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1.嘘

Against one is will Ⅰ


 一番星がまたたき始めている頃、明かりが入ってこない部屋で、窓辺にあるカーテンのみが風に吹かれ揺れている。

 ダークスーツを着ている一人の青年が、机やカーテン等の必要最小限の家具の他には何もない冷たい印象の部屋に居た。床に座り壁に背をあずけて片膝をたてて座り、長めに切られている前髪のせいで、表情がうかがえない。


 カチャ  


 軽い金属の音がして、別の銀髪でアメジストの瞳をした青年が部屋に入ってくる。浅いため息をはくと青年の目の前にすわり顎に指をかけて上にむかせる。

「いつまで、そうしている気ですか?」

「……」

 かすかな明かりの中で見えた青年の顔は、不愉快そうに眉をひそめた。睨んでくる視線をみて、苦笑を浮かべる。

この人がこうなったのはある出来事が原因だ。それがトラウマであり、人はみな信じないと心を閉ざした。

「認めなよ。人なんて、裏も表もある生き物。闇は人だからあるってこともあるんじゃない?」

「認めて、なんになる?」

にやっと意地の悪い笑みを浮かべて、あえてその問いには答えなかった。その問いは自分でみつけないと納得なんてできないのだろう。

青年に背を向けてドアの方に歩き、床に紙を置いた。

「答えを知りたくなったら、読め」

そう言い残して、ドアの向こうに姿を消す。後にのこされたダークスーツの青年の瞳は猫のように瞳孔がするどく金色に光っていた。








【1】


後ろはうすくすき黒髪を肩過ぎまで伸ばし、右側の前髪を長く伸ばしている髪型。整っている顔にすっととおっている鼻筋。切れ長でどこか知的なクールさを感じる瞳は、色つきサングラスにすけている。ダークスーツで、黒いYシャツは第二ボタンまではだけている。

細身の体つきと顔立ちで中性てきな透明感を感じる青年は、夜の駅前を歩いていた。

あわただしく人が行きかう中、待ち合わせの改札前にある喫茶店につくと、ドア近くの壁によりかかった。一見ブレスレット見える大き目のシルバーの時計で時間を確認すると、約束の時間よりも十分ほどたっていた。


「黒崎」


 怒るでもなく、冷静な口調でオールバックにしている男性は黒崎に声をかけた。少し長い後ろをうすくすいている髪が、夜風にさらわれてさらさらと動く。

 黒のセーターはVネックになっていている。紺のジーパンは身体にあっている。薄くついた筋肉の胸元の鎖骨にはキツネに見える刺青があり、彼も黒崎の隣の壁にもたれかかった。

「……いつから、お前はオレを待たせる立場になった?」

黒崎は苦笑を浮かべる。

嫌みはいつもと同じだった。いちいちむかついていても、仕方がない。この人には、世話になっている。

「……」

「今回の内容はコレ」

カバンの中から一枚の紙を取り出す。その紙には、ある女性の顔写真と住所、氏名、職業などが書かれている。仕事の内容は、その下の行に掲載されていた。それも、たった一言で恋人の代役とだけ。理由も経緯も何も書かれていない。

「彩雲、私はホストには向いていない」

「だな、お前にはホスト向いていない。だけど、お前達は外見が違和感なくつりあうからいい……」

黒崎がキっと睨むとあわてて口をつぐみ、視線を横にそらした。

「と、上が言っていた」

「ウソつくな。私の性格を知っているだろ」

「……」

彩雲はすっと目を細めた。もう日が暮れているのに、色つきのサングラスをかけている黒崎は、初対面の人と話すということが好きではない。

 外が怖いと、部屋にいるようになったのは、もう3年前になる。

 黒崎を拾った青年は今回の仕事は黒崎が一番の適任だと判断した。

『彼の性格は、純粋なぶんもろいが人の気持ちを敏感に感じとる。相手にひきずられないようにするには、今回の依頼人と相互てきによくなるとだけ言っておこうか』

 口元を持ち上げるだけの笑いを浮かべて、青年は依頼の用紙を渡してきた。


「彩雲?」

「拒否はできない。それは、お前も知っているだろう?」

「……そうだった、か」

かすかに黒崎は苦笑を浮かべるが、どこか楽しそうな表情を浮かべている。

「この依頼人との待ち合わせは今から、5分後。ここ、コーヒー店の前だ」

「……了解」

「あとは頼む」

それだけ言い残して彩雲は、立ち去って行った。

毎回のことだが、ここの駅は人が多い。人ごみに酔うから、静かなところに逃げ込みたい。この恐怖心がどこからくるものなのか知らない。一定期間の記憶が私にはないから。もしかしたら、その間の出来事が原因なのかもしれない。

「あの」

声のしたほうを見ると、写真の女性と同じ人が立ち、キッとにらみつけるような鋭い視線をむけてきている。

「神崎美咲さん?」

「あんたが、黒崎」

「そう。コーヒーでも、飲みながら話聞く」

「はい」

最初にエスプレッソとカフェオレを頼み、受け取ると一番の奥のおちつく席に向かいあって座った。

彼女の前にコップを置くと、じーっと見られているのに気づいて視線をあげる。

なんで、この人は恋人の代役なんて頼んできたのだろうか。こんなに意思の強い瞳を宿しているのに、頼む事情があったとしても自分でどうにかしそうな気がする。

「瞳が、冷たいのね」

「あぁ」

「冷たい人ではないのに、どうしてそんな瞳をしているの?」

 苦笑を浮かべる。

 会ったばかりだというのに、なんでそんなことが分かるというのだろうか。

「人が、怖いからだ」

黒崎雫は、そう言ったまま視線をわずかに下にそらした。

 記憶は、ひどく曖昧なものだ。絶対なものではない。都合によって自由に編集されて必要ないと感じたら、なかった事として、その経験そのものを消してしまえる。そして、ある人にとってはなかった事にされたものは、別の当事者にとってはどうしても消さない傷をのこして、痛みを残し続けていく。

悲しみも憎しみも、怒りも限界をこしてしまえばひどく冷えたモノも変わって何も感じないと麻痺を起こす。

麻痺したままならば、いっそ楽なのかもしれない。どこにもすすむことができない代わりに、それ以上に傷つくということはない。

「それで、仕事の依頼は具体的にどういう風にすればいい?」

「ある人の前で、恋人役をやってほしい。日時は、またあとで決まったら連絡する」

「了解」

 黒崎は、スーツのポケットから仕事用の名刺を取り出すと、そのまま神埼に渡した。

「連絡先が書いてあるから、ココに連絡してくれ」

コーヒーを一気に飲みほしてから、カップをテーブルの上に置く。神崎は渡された名刺を、バックの中から出したケースの中にしまった。長袖に隠れていた手首がかすかに見え、赤く細い線がついているのが見える。あえてそのことには触れなかった。

ただ、痛みがある。

「理由をきかないの?」

「話したくないのなら、別に聞く必要なんてないだろ」

「?」

 予想していた言葉と違ったからか、神崎はかるく目をみひらいた。無言の肯定を、目でする。

伝票をもって会計をすませてから、黒崎は喫茶店を出た。

今は、見守ったほうがいいと感じたからでもあるが、これ以上深く関わってしまって自分が傷つくということをさけたかったのかもしれない。お店を出たあとに黒崎は、苦笑を浮かべて夜の闇の中に消えた。


残された神埼は、コーヒーを飲み終わってから席をたった。 正直なところ、恋人の代役を頼むなどしたくなかった。そういう依頼をうけてくれるところも、どこか妖しいと感じていた。

トラブルは自分でなんでも解決してきた。他人に話しても解決にはならない。話してなんになるというのだろうと考えていたから。話してすっきりするのは、自分の中にある答えをその人が、鏡のように映し出してくれるから。なら、自分で本当に行き詰まるでは話さない。

 途中で話したら、相手にとって迷惑になるんじゃないのかと冷めた心で感じていた。けれど、今回は自分ではどうにもならない。そんなときに、法律に反しない範囲で、なんでも相談にのるとウワサで聞いたのが、『香月事務所』という、大きなビルの中に入っている事務所。

そこの事務所に行ってみると、人数分の机と椅子。二十代ぐらいの数人のスタッフと、中央の窓辺に三十代ぐらいの銀髪の男性が座っていた。その事務所の所長がその男性らしい。その男性の名前は、香月 愁という。

事情を話すと、黒崎という人物が適任だと言い、後日にまたこちらから連絡すると言われ、帰ってきた。

実際、黒崎雫は会ってみたところ、変に優しいという人物でもなさそうで安心した。

ある人に似た雰囲気のある人物だ。

「神崎さん!」

声のする方を見ると、中性的な印象を受ける二十代の女性が、かるく手をあげていた。

「……鈴香」

「何をしているのですか?」

「少し、コーヒーを飲みに。鈴香は?」

「悪友と待ち合わせです」

悪態をつく口とは違って、表情がやわかくて嬉しそうだ。こういう表情が、今の私にとっては、あまり見たくないものだった。心の闇を見透かされた気持ちになるから。

彼女は時計を見てから、少しあわてた様子をみせた。

「そろそろ、時間なので、また今度」

そう言って、鈴香は去っていった。


気づきたくない、この感情は。

いろんな気持ちが入り乱れて、つぶれてしまいそうだ。


ぽっ


家に着く前に雨が降ってくる。最初は小降りだったのだが、だんだん激しさがましてきて、こんな天気は、不安が増加してきて声をあげて泣いてしまいたい。

マンションの一室、自宅の鍵を取り出して家の中に逃げ込む。

あつく閉ざしたドアでさえ、雨音を完全には消してなんてくれない。奇麗に片付けられた部屋のリビングのソファーに座り込む。

 冷たい雫がおちた。その水の感触だけが、たしかなものに感じる。のろのろと立ちあがり、タオルをとると髪をふいた。部屋にあったせいかあたたかいタオルを見て、恋しく思う。

そのタオルは、もうずいぶん前にしまっておいたものだった。コレをくれた人は何年も会える状況になくて、その人を想う人もまた、私からはそうそう会いにいけないところに行ってしまった…。頭の中では、答えのみえない考えがメビュウスの輪のようにくるくる回り続けている。おかしくなく、かなしくもないのに、気づいたら口元は笑みを浮かべたときと同じにもちあがっている。

「……っ」

ぶつける相手もいないこのたかぶりつづけていく感情を、独りで整理をするのは無理だと気づいたのは、つい最近だ。


カタン


悲しそうな音がした方には、今では見向きもされなくなってしまった一枚の写真が額にいれられたままおちていた。


その夜、懐かしい夢を見た。

何かと不満をもらしながらも、あたたかくてまどろみのような高校時代。あの頃の二人には、もう会うことはできない。笑顔も体温も輝いていたそのすべてが過去のものになっていた。



「おはよう」

職場につくと、明るく同僚の一人が声をかけてくる。

両手にはコーヒーがはいったコップを持っている。湯気が出ている液体の色は、茶色というよりも白っぽく変わってしまっている。

「はい」

「ありがとう」

私の机の上にコップを置いてくれた。


ここは、あるビルの中にはいっている一室。小さなデザイン関係の事務所になっている。パソコンがならび、他には机とイスだけという殺風景な仕事部屋で、それぞれの個性が出ているのは、机の上に置かれている物の置き方ぐらいだろう。


あたたかいコーヒーを一口飲むと、目をかるく細める。

コップで手があたたまると、心まであたたまった気がする。

「……甘い」

「そこまで、甘くないはず。それに、甘いものは疲れをとってくれるから」

普段、インスタントコーヒーでも、エスプレッソなみの濃さで飲んでいるから甘さには敏感に感じ取ってしまう。

「そうなんだ」

「そういえば、このビルの中に入っている香月事務所ってあるでしょ?

 そこで働いている人と少し話していたけど、すごくカッコよくて茶髪にメガネが似合っていて。 一目ぼれかも。あの人彼女いるのかな?」

「…さぁ、本人に聞いてみたら?」

「連絡先きいておけばよかったなぁ」

 残念そうにつぶやく同僚をみて、香月事務所がある上を見上げる。

 友人によれば、その彼は彼女一筋だとか、高校の頃は下駄箱が手紙で埋まるほどの人気だったとか、ホストだとか噂されたという後輩だったような気がする。

「……」

確かに覚えているわけでもない。それに、もしそうだとしても彼女には希望があると思うので何も言わないでおくことにした。 実際、思いの違いはあっても、相手に好きな人がいるからと知って、「そうですか」と諦められるものでもない。

相手が手に届くほど近くにいるのであれば、何かしらの行動に起こす事は可能なのだから。 行動したあとの後悔が残るぶん、羨ましく感じる。

コーヒーカップをディスクの上に置くと、写真たてを見る。この写真たての中には大事な一枚が入っている。今は、まだ、見る勇気がないので裏返して別のイラストをいれて飾ってある大切なモノ。

かるく指で撫でる。

学生の頃、抱いていた自分の気持ちや周りがその感情をどう思うのか。世間の風あたりが悪いことなど、気にしたくなくても嫌でも目につくように情報がはいってくる。それが、偏見や間違いなのだとわりきれるほどには、あの頃の私は大人ではなくて。

気にし始めたその時からずっと、仮面をかぶり続けてきている感覚がぬけない。

恋愛の場面で嘘など、つきたくない。

そう思いながらも肝心なところは否定もしなければ公定しなかった。

そうすれば、相手のまわりのいいように解釈してくれるから。

結局のところ、自分が傷つけられるのが怖くて最後まで言えなかった。

まだまだ、時間はある。まだ、自分たちは若いから。そうして、気にして悩んでいたのが今となっては小さく感じている。

「……で、どうだと思う?」

「え? あぁ、うん。いいじゃない?」

「じゃ、さっそくアドレス交換してくる♪」

「待った!」

あわてて彼女の服の袖をつかむ。

「なに?」

「そこが開くのはあと二時間後だから、今から行っても誰もいない」

自分の腕時計を見せると、しまったという表情を浮かべた。

こういう少しぬけているとこも、ほっておけないとこも彼女の魅力の一つだと感じている。根底に優しい人は、愛嬌に見えてくる。

「おちついて、座って。すぐに連絡先を聞く前にもっと話して距離が少なくなったところで聞いた方がいいと思うな。あせらない」

「……」

「なに?」

キラキラした目で見られて、少しあとずさる。

「恋愛マスター」

「もし、そうなら苦労していないわね」

苦笑を浮かべてそういうと、彼女はさびしそうに視線をおとす。

「……神崎さん、自分のプライベートな部分を見せないよね」

「聞かれてないからかな」

悩みは、話したとしても答えをみつけるのは自分だから。それと、一つのことを話したら、芋づる式に全部を話すことになるから。

「そっか。じゃ、質問していっていい?」

「いいけど…」

「よかった。いろんなこと話してみたかったの♪」

満面の笑顔を向けてそう言ってくれた彼女にほっと安心する。自然な笑顔を浮かべてその質問に答えていった。



あの人は、もうどこにもいない。

数年前におこったアレは、今となっては新聞記事を調べる以外個人では方法がない。

不思議と疑問が喉にはりつくようにささっているようで気になってしかたがない。

人が、友人二人も続けてなんて、つながりは本当になかったのか?

知ったところで、過去はもう何も変わらない。



「黒崎」

呼ばれて、黒崎雫は振り向いた。

時刻はもう夕方で外は暗くなり始めているのに色つきのサングラスをつけている。視線の先には白い洋服に身を包んだボーイッシュな女性が立っている。

「……何か用か?」

「用がなかったら、会いにこないよ」

苦笑を浮かべて、彼女は近づいてくる。

「伝言がある。彼女に」

「……」

「アレを調べるな。そう言えば分かると思うから」

「貴方が言えばいい」

「んー…僕が、直接会ってはいえない。今はね」

そういうとその人は背をむけて歩いていく。


一度流れたときは、元には戻れない。

もしも、過去を知ったとしても後に残るのは何もできなかった虚しさ、やるせなさだけだろう。知られたくないと思うからこそ、嘘は真実といれかわる。


その中で、前を見て。

その未来で幸せになってほしい。


ある人の願いは、彼女にまだ、届かない。


【2】


黒崎雫は、目の前に座っている彼女を見ていると、以前よりも見えない壁を感じていた。必要以上に寄せ付けない空気をまとっているのに、哀しくて寂しそうだ。

「アレに付いて調べるな」

「…ッ」

ビクッと彼女の身体が震える。怯えて何かを探ろうとする視線とぶつかった。

「そう、貴女に頼んできた人がいる。内容についてはなにも話さなかったから。知らないが…」

そっけなくそう答えると、安心したかのように表情をゆるめて紅茶に口をつけた。ココは彼女の部屋だから誰かに話を聞かれる心配はない。

「外は、奇麗だな」

視線を窓の外にうつせば、すっかりクリスマスイルミネーションが彩られている夜の街の姿が見える。それほど大きくはないが、この街では自治体が募金をしていて、そのお金でクリスマスツリーのように街の中にある数本に飾り付けをしている。だからなのか、都会に比べてここは空気があたたかい。

「そうね」

彼女、神崎は立ち上がって窓の近くに行くと、息を吹きかけた。一部分が白く変わり懐かしそうに指で落書きをする。その後を指でくしゃくしゃとぬりつぶす。

「跡になるよな」

「あぁ、学校の掃除の跡によく残っていたわね」

黒崎に視線を動かすと、冷たい笑みを浮かべる。

「なかなか消えなくて、跡に残る。ね、黒崎はもし、感情をぶつける相手もいないのに、自分でうまくコントロールできていないなと感じるときどうする?」

声が一番冷たくて、笑っているのがよりつらそうに見える。

「まあ、私なら何かの形で外に出すだろうな。でも、それは私の答えであってあなたの答えじゃない」

「……」

「いつまで、ひきずるつもりだ?」

目を細める。グラサンの奥にある黒崎の瞳が一瞬、琥珀色に変わったが、動揺していた彼女には気づかれない。ゆっくり口をひらく。

「前に進むべきだ」


どうやって?

新しく好きな人を作って、次の恋に進む事?

それとも、あの事に対する憎しみにも、似た感情を切り捨てろという事?


表情でそう言っているのが、聞えた気がする。

「そう、周りから言われてきたのか?」

目元をゆるめて、紅茶のはいっているコップに視線をうつす。コップのあたたかさをたしかめるように手を添える。

「私は、そうは思わない。無理には消せないことも、時間がかかっても癒せないこともある。周りからみて羨ましく感じる人にも、見えない傷や痛みはある。」

神崎は、机に置いてあるゆげがたっているコップを持ち上げて一口飲むと落ち着いた。戻すときに黒崎の手に少しだけ触れた。この部屋にきてから数時間もたっているのに、黒崎の手は冬の水のように冷たい。

「冷え性で、なかなかあたたまってくれない」

苦笑を浮かべている黒崎を見て、神崎はふっと笑みを浮かべる。冷え性の人は心があたたかいと学生の頃どこかで聞いた。根拠のない話だが、ふとそのことが頭の中をよぎった。

「……私ね、好きな人がいたの、その人も大切な人も、もう、会えないところに行ってしまった。二人がいなくなって、そのことには他の何かが隠されている気がして、知りたいのよ」


カチャ


コップを、机の上に戻した。

棚の上から落ちたらしい写真に気づきはしたが、気づかないふりをした。


私は、黒崎は人とは少し違う。その事を知ったのは中学生時。「動物」が暗い目をしている。そう話したら、その場の誰もがその「動物」などいないと言った。

強くその人が思っていることを指摘したら、話していないのにどうして分かったの?と言われ、周りに気づかれないように仮面をかぶった。

神崎には、同じはなせない何かがあって、嘘をついているような苦しさがある。

「いいよ、話して」

彼女は、こみあげてくるものがこらえきれず、泣きながら思いを吐き出した。


神崎が高校生の頃、彼女とは別のクラスにいた陸と佐久間と仲良くなった。

たまたま体育の時間が合同の授業だったのがきっかけ。

それまで、ある事情で一年留年していた彼女の周りには親しく話す友人も少なく、自分からも話しかけられずにいた。

彼女達二人はそんな頃、笑顔でよく話しかけてくれた。

そのうち、興味がわいた。

彼女達のグループとも最初はぎこちなかったが、話していくうちに馴染みふざけあえるようになる。そんな昼休み。

「ね、佐久間。好きな人できた?」

笑顔で、茶髪でショートの陸が黒髪のロングの佐久間に聞いた。

気になって視線を向けると、彼女は紅くなっている。

他にお弁当を食べていた友人達はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。

目は獲物を狙う猫。いわく、聞きだすまではなされない。そんな空気に、神崎はおとなしく弁当を一口放り込む。

「そういえば、最近、紫色の髪の少年と紅い髪の少年の三人でゲーセンにいるところを見かけた情報があった」

ほれと、三人が写っている写真を彼女の前に突き出す。冷や汗を流して陸以外の友人に佐久間は助けを求める。が、誰も視線をあわせない。

「ふーん」

 陸は面白そうに彼女に抱きつき、耳元に口をよせた。

「で、どっち?」

「さぁ?」

「正直に言わないと、襲うよ?」

 本当にする気がないのは、ここにいる全員が知っている。

目が半分だけマジなのを確認すると、下手にごまかすのは、やめたようだ。

「恋の好きじゃない、まだ」


あ、バカ…。


その場にいた全員がそう思った。

まだ、ということは、これからはあるというわけで。

自覚はないが好きかもしれない。そんな心情を告白するようなもの。それに、陸が気づかないはずがない。彼女は驚いたが、それ以上は聞かなかった。

「そう」

そう明るく言うと佐久間から離れた。

「美咲はさ、好きな人がいたとしてその人には別に好きな人がいるとしたら、自分はいつまでこの人の傍にいられて何人の恋人ができて別れていくのを見守ることができるんだろうって思ったことある?」

誰の事を言っているのかはすぐに分かってしまう。陸にとってそう想える人は佐久間だけだから。陸は佐久間のことが好き。その事実は全員知っている。

佐久間のことを好きな一条という男子には、今日は私の方が長く傍にいれたとかしょうもない自慢大会をしている。それに本気で応戦する彼も彼だと思うが、陸は笑顔で接していて、そんな事を思っているとは感じた事がなかった。

「いつかはさ、傍から離れなきゃいけないときがくると思う。それがどんなときかは分からない。自分が恋人になれたらいいけど…難しいよね。自分とは周りとは違うというだけで好奇の視線を向ける世の中だから、面白半分に気持ちを扱われて傷つくことだってあるから」

「……伝えないの?」

「何回もスキって言っている」

「そうじゃなくて!」

「僕はさ、付き合っている人がいるからって諦める事はできないけど、無理に自分のモノにしらいとも思わない。それは、佐久間が望まない」

「…だけど」

「結局ね、僕は今のこの居場所がなくなるのが怖い。だから、動けない。本当にそうしたいのなら、今の友達という居場所を失っても行動しないとね」

「美咲はさ。まず、動くべきだよ。自分はどうしたいのか」

彼女の後ろ姿がまぶしくて、視線をそらす。

自分で自分を受け入れられない。自分で感情を否定しても誰も受け入れることなんてできない。そう思ったら、心が軽くなった。



その夜、夜中に電話が鳴った。

佐久間の母がかけてきてくれた。

電話で伝えられたことが信じられない。

さっきまで、学校で話していた。

さっきまで、普通にまた明日と別れた。


その日、佐久間が亡くなった。


そして、陸も彼女のあとをおうように亡くなった。


警察の話では二人とも自殺だということだった。

何度も呼んだ。何度も冷たくなった身体をゆさぶった。


「どうして」

五年たった今でも信じられない。後悔ばかりがあって、記憶はうすれない。質問に答える声は、もう、誰もいない。

後ろにまわった黒崎の手が背中をさすってくれている。

黒崎は、目を閉じた。

昨日、陸は目の前にいた。

最後に彼女は苦笑を浮かべて一言告げた。

『もう、前にすすんでほしい。隣に誰かが傍にいてくれることを望むよ』

勝手な話だと感じる。

「……ありがとう」

神崎が立とうとするとき、ふらついたので黒崎が支えた。とっさにしがみついて彼女は胸に違和感がした。何か柔らかいものがあったような?困惑の顔で見上げる。

「あぁー、うん、よく間違われる。男に」


その様子を、少し離れたところから、佐久間が優しく目を細めてみていたことにこのときの二人は気づかなかった。


【3】


目覚ましの時計の音で目が覚めた。気が付いたらいつものようにベッドで寝ている。昨日は遅くなってしまい、泊めた黒崎の姿がない。

起き上がってリビングに行くと、おとしていれるコーヒーが二つい食卓に置かれていた。

サングラスも同じところにおいてある。ハンカチタオルで顔を洗った黒崎がもどってきた。

前髪が適度に濡れている。

「黒崎は。普段は、何をしているの?」

「仕事がないときは部屋で何もしていないことが多い」

黒崎はふいに部屋の隅に視線をうつした。

「神崎は?」

「音楽を聴いていることが多いかな」

「どういうのを聴いている?」

「あまり決まってないかな。歌詞に惹かれて聴くことが多いから、特に決まった人の聴いているわけでもないし…高校の頃の友達にもらったものもあるから」

CDラックが置いてある木の棚の上にある額に入れられた写真には、佐久間が写っている。

ちょっとむっとしている表情に片手で半分顔を隠している。

陸が休み時間に友達と話している佐久間を隠し撮りしたもの。隠し撮りに失敗して、途中で気づかれてそのまま使い捨てカメラで撮ったものだ。学生のあの頃を切り取ったもの。

「……そうか」

優しそうに黒崎は目を細めた。

黒崎の脳裏に昨日の夜の出来事がよぎる。


昨日の夜。

あれから、神埼が寝室に向かってからしばらくして部屋の隅にいた彼女に気づいて視線を向けた。

「貴女が、佐久間玲奈さん」

『正解♪記憶から、視えたってことかな。だったら、もう見えているんだよね?』

「えぇ、今さっき見えてしまいました」

『私が頼みたいことはあのときの出来事をあの子に話さないで。知ってもなにも変わらないから。』

「それは、分かりません。過去に起こった出来事は確かに変えられない。だけど、その先の未来に続く自分の気持ちは変えられるはずだ」

佐久間玲奈は苦笑を浮かべる。

 『…分かっていると思うけど、私も陸もココにいるけど生きているわけではない。実体に見えるようにすることができるだけ。そんな存在の私達が彼女に事実を話すことも、気持ちを伝えることも難しいし、混乱させてしまうだけ。直接会って言うわけにはいかないの』

「……そうですね」

『じゃ、今日はこれで帰るね』

そう言い、彼女は姿を消した。

神崎にとっておそらくこんな出来事は初めての事になる。事実を伝えられても、なぜ分かったのか話さないといけない。彼女達のことはうまく説明できないだろう。

私も拒否されるかもしれない。そうしたら、神崎はこの先もずっと同性が好きだという自分を肯定できずに、誰にもはなせずに仮面をつけて過ごすように息苦しさを抱き続けなければいけない。本当の自分をさらしてもいい相手が誰か一人でもいれば、強さをもてるのに。変えられるのに…。

それは、私自身にも言える事かもしれないな。

「……。神崎が言っていた事が分かった。佐久間さんの事」

「え?」

「あまり、いいものだとは言えない。それでも、知りたい?」

「……。うん、ある程度覚悟はしているから」

「そうか。俺は、すでに生きていない人やその人が強く想っていることがなんとなく分かる。それで、視えたことがある」

神崎は、黙って黒崎の話に耳をかたむけた。

たった数回会った。

たった数回話をしただけだが、人に接する態度が誠実で真剣になっていて、秘密にしたいことは守ってくれる。

信じられるかもしれない。

そんな居心地のよさがそうさせているのかもしれない。 そして、黒崎はあの出来事を話すために口を開いた。


五年前のあの日。

陸の家の電話が突然鳴り、電話に出た。その少年のように若いその声は、「警察だ」と小さく告げた。そして、彼女が、佐久間玲奈が死んだのだとひどく震えた声で伝えてきて、視界の色が何もなくなってしまったようにあせて見え、動けなくなった。

頭の中で嘘だと、何かの間違いなのだと言い聞かせてみても、普段のように頭が働いてくれない。

否定する気持ちとたしかめないと何も分からないという気持ちが入り混じって、どうやってその遺体安置所にたどり着いたのか覚えていない。

気づいたら、そこに立っていた。

「……玲奈がお世話になっていたわね。お別れをしてあげて」

佐久間の母親らしい女性と、黒い服に身を包んだ炎ように明るい赤色の髪の少年が立っていた。顔色がひどく青白い。頬には、左頬には傷を負っているのか包帯がまかれていたが、血がかすかににじんで見える。うながされるように、少年はその女性と一緒に出て行った。

玲奈の母は視える人で、そういう人たちが集まっている「組織」で働いていた。

存在は、彼女からきいたことがある。死因については何も話してくれなかった。もしかしたら、「組織」に口止めされていたのかもしれない。

目の前に横たわっている彼女は、今にも目を開けそうなほど何も変わっていない。

そっと触れてみて、体温のない冷たさだけが彼女が亡くなっている事を知らせてくれる。

頬を涙がつたっておちる。


どうして、なのだろう。

もう、何も伝えられないじゃないか。

泣き疲れた。

ポケットの中には、眉を整えようと思って入れてきてしまったカミソリがはいっているのを忘れて軽く手首がふれてしまった。傷口が熱い。

「事実を知りたくないか?」

視線を向けると、銀髪でアメジストの瞳をした青年が立っていた。ドアを開けた気配すらなかったのに。迷いもせずに陸は頷く。

「彼女の持っていた「力」は、ある少年が持っていた力と同じでアイツが落としたことが分かった。俺は、もともと人間ではないが、ココで大切な人ができた。

だが、あるときその人は組織につれて行かれて、「「力」はどこだ?」と聞かれた。

知らないから答えないでいたら、その人の記憶が奪われた。

俺では、記憶を元にはもどせないが、新たに記憶は作ればいい。だけど、そうされてしまった原因を知りたかった。それ以来、その組織のことを調べていくうちに、その「力」のことも知ってはいた。ップのアイツに会うためにさっきの赤髪の少年の上司に、二人が「力」を持っていると教えたのは、俺だ。そのときに、少年の力が強すぎることに気づくべきだった!」

「……。それで、どうなったの?」

「赤髪の少年は櫂という名前だが、櫂の上司は、「力」が欲しくてたまらなくなった。

無理に本人からはがせば、暴走することもうすうす彼は気づいていても、やめなかった。

そして、暴走した力が彼女を……」

「そう」

「櫂は、彼女が貴女に伝えることを望んだから、「組織」の目を盗んで電話をかけた」


だから、声が震えていたのか。

だから、うなだれて青白くなっていたのか。

手首についてしまった傷はかなり浅い。

血もとまりかけている。

青年を見ると、ひどく震え哀しみにみちていた。

手首の傷に視線が向いている。だから…。


「それでも、「死にたい」か?」

「そうね。今までの自分の感情を捨て去るという意味で「死にたい」。このことを消して貴方の使い魔になろうかな。もう、誰が悪いとか、つらい思いをしていたら、いつの日か、壊れそう。だけど、本当の事実を教えてくれた君には感謝している。これからは、僕が君の傍にいる。だから、これからは僕みたいな人を救うのが君のすることだよ」

そして、陸は自ら青年の手を自分の首にからめさせた。

青年は静かに彼女を人から人じゃないものにするための「魔力」をこめる。

意識を失った彼女の身体はしずかに糸がきれた人形のように力がはいらない。

手首はすぐに止血した。


どくん どくん


熱い血が流れているのが手首や首から感じる。

人として陸は死んで、使い魔として彼女は産まれた。

それが、五年前の事実。


「やっぱり、自分で選んだのね。陸は…」

もっと、心がざわつくのかと思ったが、心の中はひどく静かだった。佐久間の死は想定外だったが。

「あぁ」

「銀髪の青年って、もしかして愁なの…?」

「あぁ。香月事務所のボスだ。人じゃなかったのは知らなかったが」

「そう。黒崎は視える人なの?」

「……あぁ、そうだ」

「話してくれてありがとう、信じるよ。私のまわりにはそういう人が多いから」

黒崎は、ほっとした表情を浮かべた。その表情を見て神埼は、なんだか嬉しく感じた。


「無事にうまくいったようですよ、愁」

香月事務所の部屋から何かの方法でその様子を遠くから眺めていた彩雲は、愁にそう報告する。窓辺にいる彩雲に愁は視線をむけると、にっこりと微笑む。彩雲は少し困惑した表情を浮かべる。

「……でも、言わなくていいのか?」

「何を?」

「当初の依頼って、水無月鈴香の前で恋人のふりをしてほしいってはずだったよな?」

「そうですね」

「もはや、恋人のフリなんて本当の恋人になるのには時間の問題。どころか、鈴香のところに今は陸と玲奈が二人一緒に居て、鈴香と零のカップルをからかって過ごしているってことだよ」

「そんなこと、きっと黒崎ならここ半年以内に気づくよ」

「愁、お前のその笑みが安心しての笑みじゃなくて、どこか面白がっているように見えるのは気のせいか?」

「そうですね、気のせいじゃありませんから」

なぜか、黒崎が神崎と仲良しさがあがるたびに彩雲のいらつきは、周囲にもれている日々が続いていた。気づいていないのは定期報告に来る黒崎ぐらいのもの。そのいらつきは独占欲であったり、恋心であったりするらしく彼を見ているとつい面白がって笑みをつい浮かべて、こうからかいたくなる。

「本当に、彩雲は黒崎のことが好きなのですね」

「ばっ…そんなの、ちがうからな!」

赤面でそんな事を言われても、逆効果だ。

事務所の中で手伝っていた有紀がこっちに視線をむける。

「あんた、そのゆがんだ愛情表現をいいかげんどうにかしたらどう?中学のころから変化なし。真由香を誰かにとられても知らないから」

「それはありえませんね。真由香は私のものだから」

「その自信はどっから来るのさ」

呆れた表情を彼女は浮かべた。いつもの光景をくり広げながら、黒崎が神崎と仲良く過ごしているのを彩雲が見るのは、もう少し先の話。


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