与えられた使命
王城には不釣り合いな、実務的で小さな応接室。厳重な警備の元、魔法も音も通さない壁。この部屋には小さなテーブルと椅子があるだけで、装飾の類は一切ない。
そんな一室に待ち受けているのは女王と騎士がひとり。
騎士は防具こそ着けておらず甘いマスクに柔らかな微笑を浮かべているが、身のこなしに一部の隙もなく帯剣した得物は実用的な物だ。涼やかな目元に整った鼻筋、美しい金髪の手入れには無頓着なのか、背中まで伸びた状態で乱暴に束ねてあり、それが気障に感じられそうな部分を抑えている。
十代を過ぎて周囲から婚約を進められるのをのらりくらりと避け続けて、御夫人や御令嬢に人気ではあるが色事には興味を示さない。美しく高貴な様から、人呼んで薔薇騎士のアンジュ。
むろん実力は折り紙つきで、ひたすら剣の道に打ち込んだ末に手にした筆頭騎士の立場がそれを証明している。
優男然とした外見ながら、動きやすそうな軍服の下には細くも鍛え上げられた肉体が隠されているのだ。
そこに案内されたのは異界より呼び出されし勇者ユウキ。彼は室内の女王様を見るなりビクリと体を固くするが、横に付き添う治癒術師エイルが引っ張って対面まで連れて行く。
「先ほどの非礼をまず詫びましょう勇者さま。女性が苦手とは知らず、無遠慮に近付いた事はどうかお許しを。その上で、貴方さまの立たされている状況を説明させてください」
「いえ、その、ごめんなさい。俺の方こそ」
目立った非が無くても頭を下げるのは日本人らしさか、それとも染みついた恐怖ゆえか。王女はその様子に苦笑しつつ、静かに椅子を勧める。
二人が席に着き、アンジュとエイルは後ろに控えて立つ。
「簡単にはエイルから聞いたと思いますが、分からないこと、聞きたいことはございませんか?」
「あ、はい。何で俺だったんですか」
ユウキが恐る恐る聞けば、申し訳なさそうに女王が答える。
「貴方さまが選ばれたのは偶然です。魔力の豊富な世界から若い人間ひとりを呼び出すのが我々の描いた魔法でした」
「……帰れないんですよね」
「はい、そして貴方さまには人間を傷付けられない枷が刻まれており、魔王と戦う使命が強要されます。世界のためとはいえ、人を不当に隷属させるのは罪です。すべてが終わってからであれば、償いとしてこの首を差し出す覚悟もあります」
「――っ!? 女王陛下!?」
女王の強い意志が籠められた瞳に射抜かれ動けないユウキと、その言葉に色めき立つアンジュ。しかし、目を伏せた女王に手で制されて落ち着きを取り戻す。
「そんなもの……いらないです。俺、女の人にそんなことできないですし」
「……そうですか。ではせめて誠意としてその後の暮らしは我が国で保証します」
王族の首をそんなもの呼ばわりするとは、態度の割に豪胆だなとエイルが内心で苦笑する。
ユウキが冷静な態度でいることに他の三人は少し安堵するが、本人は不思議なほどに落ち着いていた。
両親に心の底から望まれたとは絶対に言えない生まれのユウキにとって、自分の存在価値とは無に等しかった。異性は彼の忌むべき見た目にばかり価値を見出していたし、大人たちは同情の目ばかりを向けてきた。
親友だけは彼を心の友と称して、互いに無二の友という意識はあった。だがユウキと違い誰とでも打ち解けられる親友に、必要な人間であったかと言われれば自信が持てない。
それが、このよく分からない状況で、理不尽でありながら重大な役目を負わされる。ユウキは自分がそのために生まれたのではないかと思い始めていた。
「俺……勇者には何が出来るんですか」
「勇者さまは、この世界の人間と違い魔力が豊富な世界に生まれたおかげで、莫大な魔力を体内に秘めています。魔力とは魔法に触れる意思の力。魔法は願いのまま世界を作り変える力です」
魔法とは魔力を消費して強い意志の元、世界を作り変える法則。勇者はその力を多く宿せるのだという。
「では、魔王とはなんですか」
「魔王とは魔物を統べる王。魔物とは人間の負の感情から産まれる、世界の歪みです。魔物が自我や知性を持つまでに膨れ上がり、魔物を統率するまでに至った者が魔人、魔人の中でもっとも強い者が魔王です」
魔物は人の営みがある限りは生まれてしまう。だが、魔王や魔人は戦争などの特殊な問題まで発展しなければそう生まれることは無い。
此度の魔王は、このウルズラグ王国とカルカソニア王国間の戦争がきっかけで生まれてしまった。魔王の発生が確認された時点で両国は世界中から仲裁された。停戦と勇者召喚の義務を負わされ、両国の王は責任を取り退位した。
世界の危機を作り出した国に対して罰が甘いという声もあるが、勇者召喚に使う魔力リソースは国中から今後数年は魔力が失われるレベルだ。経済制裁などよりもよほど堪えるだろう。
「勇者さまには魔王と魔人をどうか倒していただきたいのです。我が国の後始末を押し付ける勝手を承知で、お願いいたします」
「わかりました。俺に出来るなら力を貸します。でも、魔法ってどうすればいいんですか?」
「元の世界ではどうだったのか存じませんが、この世界では強く願うだけです。魔法は他者に干渉する場合は相手の魔法と競り合う事になり、魔力の強さでどちらの法が通るのか優劣が決まります。魔物程度ならともかく、魔人や魔王の魔法は強いです、普通の人間では勝ち目がありません。ゆえに、貴方さまのような強い魔力を持つ勇者さまに頼らざるを得ないのです」
なるほど、とユウキは納得する。ファンタジーにありがちな呪文とかの詠唱は不要で、ただ魔力というエネルギーを使う万能の超能力なのだろう。
試しに掌の上で踊る炎を想像して、実現するように願う。高まる魔力にアンジュが一瞬だけ警戒するが、あっさりと灯った火に掌を炙られて悲鳴を上げるユウキに毒気を抜かれる。
「わ、わかった。あつつ……。それで、魔王を倒すのは俺一人だけで行くんですか?」
「いえ、いかに勇者さまが強くても大量の魔物と魔人を単独で相手取るのは難しいでしょう。なので、優れた騎士や魔法使いを供につけて各地の魔人を倒し、しかる後にもう一人の勇者さまと合流して魔王討伐に向かっていただく手筈です」
勇者が戦闘に慣れていない事例は過去の歴史でもままあった。故に、国の誇る強力な騎士などを随伴させるのが慣例だ。
その会話の流れに呼応して、アンジュが一歩前に出る。女王はそちらに頷いて紹介する。
「この者は、勇者さまに同行するひとり、我が国の筆頭騎士アンジュです。魔法を自分の強化に回すことで、魔力の格上である魔人とも互角に切り結べる逸材です」
「アンジュ・ローゼンハルトです。勇者さまのお力になれる事、まことに光栄です」
「あ、はい。よろしくお願いします」
アンジュが笑顔のまま握手を求めて手を差し出せば、ユウキも慌てて立ち上がり手を握る。そして、硬直する。美男子としか言いようのないアンジュの手は、剣の振りすぎでタコができて、力も強い。だがそれでも不思議と柔らかく、体から香る甘い匂いは……女性のものだった。
ユウキは弾かれたように飛び退き、椅子を巻き込んで倒れる。驚く室内の面々。
「お、女の人だったんですか。あ、ごめんなさい、近付かないで。うっ……ひぃぅ」
情けない嗚咽が漏れるユウキを前に困った顔のアンジュ。ギョッとした顔の女王とエイルに見守られて、彼女は頭を下げる。
「申し訳ありません。まさか露見してしまうとは。体格がいいから今まで誰も気付かなかったんですけどね」
「し、知りませんでした。いえ、たしかに殿方にしては美しすぎるとは評されていましたが……」
女王は己も知らなかった事実に逡巡するが、勇者との相性が多少悪くとも最高戦力の一角であるアンジュをはずすのは避けようと思って取り成す。
「勇者さま。心中お察ししますが、彼女をどうか連れて行ってください。かならずやお力になりましょう」
「う……あ、でも」
体を震わせるユウキへと、悲しげにアンジュが口を開く。その愁いを帯びた顔は巷で婦女子の黄色い悲鳴を生み出す凶器だ。
「どうか、同行をお許しください。先ほどまでの事から察するに、近付かなければあまり気にならないのではありませんか? 私も父に男として育てられ今更女子を気取ろうなどとは露ほども考えていません。どうか、勇者さまと共に戦う栄誉をお許しください」
跪き頭を垂れるアンジュに、ユウキは息を呑む。そして少しだけ躊躇ってから、分かったと頷く。
「よろしく頼むよ、アンジュ。だけどごめん、できればあまり触れないでもらえると助かる」
「ありがとうございますユウキ。肝に銘じておきましょう」
ほっと息を吐く一同。そして女王は気を取り直して伝える。
「それから、もう一人はそこにいるエイルです。我が国一の癒し手ですので、きっとお役に立てることでしょう」
「改めて名乗るねユウキ。ボクはエイル。治癒術だけでなくカウンセリングとかも出来るから、頼ってくれてかまわないよ」
「うん……よろしくエイル」
ユウキは目を合わせずに答える。彼としては視覚的にはエイルが苦手だけど触れられたりは苦痛じゃない。そしてアンジュは見詰めても平気だけど近付かれると怖い。そんな困った事になっていた。
せめて性別が逆ならよかったのにと失礼な事を考えながら、ユウキは前途多難な冒険を悲観して溜息を吐いたのだった。
残念なヒロインその二、女子力ゼロな男装麗人系の女騎士。