それなんてえろげ
鉱山王国ドヴァルグスト。その首都郊外にあるソレナンティ伯爵の屋敷は、魔物と戦争の真っただ中であった。
なんと勇猛果敢で知られるソレナンティ・エルォゲ伯爵は騎士団を率いて強行突破、魔人を倒し撤退してきた。しかし、制御を失った魔物たちが攻め込んできたらしい。
ユウキたち一行が到着したのはそのような鉄火場で、即座に包囲された屋敷を守るため挟撃作戦を敢行した。
無論、魔人無き魔物の群れは勇者たちの敵ではない。瞬く間に殲滅し、危機は去った。
領民からの信頼も厚く武勇に長けた壮年の伯爵は、天の助けかと豪快に笑いユウキたちを迎え入れる。
「勇者ユウキ殿、まことに良きタイミングで駆けつけてくれました。この屋敷が崩れれば後ろにある街も民も、蹂躙されていた事でしょう。感謝の念に堪えません」
「いいえ、ソレナンティ伯爵。間に合って良かったです」
ユウキは悪いと思いつつも、噴き出しそうになるのを堪えていたのは当然である。なんとも、伯爵の名前は日本人にはよろしくない響きであった。
必死にポーカーフェイスを保つので仲間以外にはバレていないが、そこに伯爵がトドメを刺しにかかる。
「どうか今夜は泊って行ってください。……大丈夫ですとも、ちゃんとベッドはキングサイズなので何人一緒でも寝られますからな。いやはや英雄色を好むとは言いますが、さすが勇者殿はお仲間も美人ぞろいで羨ましい。いえいえ、ワシも若い頃は浮き名を流したものですよ。今でも領民たちが気の多い男を指して、ソリナンティ・エルォゲ? などと揶揄するほどです。わはは」
「ぶほっ、ごほっ、あはあははは、いや、そのなんとも、く、ふふ。剛毅なお方ですね」
「ははは、やっと笑ってくださったな。あまり若いのに眉間のしわが深いのはいただけませんぞ。傍にいる御令嬢方も心配しておられるようだ。肩の力を抜きなさい」
伯爵の意外な言葉に笑いを引っ込めて目を白黒させるユウキだったが、振り返れば皆がうんうんと頷いている。この世界は存外に優しいのだと、ユウキは嬉しくなった。
そんなやり取りがあったせいか、それとも旅路を共にして皆を信頼したからか。ユウキはその晩に、以前から何度か問われては口を濁してきた自分の過去を全員に話した。
エイルには軽く話してはいたが、詳しいことを口にしたのは初めてだった。母親とお姉さん以外の女性をここまで信頼したのも初めての事だった。
皆は気を遣い、優しい言葉をかけて、その晩は久しぶりに誰も過激なスキンシップはしてこなかった。
だけど、皆が寝静まった頃にサラが部屋に訪れた。
ユウキは緊張していたが、同じくらいサラも複雑な想いでそこに立っていた。
「少し、お話をする時間をくださいませんか」
「うん……どうぞ」
ぎこちなく部屋の中に招いて、椅子を勧める。サラは憂い顔で、ユウキが内心で苦手に思っていたいつもの彼女とは違って見えた。
「ユウキ様の過去をお聞きしたので、私も話したくなったのです。どうか、聞いていただけませんか?」
その気弱げな表情にドキリとするユウキ。自信に満ちたいつもの表情は仮面だったのだと、彼にも分かった。
サラにとって今から口にすることは、誰にも話した事のない心の闇。それを知って彼がどう反応するのかが怖かったけれど、もう一度だけ誰かを信じてみたくなったのだ。
それはどんな目に遭っている時でも、女性に優しくするというスタンスを崩さないユウキに曲がらない心を見たからだ。ユウキに恋をしてしまったのだ。
「私は、かつて愛を誓った殿方がいました」
サラは静かに話し始める。
まだサラが十三歳の時、一人の少年と恋をした。彼女は彼となら生涯を共にし、支え合って生きていけるだろうと思っていた。彼もそう言ってくれた。ただ、ひとつだけ隠していた事があったのだ。
ある日、当然のように二人は逢瀬を重ねた末に褥を共にした。初めて肌を重ね繋がった時の心地よさはサラにとっては得難い幸せだった。
彼なら自分を受け入れてくれる。自分も彼をすべて受け入れる覚悟が出来ていた。
そして、サラは告げてしまった。自分が王族であるという事を、平民の彼に。
当時は見聞を広げ魔法への理解を深めるためにも、彼女は王都の学園に通っていた。そこは出身や身分を問わず優秀な者だけが学ぶ国内最高の学園で、二人は学友だった。
魔法の素養が高く、将来は国のために身を捧げる事が確定していたサラにとって、それは最後の自由な時期だった。卒業後は王族として、優秀な魔法使いとして生きるだろう。
優秀であろうが、所詮はただの人間。その重責に潰されそうになる事も多かった。それでも自分でその道を選び、歩み続けるだけの強い意志を彼女は持っていた。
だから生涯を共にする伴侶も、心から愛した相手である彼を選んだ。身分の差を認めさせるのが険しい道であっても、真摯に向き合えば叶うのだと。少女は信じていたのだ。
だが、優秀ではあったが平民だった彼には、王族と言う重責を持つ彼女を受け入れるのは難しかった。彼はもっとささやかな人生を送りたかった。
もちろんサラへの愛はあった。
それでも、揺らいでしまったのだ。怯え、竦んでしまった。結果として口から出た言葉は別離の音だ。
サラには彼が苦しんだこともしっかり分かっていた。彼が悪いわけでは無い。ただ、自分と違い弱かっただけなのだ。
そして、それからユウキが現れるまで五年もの時間が過ぎた。
独りで涙に濡れて過ごし。
人々と知識の探求に費やし。
己の隙間を埋めるべく、誰かの面影を追いかけて無垢な少年たちと肌を重ねた。
皮肉なことに、少年たちも彼女の正体を知ればそれを口外することは無かった。それに、彼女があの日の最高な夜と同じ心地になることは一度もなかった。
「私の行いは、軽蔑されるものでしょう。人を巻き込んだ自傷行為だったのかもしれません」
全てを訥々と語り切り、サラは微笑む。その包容力のある優しげな……でもどこか寂しそうな面持ちは、やはりユウキにお姉さんを思い出させてしまう。
「ユウキ様と貴方を傷付けた女性。そして、私と彼。道をどこかで間違えてしまいましたが、互いに大切に想っていました。愛していました。それだけは忘れないでくださいませ」
その瞳がユウキの視線と絡み合う。
悲しい過去の蓋を開けたからか、サラの瞳は微かに濡れていた。白い肌はほんのりと赤らんでいて、柔らかな女性特有の香りがユウキにも感じられた。
「たとえ、その結果が傷付け合った終わりでも。恋しく想い、愛おしく想いました」
ユウキを刺激しないように目を合わせたまま、慎重に近付いてくるサラ。
その温かく、たおやかな手が触れる。ユウキの手からも力が抜けて、サラの手が包み込む。
「ユウキ様、貴方が許してくださるまで無理強いはしません。それでも、お伝えしておきます。貴方に恋をしました。お慕い申し上げます」
ユウキは息を呑む。サラの手が震えている。彼女は今、自身の過去を乗り越えようとしている。拒絶される恐怖を知りながら、彼へと手を伸ばしたのだ。
こんなに強く、気高い女性に想われている。それがユウキには嬉しく、同時に今の自分では釣り合わないと感じた。もっと強くなりたいという想いが静かに湧き上がる。
ユウキはサラの手を握り返して頷く。
「ありがとう。俺自身、サラに返せる気持ちを自分で分からない。それに、たとえ君を好きだったとしても今の俺じゃ釣り合わない。だから、返事はもう少し待ってほしい。臆病でごめん」
「いいえ、そのお言葉だけで十分です。ユウキ様が女性と向き合えるまで、どんなに時間がかかっても待ち続けます」
そう言って花のような笑顔を見せたサラに、ユウキは救われた気がした。
もう、サラの事が怖くは無かった。
コメディは難しいです。重たい話でごめんなさい。