魔人ゲヒャルト
様々な獣や、獣人のような姿を持つ魔物たちが雲霞のごとく押し寄せる。低級とはいえ魔物は手強い。薄めた魔力で広域を攻撃するような魔法ならレジストされて致命傷には至らないから、確実に一体ずつ潰すか広域殲滅魔法を連続で放つしかない。
サラはユウキの張った結界を盾にして、近付く魔物を次々と雷撃で粉砕していく。
ユウキとアンジュが互いを守るようにしながら魔物の群れを引き裂いて進む。
武器を振るえば振るうほど手に馴染んでいく感覚があり、ユウキは不思議に思いながらも自信を強めていく。命がけであろうこの戦いを、勇者としての力があるなら切り抜けられると。
熊のような魔物の体当たりを、飛び越えざまに上から一突きで葬る。着地点で待ち構えていた狼男の爪を槍で防いで、得物を回転させて腕を絡め取るようにして地面に引き倒す。背後から飛び出したアンジュがその魔核に剣を振り下ろす。
その間に左右から迫る犬のような魔物を振り回した槍の穂先が正確に捉えて一蹴する。
ほとんど速度を緩めることなく突き進む勇者の姿に魔人は兜の下で笑う。
「げへへ、よく頑張るじゃねぇか。おいお前らは下がってろ! オレ様が倒してやる」
透き通るような声で命じれば魔物たちが道を開ける。ユウキがそこに辿り着いて槍を構えれば、ゲヒャルトも地上に降り立ち荒々しく大斧を大地へと叩きつける。
小柄な体からは想像もつかないような轟音を響かせたその動作に緊張が走る。それを打ち砕くのもまた本人だ。
ゲヒャルトが、うげと呻く。見れば大斧に付けられた飾り布が激しく地面に埋没したせいで千切れてしまっている。
「っくぅ、オレ様のお気に入りが無残な姿になっちまったじゃねぇかよ! お前のせいでよぉぉ!」
「え、いや、うん。お前バカだろ?」
ここまでの緊張をあっさりと霧散させる魔人の姿に、ユウキは違う意味で戦慄する。危険な相手のはずなのに危機感が急速に薄れているのは、やはり現実感の希薄な状態だからだろう。しかし、アンジュにとってはこれこそが現実。油断なくゲヒャルトを見据えてユウキに警戒を促す。
「ミノタウロス型の魔人は知能こそ低く滑稽に見えますが、その怪力は大山鳴動せんばかりと聞きます。気を抜かないでください」
「おい二人がかりで随分とナメた口を利いてくれるじゃねぇか、覚悟はできてんだろうなぁ!?」
ゲヒャルトが吠えれば空気が震え、アンジュですら声に含まれた魔力を浴びて顔色を失う。だが、ユウキは勇者としての桁外れな魔力のせいで気圧される事もなく、しかも外道なゲヒャルトの行いに憤慨している。
心配そうな表情になるアンジュを手で制して、ユウキは決意と共に前へ歩み出る。
「俺がやるから、アンジュは周囲の魔物を近付けないように頼む」
「ええ、気を付けてくださいね」
向かい合う魔人と勇者。大斧をめこりと引き抜いて肩に担ぐように構えたゲヒャルトに対して、ユウキはリーチを活かすように柄を長く取って槍を構える。
絡み合う視線。
交錯した敵意が弾け、互いが恐ろしい速度で突進する。
ユウキが腹を狙って神速の突きを放てば、大斧が盾のように体を庇う。槍がギリギリ届く範囲を保ちながら細かく飛び退いて全身へ刺突を試みるも、言動に似合わぬ繊細な技量ですべてが弾かれる。
そして、それを数度繰り返した後にゲヒャルトは突進速度をさらに跳ね上げる。
闘牛のように、暴走特急のように、飛び退くユウキとの距離を詰め大斧の刃が届く距離まで駆け抜ける。
「ひゃっはぁぁぁ!」
「くっ!?」
暴風を巻き起こすような勢いで振り下ろされる大斧は、触れれば間違いなく必殺の一撃。受け止めるのを諦めて素早く半身に体を逸らす。爆音と共に砕け散る地面は血飛沫のように砂礫を吐き出す。
打ち付ける破片に顔を顰めるが、常人なら挽肉になってしまうであろうそれも強化された肉体には傷一つ付けられない。
地面をかち割った大斧がV字を描くように翻り胴体を薙ごうとするが、ユウキは身を屈めて回避。ついでのように足払いをするがゲヒャルトも機敏に跳ねて、逆に足を踏みつけようと叩きつける。
鋭く踏み抜くような足を槍が空で払い、ゲヒャルトが体勢を崩す。ユウキは短い間合いなので槍の中心を持ち、柄と穂先で8の字を描くようにバトンのような取り回しで打ちかかる。
しかしゲヒャルトもさるもの、足で槍の柄を蹴りつけ穂先に大斧をぶつけて攻撃を防ぐ。その反動のままに後ろへと転がって立ち上がる。
ユウキがその地点へと大地の牙を隆起させるが短時間で籠める魔力程度ではレジストされて溶けるように消えていく。
傲岸不遜なゲヒャルトの笑み。
ユウキは埒があかないと判断して、魔力を身体強化に注ぎ込む。もっと速く、もっと強く。
「げひゃひゃ、マジで強いなぁ勇者ちゃん。首輪付けて飼殺すのが楽しみでしょうがないぜぇ」
「気持ちの悪いことをっ!」
嫌悪感を露わにユウキが駆ける。先ほどよりも速い突きが連続で繰り出され、ゲヒャルトが防御しきれずに甲冑に亀裂を走らせる。
振りおろし、払い、蹴撃を混ぜて刺し穿つ。
「うげげー! まだこんな余力があるのか、くっ、お前ら足止めを――」
「――させません!」
徐々に追い込まれるゲヒャルトの指示で魔物たちが飛び掛かろうとするが、アンジュがそれを必死に食い止める。舞うような美しい剣技に次々と割断されて消えゆく魔物は、ゲヒャルトとユウキの戦いに介入できない。
ゲヒャルトの焦燥したような呻き声が兜から漏れ聞こえる。
焦って繰り出される大振りな一撃をユウキは踏み台にして、顔面を蹴りつける。兜が弾け飛び銀髪青眼の美しい顔が空気に晒される。声の通りに整った顔立ち、だがそれが残虐さを際立てている。
ユウキは躊躇うことなく、バランスを崩して尻餅を付いたゲヒャルトの魔核がある部分――心臓の位置へ魔槍を突き込む。
体重の乗った一撃に甲冑の胸部装甲が爆ぜ割れて、その胸に槍が突き立つ。ゲヒャルトは顔を歪めて必死に槍を掴む。これ以上は刺さらぬようにと斧も手放して両手で押し留める。
「がはぁっ! やめろぉぉ、分かった、もうしない! オレ様の負けだっ、死にたぐなぃぃいい!」
「お前に殺された人だって同じことを言ったんじゃないのか!?」
「待て! オレ様はまだ一人も殺してないぞ、見ろ、連れ去った奴らも犯してすらいないぃぃ。だ、だからもう許してくれぇ」
「……え?」
ゲヒャルトの意思を受けて魔物たちが攫った人々を連れて来れば、たしかに無傷とは言えないがまだ死んでいない。今が初の侵攻なのだからここで人死にが出ていないなら未遂だ。
それでもアンジュが厳しい表情で告げる。
「ユウキ、魔人の言葉に耳を傾けてはいけません。彼らは負の感情が生み出した存在。真に改心するなど前例がありません」
「い、いや、オレ様がその第一号だからっ! だからやめろ、ひぎゃあっ、槍に魔力が!?」
ゲヒャルトの言葉通り、槍にユウキの魔力が集まり光り輝き始める。魔槍が真の力を解放し、ゲヒャルトの消耗した精神に楔を打ち込む。
ゲヒャルトは不思議な感覚に身を震わせる。そして、再び言葉を紡ぐより前に耐えきれなかった甲冑の胸部が完全に崩れる。身長に対して若干大きい胸が露わになる。
ユウキはそれを目にして飛び退く。彼にとって女性に暴力を振るうのも振るわれるのも、死ぬほど嫌な事だった。
「女の子だったのか……!?」
それが、知らずとはいえ暴力を振るってしまった。自己嫌悪に吐きそうになりながら、使えるか分からない治癒の魔法を願うが、上手に発動しない。涙があふれてくる。
呆然とするアンジュ、そして安堵の息を吐くゲヒャルト。
「ご、ごめん。ごめんなさい。こんな、俺は……」
「オレ様を許してくれるんだな!? げへへ、魔人ってのは魔核さえ無事ならこの程度の傷はすぐに治るって。いやぁマジ助かったぁ。おい勇者ちゃんよ、お前、名前はなんていったっけ?」
地面に額を擦り付ける勢いのユウキに、立ち上がったゲヒャルトが近づいていく。
「ユウキ……」
「うひひ、ユウキな。覚えたぜ。オレ様専用の種馬にしてやりたかったけど、負けちまったからな。オレ様はもうお前の物だ。お前との子なら魔王の座も楽勝で狙えるな!」
そう言って嬉しそうにユウキへ飛びついてキスをする。ユウキが硬直したのをいいことに舌も入れる。
アンジュが慌てて剣を振り下ろすが、あっさりと避けるゲヒャルト。
「いったい何のつもりですか!」
「んだぁ? オレ様の言葉が分からねえほどバカなのか? 子作りに決まってるだろがぁ、げっへっへ」
「ひぃぃ!?」
先ほどまで圧倒していたはずの魔人に押し倒されそうになり震えるユウキ。
神ならぬ人の身には知りえぬことだが、魔槍クッコロッセの屈服させる力とは、つまり使用者へ対する好意を与えるもので強制力とかは一切ない微妙な効力なのだ。
故にゲヒャルトは宣言する。
「ユウキのために人間側についてやるが、オレ様はユウキがどんなに逃げても追いかけるからな!」
「勘弁してくれぇぇぇ!」
残念なヒロインその四、世紀末ゲヒャヒャ系女子。