ユウキという少年
彼――姫野 優生と言う人間を一言で表すなら、女難であろうか。
見た目以外に何一つ美点を持たなかった男と、その男に暴力を振るわれようと裏切られようと惚れた弱みで逆らえない女がいた。
妊娠がきっかけで男に捨てられた女が苦しみぬいた末、子どもに罪は無いのだと産んだ子が優生だった。名前は父親と違い優しく生きて欲しいという切なる願い。
それでも母親は生まれた男の子に美しき父親の面影を見れば辛くなり、世間で言うところの虐待を行っていた。
それでも優生は母を恨まなかった。母は女手一つで彼を育て上げ、朝も夜も働き詰めだった。それは確かな愛の形だったと想っているのだ。
そんな、母子にとって辛い生活は、彼が十三歳の時に終わった。母が体調を崩しあっさりと亡くなったのだ。医者が言うには過労だったらしい。
自分が女の子に生まれていれば、せめて笑顔で生きられたのではないかと申し訳ない気持ちが、母への最期の言葉を『育ててくれてありがとう』ではなく『生まれてきてごめんなさい』にしてしまった。それでも誰がこの母子を責められようか。
そんな彼を支えたのは親友の少年と、近所に住む十二歳年上のお姉さんだった。小さな頃から仕事で留守がちな母に代わって優生の面倒を見てくれていたお姉さん。
彼が虐待されていることを知って真剣に心配してくれていた。そして、母親が亡くなってからお姉さんは彼を家に誘った。
そしてそれから一週間、優生はお姉さんから性的な虐待を伴う暴行を受け続けた。彼の父親譲りの美貌は優しかったお姉さんを狂わせてしまったのだ。親友が監禁されている事実を突き止めて警察に通報した時には、もう彼は女性に恐怖を覚える人間になっていた。
二年間のカウンセリングを経ても優生の深い傷は劇的な治癒は見られず、彼は奨学金を受けながら全寮制の男子校に進学した。
そうして平穏を得られるかと思えた彼の人生を、入学二年後――十七歳の時に大きく狂わせる事件が襲った。
「俺、たしか洗濯をしてた時に光が。あ、ここは……どこですか?」
「よくぞおいで下さいました勇者さま。どうか、時間がないので落ち着いて聞いていただきたい。ここは貴方さまのいた世界とは異なる世界。どうか魔王を倒していただきたいのです」
優生の足元には不気味な魔法陣。混乱する彼に声をかけたのは、ウルズラグ王国の若き女王にして天才魔法使いと呼ばれた美貌の女性。ララ・ウルズラグその人であった。
十メートル四方の部屋は物々しい鎧姿の兵が三人ほど控えていて、異邦人がララに無礼を働かないか警戒心を露わにしている。
優生を襲う既視感。見覚えのない部屋に、女性。
息が荒くなる。
心臓が喉から出そうな感覚を覚えて、胸を掻き毟る少年の姿に慌てたララは兵士が止めるのも構わず、彼に駆け寄った。駆け寄ってしまった。
「――お、俺に近づくなっ!」
必死の形相で迫る女性。優生は耐えられなかった。久しぶりの衝撃に、恐怖に意識が白く染め上げられ、彼は気絶した。
ますます慌てる彼女は、召喚の不具合を疑い嘆きながら彼を介抱しようと襟を緩めてやる。
「この少年は……いったい……?」
彼女の目に映ったのは白い肌に残る醜い古傷の数々。
こうして優生――勇者ユウキの人生は三度目の女難を迎えた。
「ええ、どうやら外傷は全て古いもので大事ないですね。他に異常も見られませんし急な事に精神的なダメージを受けての事かと。一応は、ボクひとりでお話をしてみて、落ち着いたようでしたらすぐにお連れしますので」
「わかりました。どうかよろしくお願いしますエイル」
清潔な空気の漂う医務室。消毒と治癒力を高める薬草の匂いが常に満ちている部屋で、若干十四歳にして国一番と称される治癒術師――エイルは不安げな女王を送り出す。
ベッドには異界より召喚された勇者さま。
外見はやや色白な優男。時々なにかにうなされては眉をしかめているが、女性から見ればさぞ色気のあることだろう。艶やかな黒髪は短く切られていて清潔そうだ。シーツを掴んでいる指は長く体はしっかりと引き締まっている。
美形だなとエイルは感心する。
対するエイルといえば、柔らかな桃色のショートヘア。大きめな青の瞳は愛嬌があり華奢な体は触れれば折れそうだ。昔から運動は苦手で身長も目の前の少年と比べれば二十センチ以上は低いだろう。
城内の男性たちから向けられる視線はエイルにとって不愉快でしかないが、裏で美少女だと言われていることは本人も知っていた。どうにかその認識を払拭したいとも思っている。
そんな事をつらつらと考えているエイルの目の前で、ゆっくりと優生が目を開く。
刺激しないように数歩の距離を保ったまま、エイルは努めて優しげな声をかける。この声に癒されたいファンが数十人もいるのだから騎士団の質も知れるというものだ、とエイルは内心で罵る。
優生はまず目が覚めてベッドに居る事を認識する。次に目の前のエイルを見て顔を強張らせ、自分が上着を脱がされていたことに気付いてシーツで体を隠しながら泣きそうになる。
エイルは不思議な反応に首を傾げつつ優しく諭す。
「どうか安心してください。貴方を傷付ける者はここに居ません。ボクはエイルと言います。貴方の名前を聞いてもいいですか?」
噛んで含めるような、ゆったりとしたエイルの言葉に優生は少しだけ落ち着いて頷く。
「俺は……優生って言います。あの、ここはどこですか?」
不安げな彼を安心させるために、花のような笑顔を咲かせて近付くエイル。
「ユウキさんですか。いいお名前ですね。どうか落ち着いて聞いてほしいのですが――」
「――やめろっ! 俺に近づかないでくれ。ごめんなさい、ごめんなさい、俺は……」
一歩近づいただけで豹変するユウキにエイルは驚き、距離を取る。
「ごめんなさい、怖がらせてしまいましたか。ボクは何か悪いことをしてしまいましたか?」
「違うんだ。俺、女の人に近づかれたらどうしようもなく怖くて」
エイルは涙声で放たれたその言葉に首を傾げた後、プルプルと怒りを全身に漲らせて一気に距離を詰めた。
女性恐怖症。勇者としては不安が残るとしても許せる。こんなに優しくしているのに委縮しきって怯えるのも、許した。だけど、エイルにはひとつだけ許せないことがあった。
「ふざっけるな! ボクは男だっ!」
「え?」
べちりと軟弱なエイル少年の拳がユウキの頬を打ち、彼は目を瞬かせたのであった。
そこからは話が早かった。エイルが説明したのは、ユウキは魔王に対抗するため異世界から呼ばれたこと。帰る手段は無いこと。魔王の存在が確認されてから早くも二週間が経ち、急がねばそろそろ魔物の侵攻が始まってしまいそうなことをざっくりと説明した。
「なんでそんな事に俺が……帰る手段って本当に無いのか?」
「うん、まあ質問や何かは女王様に直接してくれるかな? ボクが下手に答えてしまうと責任の所在があやふやになるので、君が落ち着いたらすぐに呼ぶ手はずになってたんだ。ちゃんと距離は保ってもらうようにボクが説明しておくし、横についてるから大丈夫だよ」
「あ……ああ。分かった」
残念ヒロインその一、男の娘ヒーラー。