有情破顔
砂漠の国アトリア。国賓が滞在するための施設にて、勇者一行は旅の疲れを癒していた。
強烈な砂嵐のため三日ほどは外に出られないと聞いた時、ユウキはどうするべきかと困ったが、体力に自信のないエイルやサラが休養を提案したのだ。
その一日目、ユウキに宛がわれた個室は調度も立派な一室。落ち着かなげにしていた彼の元へ、朝から一人の女性が訪ねてきていた。
ほっそりとした長身にレトロガーリーな金髪、紅玉のような眼は怜悧な光を宿して美しい。古式ゆかしいドレスは物語の姫君そのものだ。そんなクリスティーナ・ローゼンクラウンは、今、勇者ユウキに艶やかな唇を濡らして告げる。
「さあご主人様。吾輩と訓練、するのじゃ」
事の始まりは昨夜に対峙した魔人。久しぶりに女性型の魔人だったのだ。
その時は、やはりユウキは直接戦う事は出来ずにゲヒャルトとクリスティーナが倒した。これは自分の傲慢だと彼は自身を責める。
自分が手を下さずとも、女性を傷付けているのは事実だ。それは父が母にした事を想像させる。
それならば、せめて仲間に押し付けるのではなくユウキが全力で、少しでも相手を苦しめずに取り押さえるよう努力すべきなのだと考えていた。
それでも女性に武器を振るう、掴みかかる。そんな行為を成そうとすれば自己嫌悪に手が震える。結局は気絶した魔人にクッコロッセを使い、人類との友好を約束してもらうだけしかできなかった。
それすらも女性を無理矢理に洗脳しているだけなのだから、ユウキが抱えた自責の念は強まるばかりだった。
そこでクリスティーナは考えた。
「ユウキ様。すぐに心を変えるのは難しいのじゃ。吾輩たちのようにその槍でコロリと生まれ変われれば良いのじゃろうが」
「ごめん。心配かけてしまって。……クリスティーナは心を無理矢理に捻じ曲げられて不快じゃないの? 俺に対する好意が生まれると聞いたけど、それでも心が変わってしまったことに対する嫌悪感とかはあるんじゃないのか?」
本当なら罵倒されてしかるべき行いだ。そう考えるユウキに、クリスティーナとしては勘違いも甚だしいと首を振る。
「吾輩たち魔人の、憎悪と怨嗟に満ちた思考が八割を占める意識に本当の幸せなどあろうものか。その槍が与える意識の改変は魔人にとっては魂の解放に他ならないのじゃ。魔人と言うのは負の感情と魔力が実体化した、つまり人間から産まれる悪感情の塊じゃ。本質は正の感情を求めておるのじゃ。だから、誰一人として解放されてからは人を襲おうとはしない、それが答えじゃ。……ありがとう。それ以外の言葉が浮かばぬ」
ハッキリと言い切ったクリスティーナの本心からの言葉に、ユウキは恐る恐る顔を向ける。その赤い瞳に嘘の色が無いと感じて、息を吐き出す。その様はまるで親に叱られると思っていた時、逆に褒められたかのような安堵と嬉しさを混ぜた表情。
クリスティーナが笑う。それは外見の高貴な印象とは違い、素朴で親しみが持てるものだ。
「じゃから、ご主人様よ。あなたから見れば悪い事でも、相手によっては幸せに繋がると信じて欲しいのじゃ」
「……うん」
それはユウキの心にじんわりと染み込む。温かい言葉。
自分が、誰かを幸せにできる。ずっと母親を不幸にしてきた姫野優生という存在にとって、切なる願いだ。
その手で誰かを傷付ける事に怯えながらも、誰かを幸せにできる手だと言われて、差し伸べられたクリスティーナの手と重ねようとする。
クリスティーナは自分がユウキという少年によって助けられたのだと知っている。負の感情に突き動かされ、ただの魔人として死ぬ運命にあった自分に、心と命をくれた。
だから今度はクリスティーナが助ける番だ。
「じゃから、吾輩を打つのじゃ! 最初から全力でとは言わぬ、しかし、それならそれで出来れば臀部とか顔とか一般では屈辱的なあたりが最高なのじゃ!」
だからこれは欲望に任せた行動ではない。クリスティーナのは心の中でそう言い訳する。
言い訳だという自覚もあるので、開き直ってWin-Winの関係だと考える。
素晴らしい。ユウキは女性を叩いたりすることに対する忌避感と向き合えるし、クリスティーナは気持ちがいい。気持ちがいい。気持ちがいいのだ。
大切なので彼女は三度も脳内で繰り返す。
白磁のような白い肌が紅潮し、桃色に染まる。これが変態ドM吸血鬼だと知らなければユウキとて向けられる熱視線に、頬を赤らめたかもしれない。
しかし、ユウキはさっきまで上昇中だった好感度ゲージがピタリと動きを止めた気がした。
なにせ、彼女の様子から察するに手段が目的になってしまっているのは明白だ。
つい視線もじっとりと物言いたげになる。
「ああ、そんな目で……見て欲しいのじゃ。もっとぉお! できれば、もう少し蔑んだようにするのじゃ! あ、そうじゃ腕を組んで少し顎を上げてじゃな、吾輩が座り込んでいるのを見下ろす感じでお願いしたいのじゃぁぁぁぁ!!」
「……台無しだよクリスティーナ」
ユウキはそう言って心臓をバフバフ言わせながらも、男友達にするような調子で軽く、クリスティーナの頭にチョップで突っ込みを入れる。それはペシリと軽い音がするだけで、痛みもほとんどない。
それでも、ユウキが相手を女性だと認識したうえで初めて振るう暴力。もちろん普通の人からすれば暴力などとはとても言えないスキンシップ程度だが、彼にとっては叩いたという事実が重く圧し掛かる。
その瞬間、クリスティーナの顔がだらしなく蕩ける。にへらと歪んだ口元からは純白の吸血牙がちらりと現われ、鼻息が荒く音を立てる。
それは夢の中に落ちたように、幸せの絶頂にいる顔だった。ちょっと人としてどうなのかと思ってしまう表情だ。喉から押し出された空気が口から溢れ、ちにゃ、というよく分からない鳴き声を上げさせる。
「あはぁぁあ、いい気持ちなのじゃ。贅沢を言うならもっと激しく、心を籠めて叩いてほしいのじゃ」
「ごめん……それはちょっと」
何とも締まらないが、ユウキにとって大きな一歩。クリスティーナが天上の調べを聞くがごとく酔っているが、とりあえずそれは流して自分の手をじっと見つめる。
その手は微かに震えているけれど、大切な未来へと伸ばされた手だ。
ぼんやりと考えていたユウキが気付けば、クリスティーナがその手を握っていて、にっこりと笑う。
女の子に手を上げるなんてと思う心は強いけれど、この笑顔のためならと、ユウキはそう思ったのだった。なんだか道を間違えている気もするけれど。