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作者当てゲーム第二弾!

雪姫様の白騎士

 しんしん、しんしん。


 しんしん、しんしん、と、雪は降り積もる。


 雪の振り続ける世界は、ひどく静かだ。地面に積もった雪が音を吸収するからとか、寒さを嫌う生き物たちが巣穴で息を潜めているから、とか、多分色んな理由があるんだろう。けれどそんなことはまったくもってどうでもいいことで、ぼくはこの静けさが好きだった。


 ぼくは生まれつき体が弱くて、滅多なことでは外に出してもらえない。公爵家の令息である以上、ちょっと熱を出したり咳をしたりするだけで大事にされてしまう。そうしてぼくが体調を崩して、叱責されるのはぼくではなくて執事であったり侍女であったりあるいは使用人であったりする。公平で寛大な父様も、息子のこととなると我を失うらしい。ぼくが亡くなった母様そっくりの優しい顔立ちだったから、余計だろう。


 父様はとっくに再婚もしている。前妻そっくりぼくが溺愛されているのを義母に申し訳なく思うのだが、義母上は気丈な人で、「変に気を使われると却ってプライドに傷がつくしそういう女々しいところも含めてお慕いしているのよ」ときっぱり言うのだった。あえて父様の目の前で。


 まあそんなわけで、ぼくは領分を弁えている。どうせ体の弱いせいで食い扶持をつぶすだけの存在なのだから、出来るだけ我儘を言わないように心掛けているつもりだ。


 ただ雪が降った時だけは例外で、この時だけはぼくは我儘を言うのだった。別にお金のかかるようなことではなくて、単純にぼくの虚弱たらしい体に負担がかかることなのだけど、外に出て雪をみたいというようなことだ。


 この我儘は、ぼくが特別体調の良い時だけ許された。ただ自由に出歩けるということではなくて、やり過ぎだろうというくらい手厚く防寒を施したうえで、15歳にもなって力自慢の騎士に抱きかかえられて長くても数十分。


 昔から公爵家に仕える騎士の家系に生まれたケヴィンだって、十五の男なんかより愛らしい妹のリエラの方を抱っこしたいに決まっている。今年で二十歳になるケヴィンは、背が高くてがっしりしていて、ぼくとは正反対の精悍な若者だ。


 本当だったら、虚弱体質のお坊ちゃんの御守りより、もっと相応しい役があるだろうに、寡黙な青年騎士は文句ひとつ言わず、いつもぼくの傍らに控えている。


「ねえケヴィン。雪の上を歩きたいよ。ぎゅっ、ぎゅっ、っていう、あの感触が好きなんだ」


「いけません。お体に障ります」


「いいじゃないか。ぼくの体なんだから、ぼくの好きにしていいだろう?」


 ぼくはケヴィンの厚い胸板に頭を擦り付けて甘えて見せる。十五の男のすることじゃないけど、いつの間にか癖になっていて、ケヴィンにこうして運ばれる時、ぼくは時々こういう仕草をする。


「いけません。ニール様は今日も晩御飯をお残しになりました」


「だってしょうがないじゃないか……ぼくには量が多すぎるんだよ」


「私が同じ年の頃はあの倍は食べていました」


 ぼくが甘えて見せても、ケヴィンはちっとも揺るがなかった。ぼくはすっかり機嫌を損ねて彼の分厚い胸板に顔を埋めたまま、口を聞かなくなった。


「――雪はもうよろしいのですか?」


「よくない。もっとここにいる」


「雪など少しも見ていないではありませんか」


「ケヴィンがあったかいのがいいんだ」


「お屋敷の中の方が暖かいと存じます」


「寒い中で、ケヴィンだけあったかいのがいいんだ」


 ぼくがケヴィンにしがみ付いたままそういうと、ケヴィンはしばらく黙り込んで、それからようやく口を開いた。むっつりとした顔のまま、大きな手でぼくの頭を撫でる。


「そろそろお部屋に戻りましょう。お体が冷えて参りました」


「やだ。まだいる」


 ケヴィンは何も言わず、そのまま踵を返した、ぎゅ、ぎゅ、と、新雪を踏みしめる音だけが聞こえる。口で何か言ってもケヴィンに力で叶うはずなんてないし、ぼくも抵抗しようとは思わない。ぼくは兄のような存在の彼に、駄々をこねて困らせるのが好きで、ケヴィンがそれに何も言わないのが嬉しいのだ。


 ケヴィンといるとあったかい。ケヴィンといると安心する。


 雪の夜が好きなのは、ケヴィンのぬくもりを、より確かに感じられるからなのかも知れない。



 ***



「兄様はまた雪を見に行ってたの? いつも思うんだけど、こんな寒いのに正気なの?」


「だって、好きなんだ。すごく静かだろう、雪の夜は」


 侍女のアマンダの手を借りて濡れた服を着替えさせてもらって、ケヴィンにベッドの上に寝かせてもらう。それくらいは自分で出来るし、弟のカレルは自分でやっているのに、屋敷の人達は誰も彼もぼくに過保護だ。父様や弟達も含めて。


 弟のカレルは生意気ざかりの十三歳だ。ぼくとは腹違いの兄弟にあたる。


「俺は賑やかな方が好きだけどなぁ」


「カレル坊ちゃんと違って、ニール坊ちゃんは情緒というものを分かっていらっしゃいますからね。わたくしはニール坊ちゃんのおっしゃることも、よく分かりますわ。もちろん、賑やかなお祭りも大好きですけれどね」


 アマンダがにこにこと笑いながら言う。ケヴィンは黙って、ドアの横に立っていた。屋敷の中で何ぞするものがいるとも思えない。楽にして良いといつも言うのだが、騎士の務めだと、彼は主張して聞かない。


「ぼくだって、そりゃお祭りは見に行きたいけれど――もし途中で倒れでもしたら大騒ぎになるだろ?」


「兄様は気を使い過ぎなんだ。医者についてきてもらえば、問題ないだろ」


「そうですわねぇ。もう少し、我儘を言っても罰は当たりませんわ。カレル様は少し我儘が過ぎますけれど」


 アマンダのからかいを含んだ言葉に、カレルが「なんだよ」とむくれる。弟は既に僕より背も高くなって、日に日に男らしくたくましくなっている。知らない人が見たら、ぼくの方が弟に見えるかも知れない。同じ男として思うところがないではないが、表情豊かで素直な弟を、ぼくはとてもかわいらしいと思う。アマンダもそう思うからこそ、こんな風にからかうのだろう。


「ぼくは今のままのカレルが好きだよ。我儘も家を継いだらどうせ言ってられなくなるんだから」


「後を継いだらって……長男は兄様だろ」


 言いながら、カレルが身を乗り出す。ぼくたちの関係は、ぼくたちが思う以上に複雑だ。家を継ぐのは長男、というのが慣例である。けど、体の弱いぼくには、その適性がないのだ。


「亡くなった母様より義母上の方が家格は上だし、何よりこんな体じゃあ領主は務まらないよ」


「そんな――兄様はそれでいいの?」


「代替わりしても屋敷においてくれるなら何も言わないよ」


 引っ越しするのは大変だからね、と冗談めかして笑うと「俺が兄様を追い出したりするわけない」とカレルは泣きそうな顔で言った。


「体はぼくより大きくなったのに、カレルはずっと泣き虫だね」


 ぼくはそれを愛おしく思う。


 ――カレルの泣き虫が治る日も、ぼくはこうしていられるだろうか。


 泣き虫呼ばわりされても、カレルは抗議しない。ぼくの弟は、他のものには大人扱いされたがるくせに、ぼくには人一倍甘えたがるのだ。


「兄様、俺がちゃんと医者を手配するから、冬至のお祭りは一緒に行こう? 父上も母上もちゃんと説得するから。リエラも、街の人達だって兄様がくれば喜ぶから」


 リエラは妹だ。まだ十一歳。いや、もう十一歳かな? 義母上そっくりの、ちょっとお転婆な、かわいい妹だ。


「考えておくよ」


「考えておくよ、じゃなくて、約束! 絶対!」


 カレルが身を乗り出して、顔を近づけてくる。ぼくはその勢いに微苦笑して、「わかった、父様と義母上が首を縦に降ったらね」と答えた。カレルは、「やった!」と嬉しそうに笑った。さっきまで泣きそうな顔をしていたのに、現金なことだ。


 医者の手配も、両親を説得するのも、今後カレルが領主としての務めを果たすのに、良い訓練になるだろう。あの過保護な父様をどうやって説得するのか、見物ではある。


 カレルは決まったわけでもないのにリエラにも伝えなくちゃ、と一頻りはしゃいで、アマンダに窘められた。ぼくはにこにことそれを見ていて、ケヴィンは相変わらず黙ったまま立っている。


「ねえ、兄様。今日は一緒に寝てもいい?」


「カレル、もう十三なんだから、一人で寝れるだろう?」


 体はもうすっかりぼくより大きい癖に、カレルはとても寂しがりやだ。


「兄様は雪なのに外に出て、体が冷えてるじゃないか。一緒に寝た方があったかいよ」


「リエラが聞いたら、除け者にされたって、また拗ねるよ」


「リエラは女の子だからダメだよ!」


 駄々を捏ねはじめたカレルに、助けを求めるようにアマンダの顔を見る。彼女はかわいらしくて仕方ないと言う風な慈しみ深い視線をぼくらに向ける。


「そんな風に騒ぐのでしたら、ニール坊ちゃんのお体に障りますから、ケヴィンに頼んでお部屋に連れ帰りますわよ。静かにしていられるのでしたら、よろしいかと思いますわ。カレル坊ちゃんの元気を、少しばかりお兄様に分けて差し上げなさいな」


 アマンダはにこにこと笑っていった。彼女はぼくにも甘いけれど、同じくらいカレルやリエラにも甘い。――彼女は子供の産めない体なのだ。彼女にしてみれば、ぼくらは我が子のようなものなのだろう。


「ねえケヴィン! ケヴィンも一緒に寝よう!」


 アマンダの忠告も聞かず、カレルははしゃいで言った。ケヴィンは眉ひとつ動かさず答えた。


「残念ながらカレル様。私は寝相が悪いので、お二人を潰してしまいます」


 真面目くさった顔で言った。ケヴィンは冗談なんて言わない。本当に寝相が悪いのだろう。毎朝シーツをぐちゃぐちゃにしている彼の寝起きを想像すると、笑いがこみ上げて来た。



***



 妹のリエラの婚約が決まったのは、冬至のお祭りを前にしてのことだった。


 貴族の婚約というのは、往々にして政治的意図によって決まる。ぼくの母の場合、世にも稀な恋愛結婚だったらしいけれど、大抵の場合このくらいの年で政略結婚が決まり、成人すると同時に嫁して行くことになる。リエラは十一歳だから、成人して大人になるまであと五年だ。一緒にいられるのもあと、たったの五年ということになる。


 婚約者は、わが公爵家よりも大きな家の、十七歳の青年らしい。彼だって十一歳の女の子と結婚を前提にお付き合いしろ、と言われたって困るだろうが、彼は当時のお祭りの日に、我が家に挨拶に来ることになっていた。


 家の格はあちらが上なので、本来なら我が家から挨拶に向かうのが筋なのだろうが、見聞を広めておきたい、ということらしい。ぼくは普段なら人前に顔を出さないのだけれど(そのせいで、ぼくの容姿については、色々と噂が絶えないらしい)、大事な妹を預ける相手なのだ。人となりを、自分の目で確かめたいと思った。


 とにかくそのことを告げられたリエラは、いの一番にぼくの部屋に来て、父様となぜかカレルの悪口をまくし立てて、アマンダに「お兄様のお体に障りますからほどほどに」と叱られていた。


 ケヴィンは相変わらず、何も言わずにドアの脇に突っ立っている。


「お兄様、わたし結婚なんてしたくないわ。しかも、会ったこともない六つも年上の男よ!」


「十七歳なら充分若いじゃないか。人によっては二十も三十も上のおじさんに嫁がされることもあるって言うよ」


 リエラはまだ運のいい方さ、というと、リエラはまだ納得が行かない、と言った様子で頬を膨らませていた。


「それは、わたしだって知っているわよ! でも聞けば、ライル公爵令息は、とんでもない女たらしの粗忽ものだって言うじゃない! わたしは、ニール兄様みたいな、優しくて、線の細い殿方がいいの!」


「ぼくを理想にしてもらっても困るけど――ぼくは武芸に長けた立派な男性だと聞いているけどね。女たらしというのは聞き逃せないな」


「でしょう!?」


 まあ、どんな相手であってもリエラは文句を言ったに違いない。戯曲のような恋愛に憧れる年頃なのだ。恋愛結婚なんて、平民でも珍しい。結婚は家同士の話で、大抵は親同士で話をつけるものなのだ。少女らしいと言えばそうだが、リエラはちょっと夢を見過ぎだろう。ぼくは公爵令息に少しばかり同情する。


「浮気をしないように、ぼくからもちゃんと言っておくよ。でもリエラ、貴族には貴族の務めがあるんだ。ぼくはこんな体だから、それを果たせないけれど、その分君やカレルが頑張っておくれ。かの公爵家との婚姻が成立すれば、我が家もより安泰になる。我が家が安泰になれば、この地もより繁栄するだろう。納得は行かないかも知れないけれど、納得するために、相手の良いところを探すよう努力するのも大事なことだよ。伝聞だけで、悪い奴だと決めつけるのは、よくないね」


 ぼくがそう諭すと、リエラは、「分かったわ」と渋々頷いた。大丈夫、リエラは飛び切り可愛くて強い子だ。うまくいかないわけがない。


「お兄様、わたしは怖い夢を見るの。朝起きたらお兄様がいなくなっている夢よ。わたしは後五年で、お屋敷を出ないといけないけれど、ちゃんとお兄様はいてくれるわよね?」


 もちろんだよ、とぼくは笑った。もちろん、そんな保証はない。


「ああ、嫌だわ……ライル卿が嫌な男だったらどうしよう」


 らしくもなく悲嘆にくれるリエラに、なんと言葉をかけていいものか迷っていると、いつも通りドアの脇に黙って突っ立っていたケヴィンが口を開いた。


「リエラ様が御心配をなさる必要はございません。もしニール様を悲しませるような輩であれば、私が斬って捨てます故」


 あまりの言葉に、ぼくらはぱちくりと目を瞬かせ、顔を見合わせる。しばらく黙った後、リエラが言った。


「わたしも人のことは言えないけれど、ケヴィンの『お兄様信仰』は相当ね」


 呆れたような声だった。


「そんなことより、お兄様聞いて! カレルお兄様ったら、わたしは女の子だから一緒に寝るのはダメだなんて、除け者にするのよ! 明日、ライル卿が来て正式に婚約が決まったら、一応わたしも淑女だわ。最後だから今夜はお兄様と一緒に寝てもいいでしょう?」


 リエラの話題はころころと変わる。女の子らしいと言えば、らしい。まあ、自分より体の大きくなった弟に甘えられるよりはいいので、ぼくはカレルの時よりあっさりと「いいよ」と頷いた。それから明日はどんな服を着ようかしら、とそんな話に変わって、リエラは案外、婚約を嫌がっていないようだった。



***



 ライル卿はがっしりとした体つきの、逞しい青年だった。同じように逞しいケヴィンと違って、その面差しはどことなく甘い。女たらし、という風評もなるほど頷けるというものだ。


「これは驚きました。ニール様自らお出迎えいただけるとは――いや、噂通りお美しい方です。とても儚げで――一目では貴方が私の婚約相手かと勘違いしてしまうところでした」


「妹の前ではそのようなことはおっしゃらないでくださいね。あれはまだ子供ですが、気持ちは一人前の淑女ですから」


 相変わらず過保護な皆に想定以上の厚着をさせられて、屋敷の玄関先で、ぼくは公爵家の長子としてライル卿を出迎えていた。


 ぼくの後ろには、相変わらずケヴィンが無言で佇んでいる。


「南方からいらしたのであれば、随分寒い思いをされたでしょう。暖かいお茶を用意しておりますから、どうぞ中にお入り下さい」


 ぼくがそういうと、執事が目礼してドアを開ける。「どうぞこちらへ」とぼくはライル卿を先導する。慣れないことをしているせいか、躓きそうになると、ケヴィンが間髪入れずに支えてくれた。


「本当にお体が丈夫ではないのですね……突然の来訪でご無理をさせてしまったのでは」


「かわいい妹を預ける相手ですから、自分の目で人と成りを確かめたかったのです――などと言うと、ご不快に思われますか?」


「いえ、とんでもない。仲睦まじく、羨ましいくらいです」


「弟も妹も、いつまでも甘えん坊で、困ったものです」


「斯様に美しく、優しい兄君では、それも無理からぬことでしょう。貴方が女性であったら、私も恋をしていたかも知れません」


 その言いように、ぼくもさすがに苦笑する。


「それはさすがにほめ過ぎですよ。私は一日の大半を寝台の上で過ごしていますから、貴族としてはまったくの役立たずです。仮に女に生まれていたとしても、このような体では子も産めぬでしょう」


「そうかも知れませんな。貴方が妻では、無理をさせぬ自信がない」


「……妹はまだ子供ですので、あれの前ではそのようなことをおっしゃらないでくださいね」


 ぼくはそのように釘を刺す。この人は誰に対してもそうなのだろうか。


「肝に銘じておきます……それより――どうでしょう、我が領土に越して来られる気はありませんか? 暖かい土地で過ごした方が、お体にも良いでしょう」


「お心遣いは嬉しいのですが、私は雪の降る景色が好きなのです」


「そうですか――私の故郷では、雪は降りませんからね。とても残念だ」


 暖かい土地というのは、心惹かれないでもない。ただ南方に移動する間、体が持つか――ところで後ろに控えているケヴィンから、何か言いようのない殺気が立ち上っているような気がする。


「――これは怖いな」


 小さく、ライル卿が呟いた。ぼくはそれをはっきりと聞き取れなくて、「何か?」と問うと、「いや、なんでもありません」とライル卿は苦笑いした。



***



 ライル卿は少しばかり、軽薄なところはあるようだけど、好男子だった。身分の低い使用人にも偉ぶったことは言わず、礼儀正しく振る舞った。父様と義母上は、元々面識があったらしいから、ぼくやカレル、リエラとの面通しが主だったのだろう。もちろん、ライル卿が旅行好きで、我が街の冬至祭を見に来たというのもあるのだろうが。


 特に武芸に長けたライル卿は、同じく武芸の類が好きなカレルと気があったらしくて、二人は意気投合していた。何せこれから義理の兄弟になる相手だ。仲がいいに越したことはない。


 冬至のお祭りは、ぼくも見に行けることになった。もちろん、医者同伴という条件付きだ。ライル卿が来なければ、恐らく父様は首を縦に振らなかったろう。


 冬至のお祭りは、雪深い我が街において、数少ない娯楽だ。秋までにため込んでいた食糧を、この時ばかりは惜しげもなく振る舞う。


 体の弱いぼくは、特に冬の間はほとんど外に出ない。だから冬至のお祭りをこの目で見るのは実のところ生まれて初めてだった。街には雪で作られた像が数多く並んでいて、真っ白な景色なのにすごく華やかだ。


 何せ雪はただだ。必要なのは、像を作る労力だけ。安上がりと言えば、安上がりだろう。その光景にぼくも感動したが、ライル卿も感動したようだった。


 ライル卿の故郷は、ここよりずっと南方にあって、冬でも比較的暖かく、雪も全く積もらないらしい。興奮するのも無理からぬことだろう。


「いや、これは凄い。わざわざ足を運んだ甲斐があったというものです!」


 これはまあ、“女たらし”のライル卿らしくもない失言であった。


「それでは、わたしに会いに来たのが、ついでのようではありませんか」


 案の定、リエラは機嫌を損ねてしまった。まあ、実際ついでなのだろうけど。これを見に来たのでなければ、こんな時期にわざわざ我が街を訪れる理由がない。


 ぼくは苦笑いして、ライル卿を手招きした。屈んで下さい、と言うと、彼にそっと耳打ちする。何故か彼は顔を赤くしている。寒いからだろうか?


「あのように拗ねるということは、リエラは貴方を気に入っているのです。妹の機嫌を損ねたままにしておくなら、兄として、結婚は認められませんよ。“女たらし”のライル卿」


 そう囁いて、ぼくはにこりと微笑んだ。


 ライル卿は何故か顔を真っ赤にして、それから顔を青くした。相変わらずぼくの背後に控えているケヴィンから、また言いようのない殺気が立ち上っている。


 ライル卿はリエラに声をかけた。必死に取り成されて、リエラはどうにか機嫌を直したらしい。露店で何か買ってほしいとおねだりをしている。ライル卿はほっとしたような顔で請け負った。ライル卿は目礼し、リエラの手を引いて離れていく。あの二人はきっと、良い夫婦になれるだろう。ぼくは安心してそれを見送った。


 ところで。


「ライル卿が来てから、ケヴィンは機嫌が悪いね」


 ぼくは小さく首を傾げる。どうせ本人に聞いても、まともに答えてくれはしないので、話しかけるのは並んで歩くカレルだ。


「だってライル卿、明らかに兄様を邪な目で見てるもの」


「ライル卿一流の冗談だろう? ぼくもライル卿も、男じゃないか」


「兄様は下手な女の子より綺麗なんだからさ。そのうえ優しくて儚げで、控えめで――」


「もういいよ、恥ずかしいな。というかカレル、お前、そんな風に思ってたのか」


「みんなそう思ってるよ。兄様が恥ずかしがるから言わないだけで――まあ、ケヴィンが睨みを利かせてるから、手出ししようとする馬鹿はいないけどね、知ってる兄様? ケヴィンって、『雪姫様の白騎士』って呼ばれてるんだよ」


「なんだいそれ……まさか雪姫ってぼくのことじゃないだろうね」


 そう言って、ぼくは深く息をついた。こんなに長く外を歩いたのは久しぶりだ、少し疲れた。


 ケヴィンは何も言わず、ぼくを横抱きに抱え上げた。


「ちょ、ケヴィン! 街のみんなが見てるよ!」


「ケヴィンと兄様の『それ』は、この街の人ならみーんな知ってるよ」


 カレルはさも当然のように言った。確かに、ぼくが抱きかかえられて雪を見に庭に出ているのは、屋敷の者ならだれでもしっている。でもそれが街にまで広まっていたなんて。


「まあ、本当にお姫様みたいなものだからなぁ、兄様は。ケヴィンだって、愛想は悪いけど、ハンサムだし。絵になるよね、実際」


 カレルの軽口に、ぼくが精いっぱいの迫力で睨み付けると、カレルは肩を竦めて走って行った。カレルは時々屋敷を抜け出して、街に遊びに行っている。友人もたくさんいるのだろう。「友達見つけた、ちょっと行って来る!」と、手を振って走り出す。


 賑やかな祭りの空気の中、ぼくらは二人きりになった。


 大柄なケヴィンに抱えられて、悪目立ちしているなと自覚はしながらも、ぼくはおずおずと口を開く。


「ねえ……あのさ、ケヴィン」


「なんでしょうか」


 ケヴィンは相変わらずの仏頂面だ。ぼくの記憶する限り、彼は子供の頃からそうだった。


「ケヴィンもぼくをお姫様みたいに思ってる?」


 少し意地悪なぼくの問いかけに、ケヴィンは眉根を寄せて、しばし逡巡した後、答えた。


「貴方は私にとって、誰より大切な姫君です。初めてお会いした時から」


 真っ直ぐすぎる答えに、ぼくは顔が熱くなるのを止められなかった。熱があるのとも違う。これはなんだろう。どこにも行き場のないこの気持ちは。


「本当にぼくが女の子だったら……ケヴィンはぼくに『無理』させてくれた?」


 ぼくはケヴィンの顔を見上げた。男らしくもなく、瞳が潤んでいたかも知れない。ぼくが女の子だったら、多分ケヴィンに恋をしている、とはっきり言えたと思う。でも僕は男だから――そう思うと、泣きそうになった。


 ケヴィンは何も答えなかった。何も答えなかったけれど、ゆっくりとぼくに顔を近づけて、ほんの一瞬。ぼくの唇に、彼の唇が触れたのだった。


「ケヴィン――」


 ぼくは驚いた。ケヴィンにされたことを、ひどくすんなりと受け入れている自分に。もっとしてほしいと思っている自分に。ぼくは、無意識に甘えるような声で、彼の名前を呼んでいた。


「恐れながら、ニール様は昨夜も晩御飯を残されました」


「だってしょうがないじゃないか……ぼくには量が多すぎるんだよ」


「食べなければ、体力が付きません」


 ケヴィンはぼくを抱えたまま、賑やかな町を歩く。


「愛を交わすのは、とても体力を使うものなのですよ。まずはしっかり食事をとって、体力をお付けになってください」


 彼らしい台詞にぼくは――。


「ねえケヴィン。その言い様だと、君はほかの誰かと愛を交わしたことがあるの?」


「それは――」


 ケヴィンは正直だ。嘘をつかないし、嘘をつけない。でも今回ばかりは、その正直さが、いたくぼくの不興を買った。


「ケヴィンなんて知らない! 降ろしてよ、自分で歩ける!」


「いけません。お体に障ります」


 その後ケヴィンは、ライル卿に真珠の髪飾りと、ラピスラズリのネックレスを買ってもらって上機嫌のリエラと、たくさんの友達を伴って戻って来たカレルに、ぼくの機嫌を損ねたとしてくどくどと説教をされた。


 カレルとリエラに叱られて少ししょんぼりしたケヴィンは、ライル卿に何事か助言されて、ぼくに、ムーンストーンの髪飾りを買ってくれた。


 女物のそれを、ぼくが人前で身に付けることは生涯なかったけれど。


 一人のとき、あるいは彼に抱きかかえられて二人で雪の降る景色を見るとき。




 ぼくは彼だけのお姫様になったつもりで、それを身につけるのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 段落の使い方やレイアウトがとある作品に似ているため、先山柴太郎さんではないかと思います。
2015/02/06 12:23 匿名希望(企画参加者)
[一言] 敢えてのフィーカスさんで
2015/02/05 21:38 匿名希望(企画参加者)
[一言] 密度から言ってこれが大江戸さんじゃないのかな、と思いました
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