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3.仮面

Against ones will Ⅲ

仮面


【1】


電車に乗ってから、黒崎雫は目を閉じた。

視界が暗くなり、静かに暗闇が私を包み込む。電車の車内の話し声は聞こえてきていても、目を開けている時よりも頭は冷静に動かせる。

 しばらくして目を開けると、目的地の駅の名前がアナウンスされたところだった。その駅で降りて待ち合わせ場所の喫茶店に向った。

夕日で駅周辺のアスファルトの道路がオレンジ色に染まっている。部活帰りの学生や、仕事帰りのサラリーマン、買い物帰りの主婦などが早歩きで行きかう。

駅近くにある喫茶店に近づくにつれて、聞き覚えのある歌声が聞こえてくる。待ち合わせをしていた相手が高校生くらいの子たちと楽しそうに歌っていた。

 「……何をしているのですか?」

 「何って、路上ライブを聞いています」

 高校生たちは三人いた。

少女が二人と少年が一人。

 マイクもなければ、楽器もない。アンプもない。生の歌声だったとすると、よく響く声質と声量だ。アカペラでも聴かせる力がある意思のある声だ。

 通行人は、昼間という事もあり、何事もなかったかのように通り過ぎていくみたいだ。

 「聞いていたのではなくて、歌っていましたよね」

 「少しね。懐かしくて、つい」

 「懐かしい?」

 「学生の頃、路上ライブ見に行っていたから。その時、みんなで歌った事もあった。夜の路上なのにね」

 「以外ですね。そんな事をしそうにないのに」

 ルカの外見は、黒がベースのジャケットにワイシャツ。ダークブラウンの髪にメガネをかけていて、知的でクールな感じに見える。いつもの話し声も、低めで落ち着いているように聞こえた。

 「そうか?」

 「はい、少なくとも私にはそう見えます」

 「そうか」

 ルカは苦笑を浮かべた。

 「……知り合いですか?」

 黒崎は、視線を高校生に向ける。高校生たちが首を横に振るのと、ルカが答えたのはほぼ同時だった。

 「いや、初対面だ」

 「今日、初めての路上ライブです。この子たち、歌が上手いから路上でやってみたらどうかと思って。」

 長く黒髪を伸ばしている女性は、笑ってそう答えた。

他の二人に比べて少しだけ大人びているのは、落ち着いた雰囲気をまとっているせいだろうか。服装も、ブーツに濃紺のジーパン、Ⅴ字のニットセーターと薄手のジャケットを羽織っている。

彼女は、ペットボトルのお茶を彼女は一口飲む。

どこかで見覚えのある顔の気がする。直接会ったわけではないから、写真等で見たのかもしれないが思い出せない。

「強引だったよな。思いつきだから何も機材用意できなかった」

「うん、思いついたら即行動だからね。いきなり、アカペラってハードルが高いよ。」

少年は、黒ズボンに、白いYシャツに黒ベストを着ている。少女は、ショートブーツにジーンズ生地のスカートに黒のスパッツ、Tシャツに大きめのカーディガンを羽織っている。二人とも彼女に不満を口にしたが諦めている口調だった。言い出したら、行動するのをとめられないタイプなのかもしれない。

「さっきの歌は?」

 「……ナツミの曲です」

 「ナツミって、小柄な女性の?」

 ナツミといえば、数年前にグループでメジャーデビューをし、人気が高まった頃にボーカルが業界を引退。その後、メンバーはバラバラに活動をし、男性一人だけが活動を続けている。

 少しむっとした表情で、最初に話しかけてきた子が口をかるくとがらせる。

 「小柄って……160cm近くはあるよ」

 「はいはい、松本さん、それでも170cm近くある黒崎からみたら、小柄だから」

 ぽんっとかるくルカは彼女の頭を撫でる。

 「背が高いより、少し低いぐらいがちょうどいいじゃないですか。服だってサイズがあるし、抱きつきやすくてすっぽりおさまる感じがいい。それに可愛い」

 最後の一言が余計だったらしい。松本さんは、横を向いた。

「黒崎、お前何かあった?」

「……何もありません」

「何もなかったなら、「抱きつきやすい」「おさまる感じ」なんて単語出てこなかっただろ。ま、いいやあとでその辺じっくり聞かせてもらうから」

いつもの事で、拒否権はどうやらないらしい。そろそろ、行くと高校生たちに告げると、また、来てほしいと言われた。すでにルカにブログのアドレスを書いた紙を渡していたようで、わかったと答えるとそのまま喫茶店に入った。

「食器、ウエストウッドだな」

ルカは喫茶店に入ってから、珈琲と紅茶を注文してすっと持ち上げてメーカーを確認している。今日は執事喫茶のバイトがない日なのに、喫茶店につくとさりげなく視線を店内に流して観察を始めている。思わず見てしまうなんて職業病だ。

「……そうですね」

そう思いながらも、自分もルカと同じ事をしている。そしてほぼ同時に香りをかいでから、飲み物を一口飲む。ただの苦みだけではない、飲みやすくフルーティーな味がかすかに混ざっていて飲みやすい。かといって、抽出や豆の量が少なくて味が薄いわけでもないから、思わずこう言ってしまう。

「美味しい」

「やっぱり、紅茶はアールグレイがいい」

それぞれカップをソーサーに置くと、私から話をきりだした。

「それで…今回はどうしたのですか?」

じっとルカの目に視線をあわせる。

今日は、ルカのほうからお茶に誘ってきていた。今まで、私の方から誘うことがあってもルカから誘うことは一度もなかった。それだけ、ルカが少しだけでも心を開いてくれたのだろうか。

「黒崎は、おいてきた夢ってあるか?」

「夢、ですか。夢は今みているので、おいてきた夢はないですね」

「あぁ…そうだな」

夢に思い当たるものがあるような表情を浮かべ、ルカはクっと喉を鳴らして笑う。

「若いなぁ」

「若いって、ルカもそこまで歳が変わらないでしょう」

「いや、違うよ。その数年が」

「その数年でおいてきた夢の事ですか?」

「……まぁ、それもある」

そこから、ルカはコーヒーカップをかるく持ち上げながら話始めた。

「俺にとって、バイトは生きていくために必要なお金を出すための道具だと思ってきた。今の執事喫茶の仕事は好きだよ。珈琲も紅茶も喫茶店という仕事自体が好きだし、一通りこなせるようにあって、あっているとも感じている。

だけど、過去に思い描いていたやりたい事とは違う。そのやりたい事は、食べていけないって最初からあきらめてしまっていて、思い切りぶつかりもしなかった」

「やりたい事って?」

「「歌」だよ。一時期、腹筋を一日五十回やり、ボイストレーニングで発音の練習もしていた。詩も書いていたりしたな」

「初耳ですね」

「黒崎には、初めて話したから」

「詩は、今も書いていますか?」

「今は、書けてない。書きたいと思えなくなってから、その時に書いていたものは一部を残してすべて消してしまった。最近、ナツミの曲を聴いて、また書いてみようかと思い始めてきて、おいてきた夢を思い出したところだ。特に地震の後は、後悔だけはしたくないと思いが強くなった」

「さっき、路上で歌っていた曲の歌手ですか?」

「あぁ…一時期、よく聴いていたから。ちなみに本名は、苗字が「松本」だという事は公開されていた」

「松本さん…って、あ!」

喫茶店の外に視線を向ける。さっきの高校生たちは、まだ、歌ったり、立ち止まってくれた人たちと話したりしている。

「そう、あの人が「ナツミ」。今は、普通の高校生」

「最初から、気づいていて足をとめたのですか?」

「いや、魅力的な歌が聞こえてきたから足をとめただけ」

「そういえば、彼女は歌っていないですね」

「そうだな…」

ルカはふっと視線を下におとして、紅茶を一口飲む。その顔が寂しげな表情を浮かべているように見える。

「…そのうち、彼女は歌うよ。歌わずにいられなく日がくる」

ルカにしては珍しく、紅茶にスティックシュガーを一袋あけて流し込み、ミルクをいれた。クルクルとマドラーでまざってからもまわし続けている。

こういう時は、考え事をしている時だと、美咲が言っていたのを思い出した。紅茶も、珈琲もルカは濃厚な味の方が好きだから、まずブラックかストレートしか飲まない。

「ルカも歌いたくてたまらないのですか?」

「そうかもしれないな」

「恋、しているからですか?」

ぴたっとルカの動きが一瞬だけ固まった。にやりと意地の悪い笑みを浮かべているのが、自分でも分かる。この人には、美咲との関係でからかわれてオモチャにされていたし、少しくらいからかったとしてもいいだろう。

「なぜ、そうなる?」

「ルカの思考回路はそういうものだと美咲が言っていました」

美咲が言っていたのは、次のような事だった。

『あの人の頭の中は、単純。作品を作ろうとする時は、誰かに恋をして憧れているから。片思い限定だけど』

「君は、俺の事をどう思っているの?」

「どうって、そのままですよ。少女漫画な思考回路の持ち主?」

そして、美咲はこうも言っていた。

『それで、両想いになると書かなくなるの。恋が思考の八割を占めるから、作品を作りたいと思わない。両想いで付き合う事で満足してしまうから。それはそれで、寂しいのよね。作品を読みたいと思っている身としては…。

 ルカは、自分の事をどこにでもいる普通の人だと思っているけど、文章を書く事もしていない人からみたら、書きたい話が映像や、心の中から聞こえてきて手が勝手に動いてしまうなんて事ないのに。確かに、プロに比べれば誤字脱字やテクニックは足りていないけど、技術はあとからいくらでも身につけられる。

身につけられないものは、着眼点や発想力だと思う。作品を作る時に、これを作るっていう最初がひらめけるのは一種の才能だと思う』

少し考えてから珈琲カップに手を伸ばし、ルカに視線をあわせる。

「んー…もしくは、乙女?」

「…もういい、黒崎が俺の事をどう思っているのかよく分かったから」

嫌そうにルカは声を押し出すような口調でそう言い、視線を外に向ける。外では、高校生たちがどこに向かって歩き出しているところだった。すねてしまっている横顔が、年齢のわりに幼くみえて思わずこう口に出してしまう。

「可愛いですね」

「俺がそれを言われるのが苦手だと知っていて言っているだろ?」

嫌味だと受け取ったルカは目を伏せた。

ルカは、自分で精神年齢が幼い事を認めている。だから、幼くみえる事が嫌なので、可愛い=幼い、子供っぽいと意味がつながっているため嬉しいと感じる事がない。だから、人に対してもあまり可愛いとは言わない。

そういえば、美咲はこうも言っていた。

『それに、ルカ本人は音程があわない事や、地声が低くて高い音程が不安定なのを気にしているけど、その分練習してあわせるように気をつけているし、抑揚をつけて表現力を磨こうとしている。

カラオケで友人が歌っている歌を、何回か聞いただけでCDを買わずに覚えるなんて、音楽が好きじゃなかったらできないでしょ』

美咲が話していた事と、今までの話の流れをまとめると要するに、ルカは恋をしていて夢を思い出したって事だ。そして、今回のお茶の話題の本題は、その両方ってところだろうか。そして、今日は、松本さんと出会ってしまった。

「えぇ、知っていて言っていますよ。だって、可愛いものは可愛いから」

満面の笑顔を浮かべて言うと、何か恐ろしいものを見つけたかのような表情をルカは浮かべた。

「お前のその容姿で、他の人にそれ言ったら殺し文句だぞ」

「そうですか?そんなつもりはなかったのですが…」

私は、珈琲カップをソーサーにもどした。

「……でも、今日は本人に会えてよかったですね。ブログまで教えてもらえて」

そこで、ルカは素直に首を縦に頷く。

この人は時々すごく少女っぽい時もあれば青年のように感じる時もある人のようだ。今まで、仕事の面でしか接点がなくて青年のように凛々しいところだけ見えていた気がする。

「美咲も松本さんのファンなので、今度、路上ライブをやるようなら教えてください」

「了解。今度、教える」

「仲良くなれるといいですね」

「あぁ」

嬉しいようで困ったような複雑な表情を浮かべている。なぜ、複雑そうな表情をこの時浮かべていたのかを知ったのは、もう少しだけ先の事だった。


【2】


彼女の事を知ったのは、偶然だった。

数年前、俺は、外に目を向けようとしていて出会いを求めていた。それと、その時に歌好きの美咲と歩いていた事もあって、普段は路上の歌手が歌っていても足をとめないのに、足をとめてしまっていた。その頃、俺はまだ、二十二歳になったところだった。


「今、なんて言ったの?」

「松本さんの友人が路上で歌っていて、ブログ教えてもらった」

いつものように執事喫茶でくつろいでいた美咲に、もう一度同じことを繰り返して話した。

「なんで、その時教えてくれなかったのよ!」

「その時間、美咲は仕事だろ?」

「そうだけど…」

不満を口にすると、飲みかけの珈琲に手を伸ばした。店内には美咲以外のお客様はいない。閉店一時間前に来るのは、美咲のいつもの事だ。

仕事のストレスの息抜きにちょうどいいと言ってよく来るようになったのは、このお店が開店してすぐの頃から変わらない。まぁ、黒崎と知り合ってからは、黒崎に会いに来るのが目的なのだろう。この前、美咲は、黒崎は仕事をかけもちしているから、週一で会えればいいほうなのだと言っていた。

「…教えてくれてもいいじゃない」

「ごめん、今度また今度路上ライブする情報がのっていたら連絡するから」

「わかった。ところで、雫に聞いたけど…恋しているって?」

にやりと意地の悪い笑みを浮かべているのは、からかう気があるらしい。顔に、この前雫との事をからかった仕返しだと書いてある。

からかわれる気のない俺は、満面の営業スマイルを浮かべた。

「一体、何の事でしょうか? お嬢様」

「とぼけても無駄よ。ルカの考えている事は全部分かるから」

近くのあいているテーブルのセットを整えていた黒崎は、俺の方に視線を向ける。

「そうですよ。この前ルカの家に出入りしていた人と、何か関係があるはずです」

「何か関係があるのは決定なのか」

「えぇ、それに…私も美咲もルカの恋が気になります」

俺は、飲み終わった美咲の珈琲カップにおかわりの珈琲を淹れる頃、在庫確認を終えたマスターもホールに戻って来た。黒崎は、マスターに視線を向ける。

「マスターも気になりますよね、ルカの最近の恋話」

「それは、気になるな。あまり詳しくは聞いた事がないから」

「そういえば、きっちり話した事はなかったですね。……ざっくりとだけ、話した気がしますが」

この前、自分の恋話をしたのは、美咲と黒崎だった。

「えーと…まず、どこから話そう」

「松本さんのところ、最初から」

「最初からね、そんな話す事は長くないけど…」

美咲に隠し事なんてできるはずもない。なんとなく分かってしまうから。そう前置きしてから、この3人になら、話しても大丈夫だろうと思い話し始めた。


本当に、話す事は長くない。

数年前、路上で活動していた彼女たちのグループに足をとめて曲を聴いた。ブログとか知っていたわけでもなく、たまたま駅近くで、路上ライブをやっているところに出かけていた。乗り換えに使う駅だから人はたくさん通る場所。

当時、よく遊びに出かけていた駅だったから、何度か見かける事が多くなり、時々、他愛もない話をした。その中で、純粋で夢に真っ直ぐなところ、四人のいいところを知り、一人とメールアドレスを交換していた。

そのうち、見かけなくなったと思ったら、テレビに映るようになっていた。グループ名は、「BELIEVE」。男性が二人、女性二人の四人組で、ボーカルは松本さん。作曲は男性陣が行っていたらしい。単独ライブ活動などをおこなって人気も絶頂だったその後、一身上の都合によりグループは解散。音楽業界に残ったのは、男性一人だけだった。彼女たちがまだ、学生の頃の事だった。

彼女たちの曲の歌詞が好きで、CDをよく繰り返し聴いていた。

作詩は途中から、松本さんも書くようになっていた。

詩の中から滲み出す、彼女の抱く感情が心に残った。そこからだろうか、もっと、彼女の事を知りたいと感じるようになっていた。それに、その頃は失恋していて、テレビの中に映っている人間になら、恋に似た憧れを抱いたとしても誰にも迷惑はかけないだろうと思った。だけど、自分で思っている以上に、彼女にはまってしまっている自分がいる気が付いた。

昔録画したテレビ番組の中に映った彼女は、自分の年齢よりも少しだけ背を伸ばし、力いっぱいに歌っていた。

そして、今年。

当時メールアドレスを交換していた松本さんの友人が家に訪ねてきた。松本さんの事で相談したい事があるという。何度か相談にのっているうちに、松本さんに会ってみてほしいと言われて、どうしようか迷っていた。そのうちに偶然、彼女の友人たちがやっていた路上ライブで会ってしまった。

「……以上です。あぁ、それから泊まりに来ていた人は短大の時の友人です」

「短大の時の? あぁー…わかった、あの人ね。」

「なんか、美咲とルカだけで通じ合っている感じだね」

苦笑を浮かべて、黒崎がそう言う。

「付き合い長いからね」

「短大の頃から知っているから」

「松本さんがテレビに出るようになったのを教えてくれたのも、美咲だから」

「そうよね、ルカはドラマ以外ほとんどテレビもラジオも見てもないし聞いてもない」

「一人暮らしと仕事をするようになってからは、特に時間もとれなくて。仕事と家事で一日の自分の自由時間は1時間とれればいい方だったから」

「だから、オーバーワークだって言っているじゃない」

「そうだね」

「それなのに、忘れるためにバイトを週六日でいれて、自分の限界ギリギリになるように調節して……そんなだから、デートは月1とれればいい方だとか言い出すし」

「「………」」

マスターと黒崎は信じられないという表情を浮かべている。黒崎は、週一ぐらいのペースで、マスターにいたっては一緒に住んでいるわけだから、毎日会っている生活だからその反応はもっともだ。最近、目を閉じてここだと思うところでページを開く本の占いでも、「忙しいは、恋愛に関係ありません」しか出てこないのも当然か。

「そんな生活で、この前見せてくれた小説書く時間はどうやって時間とっているのですか?」

 「作品を書いている時は、職場の休憩時間、寝る前の時間とか細切れにある時間に携帯で書いたのをパソコンにおとしている」

 「「……」」

「呆れるでしょ?」

二人とも何も言えないでいると、美咲は最後の一口を飲みながらそう声をかけた。いつもの事なので、美咲は普通にカップをソーサーに置くと、店内の置き時計に視線をはしらせた。あと十分で閉店になる時刻になっている。

「あ、マスター無理してシフト入れているわけじゃないから。気にしないでください」

「……分かりました。今はその言葉を信じます」

「そろそろ私は先に外に出ているね、雫」

「わかった。お店閉めたら行きます」

2人ともいい雰囲気なのに、まだ、付き合っていないのが不思議だ。

「ルカは、今度路上ライブがあったら教えてね」

「了解」

その日は、バイトを終えてからすぐに帰宅した。

帰宅してから、一通り家事をすませて後は寝るだけになってからパソコンの電源をつけた。CDデッキの電源をつけると松本さんのCDをかける。

松本さんたちのブログを見ると、他愛もない日常が書かれていた。

ただ、テレビに出ていたあの頃に比べてあせっている感じがしない。単純に音楽が好きでプレッシャーを感じずにのびのびしている印象を受ける。

プロになるということは、売れるものを作るのが当たり前で、自分の作りたいものを作れない。小説なら読者の読みたいもの、興味をひくもの、読者の傾向にあわせた話の内容などいろんな縛りがある。その縛りの中で、自分にしか書けない個性を出して、いいものというのは一度で書けるなんて、思えない。何度も書き直しをするたびにもっと輝きをまして、いいものが生まれる事もある。

「……やっぱり、彼女は天才だな」

歌詞を聞きながら、そう思う。感性だけはどんなに技術を磨いてもなかなか身につけられないから。だから、ふとこんな事を思ってしまう。

彼女がこの先、本気の恋をしたら一体どんな歌詞を作るのだろう。

この先、いろんな人生経験の中で彼女はどんな事を感じているのだろう。

歌詞の中から滲み出すいろんな側面。それは、歌詞だから「現実」ではない。

それでも、その人、「個人」がどうしたって滲みだしてしまう「真実」が、こんなにも、この先の未来が楽しみだと感じさせて、つい、普段は書かないファンメールなんてものを何回も、あの頃を送ってしまっていたのだろう。

ブログを読んでいくと、次の路上ライブ予定(仮)が書かれていた。今度は、マイクとか機材をそろえてやるそうだ。その日時を美咲に携帯のメールで送信した後、ふと、右手に視線を向ける。

左手でそっと触り、そのまま優しく口元まで持ってくる。

だけど、これ以上、気持ちは育てない方がいい。他の人も好きにならない方がいい。前にあの人と別れた時と同じ事をくり返さないために。

俺は、目を閉じてため息を吐き出した。


【3】


あの子たちの練習用に機材のセットをしていて、影がおりた方に顔を上げるとルカが立っていた。ルカの友人が近くにいる。

あの頃も同じ二人でライブを聞きに来てくれていたのを思い出すと懐かしい。

「慣れた手つきだね」

「何回もやっていれば慣れるから」

公園で歌っていた頃、何回かセットをやらせてもらった。でも、そのほとんどは彼がやってくれていたから、本当に数回しかやっていない。音量は必要最低限にしているから、そこまであげてはいない。

「そうだね。彼らは?」

「もうすぐ来ると思う。テスト近いから、勉強してから来るって」

「そうか、もうそんな時期か……学生の頃の事なんて、遠い記憶だな。もう、若くない」

苦笑を浮かべて、ルカは近くのベンチに座った。友人は、ルカの傍に立っている。日が暮れた後の公園は、人がほとんど通る事もなくて、静かだ。自分のたてる物音ですらとても響いて聞こえる。

「そんな事言わないで。まだ、二十代の真ん中でしょ」

友人にそう言われて、ルカは苦笑を浮かべたままペットボトルを取り出す。

「そうだけど…人生の小さな節目のような気がして。美咲は、ほら、恋がうまくいっているから気持ちが若い」

「うまくいっているうちにはいる?」

「はいります」

「仲がいいですね」

機材のセットが終わり、私は笑いながらルカ達に視線を向けた。

「あの頃も、よく二人で聞きに来てくれていたから。付き合い長そうな気がする」

「「そう?」」

二人して声が重なった。

「松本さんがテレビに出始めた頃からの付き合いだから、短大の頃だったっけ?」

「うん、その頃からだから…もう四年くらいになる。月日が流れるのが早く感じるね」

「……そうですね」


そう、あの事からそんなに時間が流れていても、あまり思い出したくない。

あの出来事があって以来私は、大好きな歌を歌えなくなってしまったから。その頃の事を思い出そうとすると、初夏になったばかりの病院の白いレースのカーテンが風に吹かれてひらひらと舞い、外は眩しい晴天で、なぜか涙が頬をつたうのを感じたのを思い出す。

あれは、スタジオで練習していた時の事だった。

突然、前の前が暗くなり、血の気が引いていくのを感じたところまでは意識があった。だけど、次に気が付いた時には病院にいた。その後の検査で、疲労で体に休養が必要な事を告げられたが、それ以外の異常は確認されなかった。マスコミなどがこの事を聞きつけていたので、休養中は、病院でしばらく入院して静かな環境で過ごす事になった。

その後、話せるのに、歌声だけが出ない事に気づき、検査を受けると身体的な異常が見つからず、精神的ストレスが原因だという事が分かった。

眠れないなどの薬を飲まなければならない程の症状はなかったため、薬には頼らず歌えるようになるまで、時間をかける事になった。

その事を告げられた病室は初夏になったばかりで、眩しい程の晴天だったけど、視界にいれたくなった。自分のこの複雑な感情が、照れしだされてしまうような気がして、ただ、自然と涙が頬をつたうのを感じた。

そして、いつ歌えるようには分からないため、グループは解散した。

あれから、二年経っている。


ふと気配がした方に視線を向けると、葉月と美月が2人で歩いてくるところだった。

「夏美、遅くなってごめん。葉月に勉強教えていたら、時間がたってしまって」

「俺のせいか? 教え方の問題ではなく」

「あのね、何が分からないのかが分からない人を相手に教えるのって、大変なの」

「それは、手がかかる生徒ですみませんでしたね」

「なに、その言い方!」

私は、クスっと笑みを浮かべる。この二人、なんだかんだといい感じの雰囲気になってきている。お互いにとっていい影響を与えあっているのか、前よりも生き生きしているように見える。

「はいはい、葉月は音出し。美月は声出しして」

「「うん」」

葉月は、ケースからギターを取り出してチューニングを始める。美月は、マイクを手に取り声を出して音量を確かめる作業をしている。

「そういえば、松本さんは今、何年生?」

ルカは、ペットボトルに口をつけて飲むとバックにしまいながらそう聞いてきた。

「高校三年生です」

「高三か、将来の事とか考えなきゃいけないから大事な時期だね」

「そうですね」

将来の事、考えていなかったわけではないが、今はそれよりも目前に迫っているものがある。卒業がかかっているのであまり頭の中になかった。それは…。

「そういえば、試験勉強はしているの?」

「………うん」

遠い目をして、そう答えた。

嘘だ。試験勉強は、ほとんどしていない。たぶん、どうにかなると思いたい。いや、何が分からないのか、分からないから放棄したい教科があるけど、大丈夫だと信じたい。

「やってないね、その目は。まぁ、俺も人に言える立場じゃないけど」

「そうね、ルカの場合は直前でも興味のない事は頭の中に入ってなかったから。試験直前にココ出そうって言ってテストに出たのに、ルカ自身は覚えてなくて答えかけなかったよね」

「まさか、本当にあたるとは思わなかったから」

「私はあたった事ない。今度、出そうなところ教えて」

「そういうのは、友達に聞いた方がいいじゃないか?もう、何年も経っているから分からないから」

苦笑を浮かべて、ルカは二人に視線を向ける。

「特にあの子、教えるのが上手そう」

「なんでそう思うの?」

「ただの勘」

ルカの勘は、ただの勘には思えないから不思議だ。

実際、美月は教えるのが上手い。人に教える事が上手い人は、本当の意味でその事を自分のものにおとしこんでいると感じた事がある。人に教えるには、その事を理解していないとうまくまとめる事もできないし、分かりやすい言葉に変更する事もできないから。

「勘、ね。ルカの勘だと、あの子の歌どう思った?」

「どうって…正直いって、女性にしては中性的で低めだ。だけど、心地よく届くような音だな。声に芯があるのを感じる。音程もある程度あっているから、耳触りがいい。けど、高音が課題だな。得意な出しやすい音域に関しては、力強いのに、高音は心もとなく感じる」

「………」

どうして、この人はこう自分の言いたい事をまとめる作業が上手いのだろう。同じような事を感じていても、私はうまく言葉が出てこないのに。

「ありがとうございます。高音出すのを頑張ります」

聞いていた美月が、てれた笑みを浮かべる。

「ま、ルカの場合は音痴だから音程とるのが課題、だけどね。抑揚もあるし、音程さえ外れなければ、いい声なのに」

私が、少しだけ意地悪な表情をしてそう言うと、ルカは遠い目をした。

「一時期、練習していたから、昔に比べれば音程とれるようになったよ。何かに迷っている時に練習する事が多いかな。歌っていると、すっきりするから、その後迷いことに答えを出すことにしている」

「へぇー、初めて知った。歌、好きなの?」

「好きだよ、下手だけど」

ルカがそう答えると以外そうな表情を美咲は浮かべる。

「そうかなぁ。歌、上手いと思うけど。なんていうか、感情をこめている感じ?」

「それは、歌詞を何回も読んで考えているから。曲の強弱ももちろん聴くけど、歌詞のどこを強くしたらいいのか、息継ぎするところとかね。思い切り感情を吐き出すのに似ている」

「……そういうものなの?」

「松本さんは?」

「歌いもするけど、私は歌詞を作る方だから。そういう意見を聞くのが新鮮。でも、私も何を強く言いたい事なのかとか整理しながら、制作して歌う時もどう表現したらより伝わるのかを考えているかな」

「二人とも、そういう事考えているのですね。私はただ、好きだから何も考えずに歌っています!」

美月がそう言うと、私もルカも思わず声に出して笑ってしまっていた。

歌が好きだから、何も考えずに歌う。それは、最初に思っていた事だ。それが、いつのまにか、いろいろ考えている事で、好きな事のはずが息苦しくも感じていたから。

「好きな事」が「仕事」に変わってしまった時、お金が関わってきていて、そこには、売れるものを作ろう、上手く作りたい、生活のための義務とか考えてしまっていた。義務だけ感じていると、息がつまってくる。楽しい事ばかり感じてはいられなくなってしまう。考え方が甘いと言われば、甘い。

苦しく感じてしまう事もあっても、この音楽をやりたい気持ちになるのは、ただ好きだという気持ちがある。その気持ちを大事にしているのに、何かにおわれていると、大事にしている気持ちを忘れかけていた。

「そうだね、好きこそものの上手なれっていうから。努力を続けていくのに、好きなのは必要かもしれない」

「……そろそろはじめようか」

「「はい」」


そして、その後に機材を使っての2人の初ライブが始まった。

最初の観客は、ルカと友人、あと最後の方に一人聞いていただけだが、最初はこんな感じだ。


【4】


 「ただいま」

「おかえり」

 私が美咲の家にいた時に、インターフォンが鳴った。ドアを開けると彼女が鼻歌を歌いながら帰宅した。最近になって、何度か泊まりに来ることが多くなってきたように感じる。なんとなく居心地がいいからだ。

 今日は、松本さんたちの路上ライブを聞きに行くと言っていたから、バイト帰りによってみた。

「……これから、ルカの家に行くけど雫も行く?」

「行きます」

ルカの家は、美咲の家の隣にある。マンションのお隣さんだから、距離もない。1分ぐらいでついてしまうぐらいだが、まだ、一度も足を踏み入れた事がなかった。

戸締りを簡単にすませて、行くとすぐにルカが出た。

「黒崎も来たのか、いらっしゃい」

部屋着に着替えたのか、黒のジャージでいつもかけている眼鏡をはずしていた。玄関には、木製の靴箱と皮靴を手入れする道具が一式、箱にいれてられて隅に置かれている。

部屋の中に入ると、意外と部屋に物が多かった。電子ピアノに、パソコン、本、小物入れなど多いのだが、きちんと整頓されているので圧迫感は感じない。

「お茶でも淹れるから、そのへんに座って」

「私も手伝います」

襖を一枚隔てた台所についていくと、ルカは食器棚からおもむろにティーポットを取り出した。銀製のティ―ポットで手入れが行き届いているのか輝いている。

「黒崎、あのへんに茶葉があるから適当にとって」

視線で示されたあのへんを見ると、食卓の上に銀の小型のラックに缶に入った紅茶やティーパックのものが並んでいた。その中から、カモミールを選びルカに渡す。

ここの空間だけが喫茶店のようだ。

皮靴の手入れを行い、掃除もほぼ毎日行い、ティーポットは銀製で、歌も上手くて、イラストも描ける、仕事もそつなく計画をたてて行えるなんて、この人は、一体……。

「……ルカは、何になりたいのですか?」

ルカはティーポットにお湯を入れて、しばらくした後に茶葉を入れた。

「何になりたい、か。……なんだろうなぁ。生きていくだけのお金が稼げて、無理にならなければいいな」

私は、食器棚からカップを適当に3個選び、食卓に置いた。カップは、白い陶器でシンプルだった。ルカは、冷蔵庫を開けて、すでに挽いてある珈琲豆を冷凍庫から取り出し、自分用の珈琲を淹れる。

「美咲、淹れたよー」

電子ピアノ付近に置いてある楽譜を見ていた美咲は、食卓の席についた。

「この人、不思議でしょ」

「なんだよ、不思議って」

「自分の興味のある事はこだわるし、ある程度はできるってところ。そして、ある程度はできてもプロ目指す事をあきらめているところよ」

私たちも席につくと、一口飲む。

「ある程度できるぐらいで、プロにはなれないよ」

「最初から、決めつけているの?たかが数回チャレンジしただけで?」

「トゲのある言い方だね、でも、その通りだ。趣味でやっていこうと思っている」

「……もったいない」

その通りだと言ったルカが苦笑を浮かべているのを見て、思わずそう言ってしまう。

こんなに美味しいお茶も淹れる事ができるのに、ある程度とはいえ、磨けば光りそうなものを持っているのに。今もまだ努力をしているのに。

「現実は、そう甘くない事も分かってはいるつもりだから」

そう答えるとにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、ルカは私たちを見る。

「俺の事よりも、二人はそういう叶えたい夢はあるの?」

「夢ですか………特にありません」

「……私もないわ」

「ふーん、そうか」

夢と言われて、頭の中によぎった空想をあわてて隅においやった。夢でどうして、仕事や趣味の夢ではないものがよぎってしまうのだろう。それに、頭の中をよぎったものはただの願望じゃないか。

仕事関連は、これから探していくつもりだから浮かばないのかもしれない。

叶えたい事で連想してしまったから思いついてしまった。

にやにやしながら視線をそらしたルカを見て、この人は不思議だとつくづく思う。

「ルカは今言った事以外で、叶えたい事はないのですか?」

「ないよ」

即答で否定されてしまったが、叶えたい事をあきらめてしまおうとしているように感じる。何がその原因なのかは知らない。

「ないわけないでしょ」

「ない事にしといてください」

苦笑を浮かべてルカは美咲にそう答えた。そう答えた理由は、話したくないらしくルカは視線をそらした。


美咲の部屋に戻ってきてから、ふと、ルカが叶えたい事は恋なんじゃないのかと感じた。あの人が本気で望むのなら叶えられそうなのに、なぜ望む事を諦めてしまうのだろう。

諦めてしまったら、そこで終わりだ。何も手に入らない。それは、ルカがよく口にする言葉だ。その本人が、なぜ、自ら諦めるのか。

ベッドの背を預けて座ると、隣で読書している美咲に視線を向けた。

「美咲は、なんでルカが恋を諦めているのか知っている?」

「まぁ、なんとなく。いろいろ先の事を考えているからじゃない?」

「いろいろ、ね」

「うん、いろいろ。もしも、付き合えたとした時の先の事を考えて諦めている感じかな」

「もしもの事を考えても、付き合えるかどうかも分からないのに」

「そうだね、付き合えない事の方が多いから、もしもの事を視野に入れても仕方ないかも。たぶん、ルカは付き合えない理由なら、どんな理由でも必要だと感じているから。自分の気持ちにブレーキがかけられるのならなんだっていい。適度な距離感をとるためならってところじゃないかな」

「ルカの事よく分かっているね」

「まぁ、それなりに付き合いが長いから、なんとなく分かるのよね」

美咲は苦笑を浮かべた。

「数年の付き合いだけど、あの人は単純だから」

「単純?」

たしかに、あの人は単純なところもある。だけど、感情が表に出ているようで、出ていないのではないだろうか。たとえば、深く探られたくないところは笑顔を浮かべたり別の話題に変えてしまったり、頭の中でどう返そうか一瞬考えて一呼吸いれてから話始めたりしているように見える。

「そう、単純。単純だから、自分に自信がなくて、付き合ったその先が見えなくて不安になるくらいなら、最初から諦めた方がいいなんて考えるのよ。その方が自分も相手も傷つけずにすむから」

「ルカが、自分に自信がない?」

美咲は、黙って頷いた。

「ごめん、ルカが自分に自信がないなんて信じられない。バイト先でのルカの言動は、いつも自信があって余裕があるように思えるから」

「そう見えるとしたら、理想の自分を見せようとしているかな」

「ルカが思っている理想の自分って、自分に自信があって余裕のある動きをしているのに、仕事だけは丁寧に早くこなしていく。恋にも自信がある行動ができるような感じ?」

「たぶん、そう」

「ふーん」

ルカが自分の事をどう思っているのかは分からないけど、自信もっていいのに。

理想の自分を他人に見せそうとする事は、自分を成長させるだろう。

自分が思っている自分、周りが思っている自分も同じ自分。見ている角度が違うだけで両方とも本当の自分だから、周りから思われている自分が偽りの自分だと感じなくてもいいのではないだろうか。ルカはどちらも魅力的だから、強く感じた。

「雫は、もしルカみたいな状況だったらどうするの?」

私は、曖昧な笑みを浮かべる。

「どうしたいのか、分かりません。ただ、ずっと傍にいたいって事だけは、はっきりしています」

「そっか」

 嬉しそうな表情を美咲は浮かべた。


【5】


 自分のすべてを明かしていないのは、偽りの自分を見せているような罪悪感がある。

そう感じるようになったのは、いつからだろう。すべてを明かす必要がないのは分かっている。それでも…。

 「お帰りなさいませ、お嬢様」

 平日の昼さがり、執事喫茶でいつも通りの接客の言葉と笑みを浮かべた。

 「どうぞ、こちらへ」

 美咲を席に案内して、椅子をひいて、座らせる。

 「ありがとう。あと、一人来るから」

 「かしこまりました」

 喫茶店のドアを開ける音がして視線を向けると、夏実が立っていた。

 黒崎が接客すると、この席に案内した。

 「美咲さんに誘われて来ました」

 「…高校は?」

 「創立記念日で休み」

 「さようでございますか。お嬢様、お飲物はどうなさいますか?」

 「いつもの」

 「カモミール」

 「かしこまりました。少々お待ちください」

 お店の厨房に行き、茶葉をお湯が入ったサーバーにそれぞれ入れる。

 2人から見えなくなったところでため息を吐き出した。いつもより少しだけ高鳴った心臓の鼓動を感じている。

 「『なんで、ココに夏実さんが居る』って顔に書いてあります」

 「黒崎」

 「珍しいですね、動揺するなんて」

 そう言われて、苦笑を浮かべた。黒崎の中では、俺はめったに動揺しないタイプだと思われている。

 「とはいえ、よく知っている人でないと気付かないくらいの変化だから、夏実さんにはバレないと思います」

 「そうか」

 「はい」

 茶葉の蒸らしの時間が終わり、それぞれのティーカップに注ぎこむ。

 「……恋を諦めているのはなぜですか?」

 銀のお盆にティーセットをのせてから、厨房を出る前に一度立ち止まる。

 「いろいろ考えた結果だな」

 それだけ言うと、紅茶を二人のお嬢様達の席まで運びに厨房を出た。


 「失礼致します」

 二人の前に飲み物をそっと置く。美咲が俺に視線を向ける。

 「趣味でルカも詩を書いている事話したら、こちらのお嬢さんが今度読ませてほしいって」

 ゴンっと小さい音をたててお盆をテーブルにぶつけてしまった。

 「……持ち歩いていないので、機会があれば」

 なんとか作品を読むのをごまかすためにそう言った。近くのテーブルで接客を終えた黒崎が、すっと会話にはいってくる。

 「携帯で書いているのですよね。パソコンにもすぐうつせるからって」

 「たしか、最近書いているのがあるって言っていたよね。今度と言わず今読んでもらったらどう?」

 このカップルはなぜ詩を読ませたがるのだろうか。本音を書いているものだから、夏実には読ませたくない。彼女に視線を向けると期待にみちた表情で俺を見ている。

 「ぜひ、読ませてください♪」

 「申し訳ありません。もうデータをパソコンに移動してしまって携帯にありませんので」

 苦笑を浮かべて答えると、残念そうな表情を浮かべた。

 「そうですか…なら、メールで送ってください」

 「かしこまりました。では今度、メールにて送りますね」

 「楽しみにしていますね。美咲さんがルカの書く詩は面白いから勉強になると思うと言っていたので」

 かるく美咲を睨み、『何を言った』と抗議すると、『本当の事じゃない』と表情で返される。

 勉強になるなんて、期待させるような事を言われても、趣味で書いているものだからプロのように上手くない。それでも、作品を書く者ならそんな事を言われたら読みたくなるものかもしれない。

 「執事喫茶でのルカは落ち着いた大人って感じですね」

 「年齢的には大人ですから。」

 苦笑を浮かべた。

 俺にとっての作品は、本音を吐き出せる場所だ。

 作品の中では、主語を俺と言っても私だと言い直さなくていい。好きな者を好きだと言える。愛しいとか、普段は恥ずかしくて言えない事を書けるから。そんな本音のつまったものを、この人に読まれる事に抵抗がある。読んでもらいたい、読んでほしくない両方の気持ちがあるから複雑だと思う。

 読まれるはずのないラブレターのつもりで書いた詩が、ラブレターの宛先の本人に読まれるなら、何か別の作品を書いて……。

 「さっき、美咲さんから今まで書いた詩を読ませてもらいましたが勉強になりました」

 「……」

 「完成したら、読ませてください♪」

 「かしこまりました」


 恋を諦めた。

 経済的な理由は、フリーター生活では、家族の事を含めて将来が心配だ。フルタイムでは、上手く時間を使わなければ、精神的にあわず体調を崩してしまったから。

 精神的な理由では、同性で実ることは限りなく可能性が低い。その他いろいろと理性が働く。

 いろいろな理由が浮かんでくるが、結局は自分に自信がないのだと思う。

 彼女に見せている自分が、かっこつけていて偽りでもいつか本当になるように憧れの存在でいたいと感じた。


【6】


それは、突然だった。


 夏美を連れて執事喫茶に行ったのは、ルカの仕事をしている姿を見せるため、夏美が執事喫茶に興味を持っていたからだ。

 作品を見せるように仕向けたのは、プロのようにお金をとれるほど上手いわけではないのだが、伝わるものがある。

言葉は、普段使っている言葉でも、こめた意味によって印象が違うイキモノだと思う。テクニックも、もちろん必要だ。それと、書いた人が感じるセンスも必要だと思う。

 その日の夜、それは突然起こった。家に来ていた雫が、読んでいた本からふと顔を上げてこう言った。

 「美咲、付き合って下さい」

 「……何に?」

 少し間をおいてそう答えた。期待してしまう自分をおさえようと、ミュージックプレイヤーが置いてある場所に行くと、聞いていたCDをとりかえる。彼女の方を見ると、どう言おうか迷っている表情を浮かべている。頬をかすかに赤く染まっていた。

 「何って、私に。……恋人として」

 雫が視線をそらさずに真っ直ぐに見つめてくる。この子は、自分の言っている言葉の意味を分かっているのだろうか。

 「支えになりたい」

 「ありがとう」

 苦笑を浮かべてしまう。

嬉しいのに、期待する事をおさえたい。雫が私に向いてくれた事に、自信がもてない。彼女が付き合いたいと思ってくれた事は嬉しい。嬉しいのだが……。

「?」

私の言葉の続きを待っている雫を見ていると、困ってしまう。彼女が可愛いから、このまますべてを奪ってしまいたくなる。けど、強引に奪ってしまったとしたら、私はきっと後悔するだろう。

 「これからもよろしく、彼女として」

 嬉しそうな表情を浮かべている雫を見て、笑顔を浮かべた。

 雫がこの先、この手を離して別の未来(異性を選び、子供を望む事)を望んだとしたら、私はこの手を離せるだろうか。優しく見守る事ができるのだろうか。付き合いはじめなのにこんな未来の事を考えてしまうのは、周囲が感じている私を好きになった雫が、違う部分を見せたら離れてしまいそうで怖くて、不安だからだ。

 「これからもよろしくお願いします…彼女」

  言い慣れない言葉を言い、はにかむ雫を見てどうしてくれようかと思う。

  雫が可愛いのが悪い。優しすぎるのが悪い。かっこいいのが悪い。

  そっと手を伸ばして、頬に触れた。柔らかくてあたたかい。不安よりも、嬉しい気持ちが勝ってしまうのも、全部、雫が悪いと言い訳をする。

 ふにっと軽くつねってから、手を離した。

 「?」

 「なんでもない」

 笑ってそう言ってみた。 雫はきょとんとした表情を浮かべたままになっている。

 触れる事が怖いのは、先の事が不安。恋に対して自信がないから。なぜ、恋にたいして不安なのかと言えば、理由の一つは恋人ができたのが今回で初めてだから。




「おめでとう」

いつもの閉店時間近くの執事喫茶で雫と付き合う事になったと報告すると、ルカはやっとかという表情で祝福の言葉をかけてくれた。不安な気持ちを話したら、喉の奥を転がすような笑い方をされた。『なによ』と視線で問う。

 「ごめん、不安になる理由が初めての付き合いだから、つい可愛いなと思って」

 「つい可愛いなと思ったって、普段はそう思わないって事ですか」

 「うん、思わないよ。美咲は精神年齢が大人だから、可愛いと言うよりも綺麗で美人だ」

 「……」

 世間一般的にはそこは可愛いと肯定するところでしょう。否定してからの美人発言されるなんて予想がつかない。この人の思考回路はどうなっているのだろう。

 「……どう返したらいいのか分からないわ」

 「素直に褒めたのに」

 「めったに褒めないのに、突然すぎるから。何か他に意図があるのかと思うわ。だからこの前、雫の事褒めた時に「辞める気ですか」なんて言われるのよ」

 「他の意図なんていよ。雫に言った時は、まぁ辞める事も少し考えたから。さすがに体力がもたなくなってきたのもあるし、やりたい事もできで時間が欲しくて。いくらやりくりしても時間を確保できないから」

 「……辞めるの?」

 「生活があるから、時間をへらしてもらおうかと思っている。どっちにしても、俺がいなくても引継ぎがうまくいけるように準備しておく事にこした事がないから」

 ルカは苦笑を浮かべた。

 「松本さんに、この前詩を見せたよ」

 「そう、どんな反応だったの?」

 「困ったような表情を浮かべていたよ。やっぱり見せなければよかった」

 「本当に?」

 「……」

 そう聞き直すとルカは、視線をそらしてしまった。まぁ、大体何を考えているのかは分かるけど。

私は、紅茶を一口飲む。

おそらく、あんな告白めいた恥ずかしい代物を本人に見せ、さらに反応が困った表情だったから後悔した。もともと見せるつもりのないものだと、割り切って書いたものだから本音だらけで、美咲が言い出さなければ本人が読むこともなかった。と、こんなところだろうか。

 「何言い出しているのですか。読んでもらっての作品でしょうが」

 少しトゲのある言い方で雫が会話に参加してくる。

 「言うようになったね、黒崎も」

 「えぇ、いつも、その…相談事で容赦なく言われていますから。ね、マスター」

 「……そうですね」

 近くのお客様用の席で、今後の喫茶店メニューやイベントなんかを考えていたマスターも、会話に参加してきた。

閉店一時間前になるとほとんど誰も来ないので、残っているお客が私一人になると、このへんで作業している。ほぼ週に三回ほど来ているせいか、お客様扱いというよりもお店の人扱いになってきている気がする。

 「感謝していますから。痛いところをつくように言うのも、上手くいってほしいからって伝わっていますから」

 「ありがとう」

 「だから、はっきり言います。今後どうしたいのか決めたらどうですか?あなたが迷っていると、相手はもっと迷いますよ。相手には、恋人候補がいるのでしょう?」

 「「え?」」

 私と雫がほぼ同時に声を出した。そんな話聞いてない。視線をルカに向けると、かるく頷いた。

 「あぁ、彼女には恋人候補がいる。誰かも知ってはいる」

 「詩を見せたから、それをきっかけにして友達認定されている状態。もう一度、自分の夢や、趣味の事を続けていこうと考えているなら、わりきって友達付き合いしたらどうです?付き合いをしてみなきゃ相手に何も知ってもらえないですし…すべてを分かってもらえなくても、一部分でもいい。どの部分でも、ルカはルカだから」

 「そうですよ、周囲から見ている自分も、自分が思っている自分も同じ自分ですよね」

 「そうね、すべてを理解できるなんて嘘だけど、一部分でも知ってもらえる事はできるのは事実よね。迷うのは、その後でいいじゃない?」

 「……そうします」

 深くため息を吐いた後、ルカはそう答えた。

 


自分の行動で簡単に壊すことのできる、「自分から見た自分」から「周囲から見た自分という仮面」を壊したら、「自分」が残る。その自分は、何ができるのだろうか。新しい一歩を踏み出す事ができるのだろうか。


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