの四ヶ月はとてもつらいものだったわ。でもね、片時もあなたのことを忘れずに過ごすことが出来たの」

「それは、どういうことだい」

「ほら、よく見て」

「サラ、そのお腹は……まさか」

「そうよ、わたしはこの四ヶ月間、ずっとここにあなたを感じていたの」

「あぁ、なんてことだ。こんなことって。素晴らしいよ、サラ」

「次に会うときにはこの娘も生まれているわ。家族三人、宇宙で初めて対面するのよ。そう思えば八ヶ月だって耐えられるはずだし、それに、この子の為を思うなら迂闊なことは出来ないはずよ」

「君の言うとおりだよ、サラ」

 ある一定期間を過ぎると、人々の関心は次第にソロリスから離れていった。理由としては単純で、ソロリスのあらゆる事象が地球のそれに似すぎているからだった。伝えられるあらゆる新事実は、「ソロリスの○○は地球と同様のものである」ばかりで、大衆に対してのセンセーションにはなり得なかった。発生当初は、空を超速で横切る惑星に人々は目を瞠ったが、速度を落とした後は、せいぜいが空に少し大きな星が増えた程度の認識に落ち着いた。

 無論それらのことは不可思議以上の何物でもなく、そもそも出自や軌道に関しても謎のままであった。それらに関しては逆に、いくら調査や観測を続けたところで「わからない」以上のことはわからなかった。

 あるいはソロリスからの文化的な輸入があれば人々の話題に上ることもあっただろうが、ソロリス側はそれを許さなかった。曰く、ジョンとサラのファーストコンタクトが何らかの形で終局を見ない限り、迂闊に互いの文化的交流を深めるのは危険である、とのことだった。如何に危険なのか、終局とはどの地点を指すのかといったことには全く回答を示さなかった。

 空白期間が開いてくるに連れて、政府もソロリスとのコンタクトを半ばイベント事のような扱いにしていき、新事実の究明にそれほど熱を上げなくなっていった。学者達も、謎を解き明かすための糸口が全く見えてこず、雑多な学説が泡沫のように現れては消えを繰り返すさまを見て、いつしかその解明を放棄し始めるようになった。つまりソロリスとはそういうものであり、我々の学問の及ぶべくもないのだ、と。

 人々の生活へと、ソロリスは緩やかに浸透していった。時間とともに非日常は日常へと姿を変えていく。未知の惑星から既知の惑星へ。実際のところは、何一つ明かされたわけではなく、地球の似姿だというのもソロリス側からの口伝の情報でしかない。だが、ジョンとサラの関係を見届けてからでなければこれ以上の開示はないというのだから仕様がない。

 決してソロリス側が非友好的だというわけではない。あるいは、地球人類に比べていささか情動に左右されやすいという程度の事柄なのかもしれない。いずれにせよ、相手側の態度が変わらない以上地球側もジョンの経過を見守るよりほかに打つ手はなかった。

 かくして、ジョンとサラの関係は次第にその果てをあらわにしていく。だがそれは同時に、地球とソロリス双方の関係にも大きな影響を及ぼしつつあった。


10


「名前はカイルにしようと思うの」

「カイル、いい名前だ。よし、この子の名前はカイルだ」

「きっとこの子は史上最年少で宇宙にやってきた人類になるのでしょうね」

「それにしても、大丈夫だったのかい。まだ生後間もないこの子をこんなところに連れてきてしまって」

「ここまで来るのには万全を期したわ。こちらの政府は、わたしたちの為すことすべてに全面的なバックアップを約束してくれているの。このスーツだって、この子のための特注品よ。もう首は座っているわ。この子からすれば、眠っているうちにいつの間にか宇宙に来ていたという感じかしら」

「カイル、聞こえるかい。パパだよ」

「もちろんまだ言葉はわからないだろうけど、カイルもきっとあなたに会えて喜んでいるわ」

「前回君の言ったとおりだったよ。この八か月はとてもつらかった。けれど、君や生まれてくるカイルのことを思うと、つらい以上に過ぎていく一日一日が楽しくなっていったんだ。また君たちに会える日が近づいてきたんだって。そして、こうして家族三人ここで顔を合わせることができた。僕は今世界一、否、文字通り宇宙一幸せな人間だよ。掛け値なしにそう感じる」

「ねぇジョン。一つ提案なんだけど、カイルを一度地球に連れて行ってくれないかしら。カイルだってきっと、パパと過ごしてみたいと思っているはずよ」

「それはつまり、この一年間僕がカイルの世話をするということかい。もちろん僕は構わないけど、君はそれでいいのかい」

「ええ、子どもには父親も母親もどちらも必要なの。わたしばかり独り占めするわけにはいかないわ。それにカイルはソロリスと地球、惑星をまたいだハーフなのよ。二つの惑星を故郷に持つの。こんな子史上はじめてよ。ソロリスばかりに居させておくのはもったいないわ」

「そういうことなら、わかったよ。今日から一年間パパとして立派にこの子を育ててみせるよ。次に会うときは、立派に成長したこの子を見てあげてくれ。そして僕は、この子を抱きながら、遠く離れた君との絆を感じ続けるよ」

「一年後に会うのが楽しみだわ。わたしもきっと、あなたのことを忘れず想いつづけるわ。だからまた、元気な顔を見せてね。約束よ」

 そして、終わりは唐突に訪れる。

 長く沈黙を守っていたソロリスに、ある日突如として異変が発生した。それは音声通信により伝えられた情報ではなく、観測によって導かれたものだった。

 ソロリスが公転軌道を外れている。長く速度を漸減させ続け、ほとんど静止したように見えていたソロリスが徐にその速度を上げ始めたのだ。依然としてその公転方向は太陽の時点に逆行するものであったが、まるで渦を巻くかのようにその軌道半径が減少し始めたのである。

 半径が狭まるごとに再び公転速度は上昇し始める。このまま加速度的に上昇し続ければ、ソロリスは数年のうちに太陽に墜落し跡形もなく消滅する形となる。

 例にもれず、なぜソロリスがいきなりこのような軌道をとったか、その理由は謎以外の何物でもなかった。地球人類にとってわかることは、突如として現れた惑星ソロリスが突如として消え去ろうとしているということだけだった。

 この事実が判明した直後の最接近時、急いで地球側はソロリスに連絡を取ろうとした。しかしソロリスからの返答はなく、沈黙が守られたまま地球の前を通り過ぎて行ってしまった。おそらくは、ソロリス側も今回の事態を察知し、滅び行く星の様を地球に見せまいとしたのかもしれない。

 ただ政府は、ジョンにこの情報を伝えぬままにいた。ジョンはすでに軌道エレベーターで宇宙に向かっている。サラとの最期の逢瀬になる。その事実を伝えることはあまりに酷に感じられ、誰も言えずにいたのだった。だが或いは、地球に帰ってきたジョンに、二度とサラに会えぬことを告げるほうがより残酷であるかもしれない。ジョンはサラに会えぬ一年の空隙を耐えきった。愛する人と時間と距離とを遠く隔てられても、それでもなおその人を愛し続ける心をジョンは獲得していた。人の愛は時間も空間もすべてを飛び越えてしまったのかもしれない。しかし、そんなジョンにとっても永遠という時間はあまりに長く遠い。

 それでもやはり政府は、ジョンとサラの終局を見届ける以上のことはできなかった。


11


「サラ。待ってくれよサラ。冗談だよな。嘘だといってくれよ」

「ごめんなさい、ジョン。でも、本当のことなのよ」

「そんな、そんなのってないだろう。非道すぎる。何故なんだいサラ。僕と君は愛し合っていたはずだろう」

「ええそうよ、確かにそう。わたしとあなたは愛し合っていた。その事実は揺るがないわ。でも、それでも……この一年は永すぎたのよ」

「君がすごした一年は僕もすごした一年だよ。僕はこの一年を越えても変わらず君のことを愛し続けた。嘘じゃない。月並みな言葉だけど、一晩だって君のことを忘れたことはなかったさ」

「だって、あなたの傍にはカイルが居たじゃない。あなたとわたしが確かに一緒にいたという証が。でもわたしには、何もなかった。何もなかったのよ。わたしには遠く何千万キロメートル彼方にいるあなたを感じることができなかったのよ」

「距離なんて時間なんて関係ないって、君がそう言ったんじゃないか。以前、僕に。その君がどうして」

「マーカスはとても優しかったのよ。愛する人に会えないわたしの心をマーカスが温めてくれた。マーカスが居なくちゃきっとわたしはだめになっていたわ。勿論わたしだって悩んだわ。あなたのこと、カイルのこと。考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩んだの。それでもやっぱり、無理だった。土台不可能だったのよ。一年に一度しか会えない相手をずっと愛しつづけるなんて。愛なんて人の心が見せるまやかし。心は時間を超えることはできないのよ」

「嘘だ。君からそんな言葉は聞きたくなかった。僕は、カイルはこれからいったいどうすればいいんだ。君がいなくちゃだめなんだよ」

「ごめんなさい。確かにカイルはわたしがお腹を痛めて産んだ子供だけど、わたしがカイルと一緒にいたのは一年前のほんの三ヵ月程度。それに、わたしはもうあなたを愛してはいないわ」

 失意に打ちひしがれ、その場で膝をつく。腕の中で身動きを繰り返すカイルを、危うく取り落としそうになった。カイルはたった今母に突き付けられた事実を知らずに、無邪気な笑顔を僕に向けてくる。

 とても信じられなかった。僕とサラの愛は時間や空間すら飛び越えたのだと心から信じていた。まるでおとぎ話のようだけど、僕とサラはそれを為し得たのだと確信していた。

 僕を見下ろすサラの瞳には、憐憫の色こそあれどそこに哀切はこもっていなかった。もう僕のことを愛してはいない。きっとその言葉は真実なのだろう。

 マーカスという男のことを僕は知らない。ソロリスの人間だというのだから当然だろう。サラとは以前よりの知り合いで、カイルを身籠っているときも甲斐甲斐しく解放してくれたのだという。サラとマーカスはすでに婚姻関係にあった。僕とサラはまだその関係に至っていない。そうする法がないから。

 突如、壁面に据え付けられているモニターが作動する。そこに見知らぬ男の顔が映し出された。

『やぁサラ。それに初めまして、ジョン。私は惑星ソロリスを代表してこの場で君たちにメッセージを伝えに来た者だ。オブライエンと呼んでくれ』

 オブライエンは沈鬱な面持ちを浮かべていた。

『実は君たちに、非常に残念なニュースを伝えなければならない。単刀直入にいう。今回のコンタクトをもって、君たち二人の関係は終局を迎える。実は惑星ソロリスは安定していた公転軌道を外れ、太陽に接近しつつある。このままいけば数年のうちに太陽へと墜落するだろう。もはやソロリスの存亡は決してしまった。だがサラ。君だけなら生き残ることはできる。そのまま軌道エレベーターを伝って、地球に降り立つんだ。そうすればソロリスの唯一の生き残りとして生きながらえることができる。どうだろうか』

 頭がどうにかなりそうだった。

 何の前触れもなく現れたオブライエンからとんでもない事実を突き付けられ、どう感情の整理をすればいいかわからなかった。ソロリスが滅亡するだって。サラに別れを告げられ傷心であったところに追い打ちをかけられた気分だった。

 サラの顔をうかがう。僕以上にショックを受けていることは明白だった。唐突に世界の滅亡を告げられたのだ。その裡に何を思うのか、僕に想像できようはずはなかった。

 沈黙は長く続いた。

 サラは目に涙を湛え、感情の行き場を見いだせないまま少しずつ言葉を紡ぎ始めた。

「わたしには、愛する人がいます。わたしはその彼のもとを離れたくはありません」

 一言一言、紡がれる言葉が再び僕の心臓をえぐり始める。まさか。そんなはずはない。確かに自身が愛したはずの女性に、今は猜疑の視線を向ける以上のことができなかった。

「元々、ここに来るのは今日で最後にするつもりでした。悔いはありません。ソロリスが消滅するまでまだ数年の猶予があるなら、わたしは愛する人と共に居たいです」

 彼女が愛するものというのは、無論僕であろうはずはない。彼女は自分の命を、種の存亡すらかなぐり捨ててまで、マーカスの元に戻りたいと言ったのだ。あれほど愛を語り合った僕ではなく、時間や空間すら超えて愛し合った僕ではなく、マーカスの元に。

 もはや、涙すら浮かばなかった。僕の心を満たすのは只々虚無ばかり。幻想だった。何もかもが。人の愛とは斯く儚く無慈悲なものだったのだ。移ろい流転する時間と空間と愛とに、僕はひとり取り残された。

『わかった。非常に残念に思うよ。しかしそれが君の選択であるなら尊重しよう。……やはり、こうなってしまったか。すまなかったね、ジョン』

 オブライエンはそこで通信を終えた。同時にハッチが開く。そこにはランデブーされたスペースシャトルが待機していた。既にいつでも発射できる状態にあるようだ。

「ジョン、本当にごめんなさい」

 サラは僕に一瞥を投げかけると、あとは振り向かずにシャトルへと歩を進めていった。言葉は虚しく宙を舞う。

 僕の腕の中で、カイルが「おぎゃあ」と呻き声をあげた。

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