7・主に見棄てられた背教者と聖女
ファオは初めて与えられた任務を意外な形で頓挫した。即ち、行方不明となった貴族の許嫁である森の民の小娘、アザリアに手篭めにされたのだ。
失踪した女性を探索に行かせたら、その女性に手篭めにされて帰ってきた!しかもファオは女性だ。こんなにおかしいことはない。
しかも始末が悪いことにアザリアは各国の主だった都市を破壊しまわっていたので、国家の粋を越えた共通の敵、いわゆる人類の敵として認定、指名手配されていた。
この二人と一緒に、ヴァングと名乗る森の民の男が訪ねてきており、彼がチアノに語った旅の目的は、俄かには信じられない内容だ。
元々、華奢な森の民を、更に不健康そうに痩せこけさせたヴァングという男は、興奮した様子で、ファオがチアノに裁かれた後、アザリアを自分の故郷へ連れて帰り、浄化の儀式で中にいる魔王ごと浄化するのだ!これで全て解決だぜ!などと息巻いている。
その演技がかった姿は、その外見と不釣合いな威勢いの良い物言いのせいで、下手な喜劇より、おかしかった。
本音をいわせて貰えば、どうみても同族を救うために嘘をついてるようにしか見えなかった。
この悪い冗談の様な状況に、思わずチアノは久方ぶりに周囲の目を気にせず、腹を抱えて大笑いをしたくなってしまい口の端が歪んだ。
だがそれも、片膝をつき、必死に身を小さくし、震えながら、チアノが下す罰を待ち構えているファオを見て、堪えた笑みも次第に治まっていった。全てが事実に思えてきたからだ。
それが確信に変わった切欠は、本当に愛しあってるのか?と試してみる為に、軽い気持ちでファオに斬りつけたら、アザリアと一戦交える羽目に陥り、どちらかが倒れるまで終わらない状況になってしまった。
その時、ファオが身を挺してアザリアを庇った。その光景はチアノにとって驚くべき光景であった。
何故なら、チアノがファオを雇う前に司法神神殿から取り寄せた身上書には、非常に腕が立つが、内向的且つ、非社交的で対人関係に難ありと記録されていたからだ。
おまけに他種族に対して差別的であり、特に彼女の生まれ故郷である森林王国で良く見かける森の民に対して、その傾向は顕著であった。
ファオが差別対象を守る為に、自らの意志で積極的に動き、命を投げ出そうとしたのだ。そう、まるで殉教者の様に・・・同性愛は背徳的行為であったが、アザリアへの純粋な愛が彼女を、ここまで成長させたのも事実だった。
ファオがアザリアへの愛の言葉を口にしたあたりであろうか?アザリアに妙な変化があった。アザリアが正気に返ったのか?殺気が一瞬の内に治まったのだ。二人は本当に愛し合ってるのだなとチアノには理解できた。
片や剣を振るうしか脳のない食い詰め者の女奉仕人、片や相手は世界を滅ぼしかねない女。そんな力ある者を、力では及ばない存在が押し留めた。それを成し遂げたのは種族を越えて交わした愛の力だとしか思えなかった。
教義上、チアノは同性愛を肯定するわけにはいかないが、自分が嘗て、異種族のアール・ノートに友情を感じたように異種族との交流は否定しない。
ただ、ファオをみて、アール・ノートを通して心の片隅に湧いた、信仰についての、ささやかな疑問に対する答えが見つかるような気がした。
だからこそ、ファオが戻ってきた時、奉仕人の分際で、己に恥辱を与えた者として即座に殺さなかったのだ。
だからといって、ファオを側に置くことは一筋縄にはいかなかった。
ファオ達が去った後、北方の夜空が緑に輝き、なにか大きなものが弾けたかの様な魔力的衝撃を感じ、既視感に捉われた。そう、あの時と同じ感覚・・・アール・ノートが破壊神を滅ぼした、あの時と。
その後、約束どおりファオは背教行為を犯した罪、同性愛の咎に対する裁きを受ける為に、馬鹿正直に自首してきた。
しかし、教団に正式に属していない奉仕人のファオが、同性愛に走ったところで、あまり問題にはならなかった。神殿の秘事や御業に通じてるわけでもないので、軽い追放処分、神殿周辺への立ち入り禁止と、司法神の名を口にすることを禁じるという処置だけで充分だった、普通ならば。
そう今や、ファオも普通の存在とはいえなかった。神面都市にとって彼女は、アザリアの伴侶としての疑惑が付きまとっている歩く火薬庫だった。
報告によればアザリアは自らを犠牲にして、世界を救ったらしいが、その過程で、邪教徒の手先となった各国の要人を犠牲にしたことが問題となった。
それが嘘であれば良い。ファオに偽名でも名乗らせれて生活させれば良いのだ。もし、事実が含まれていたとしたら、それを隠蔽する為に各国から、多くの不快な干渉を受けることだろう。
ファオの処遇は、評議委員会が秘密裡に開いた極秘会議で決めることになった。会議はファオの処分を巡って紛糾した。
評議会議長を初めとする地元民中心の穏健派グループが、都市の自治を維持する為にファオを神面都市から、永久追放することを提案した。
それに対して、ビゼィ率いる高司祭を中心とする武断派は、殺されることがわかってる上での弱者の追放は、処刑と変わらない人権問題だとして抗議した。
しかし、どの評議員もビゼィの本音はわかっていた。ファオを、各国に対する牽制、神面都市が周辺国に対して持つ抑止力として、管理下におくべき手札の一枚だと考えていることを。両派閥が、彼女の人権や、個人的意思の尊重など、鼻から頭にないことは明らかだった。
丸一日かけた極秘会議は無記名投票の多数決により、追放賛成が七、反対が八と、ファオを神面都市の管理下に置いて保護することが決定された。それは本人が知るところではなかった。
ファオ本人には、同姓愛以外に背教行為がないこと、それも強姦という強制であったこと、奉仕人身分であることで、更生の余地ありとして、背教者浄化委員会から保護処置がとられることが告げられた。
ヴェルナ神殿内の高司祭会議で、誰が保護するかを決めようとしていた時、チアノは会議に乗り込み自ら志願した。
会議は諸手を挙げて、この突如現われた女法皇に全てを委ねることにした。
特にビゼィ以外の高司祭評議員が、ビゼィへの牽制として大いに賛成した。また、チアノ自身から提案された、ファオを有効活用する方法も高司祭たちの賛同を得るのに大きな効果をあらわした。
それは既にチアノが保護している重要人物の警護として、彼女を使いたいという提案だった。
チアノが保護している重要人物、アルシア・モーンは神面都市の聖女と呼ばれる女性だ。
そんな彼女が何者かに暗殺された。スラム街のドブ河に遺棄されて漂っている死体を、犯罪組織の一つに発見され、犯罪組織の末端構成員が司法神本神殿に遺体を持ち込むという異常事態になった。
本神殿勤めの修道女アルシアは、手に触れた人や物から、なにかを感じ取れるらしく、その能力で、あらゆる階層の人々から、悩み、苦しみを取り除くことに尽力していた。
いつしか、神面都市の聖女と呼ばれる様になり、奇跡を行なう為に必要な魔力元素を感じ取れないのにもかかわらず、神官に昇進することができた稀有な存在だ。
この神面都市に彼女を憎む者などいないはずであった。だからこそ、この組織も、なりふり構わず遺体を運んできたのだ。世間の噂となって、神面都市の地上に住む、あらゆる住民から憎悪の対象として、つけ狙われる事態は避けるべきだから。
この下手人不明の難解な事件を解決する為に、神面都市評議委員会は思い切った手に出た。莫大な費用がかかる蘇生魔術を用いて犠牲者を生き返らせることにしたのだ。
これはアルシア・モーンが、近隣諸国に神面都市の聖女と称されるほどの人物だと名声が広まりつつあることも一因であった。
そのような人物が暗殺されたあげく迷宮入りとあっては、観光地、巡礼地、あらゆる宗教の総本山として名高い神面都市の評判は地に堕ちることは確実だからだ。
結果、アルシア・モーンが死んだ事実が消え、彼女は何者かに襲撃されたが、危うく一命を取り留めたことが史実となった。――何者かに、そう、彼女は背後から斬りつけられて、命を落としたので、犯人の姿を見てなかった。
結局、犯人はわからず仕舞いだったが、せっかく大金をかけて蘇らせた被害者を、再び犠牲にするわけにはいかず、かといって何時までも大掛かりな警備を敷くわけにも行かない。
そこで神面都市評議委員会は、同じ司法神信者で女法皇と名高いチアノの下へ、新人神官の研修としてアルシアを転属させた。態のいい厄介払いだった。
チアノの腕前なら、いつか犯人を捕らえられるだろうから、保護者にうってつけだという楽観論と、アルシアを市民と接触する部署から異動させれば、市民と触れ合えなくなった彼女は忘れられ、いずれ聖女と呼ばれなくなるだろう。そうなれば、どのような運命を辿ろうとも誰も気にしないはずだ。
これ以上、神面都市の名声を落としたくない。しかし、警備に人員を割いたり、再び蘇生させて神面都市の治安や財政を悪化するわけにもいかない。そこから熟考した末に幾つかの冷酷な提案を折衷し、対外的に穏健にした答えなのだろう。
チアノはとんだ荷物をおしつけられたなと思った。
ところがアルシアは足手まといどころか、奇跡とは違う異能を駆使し、チアノの捜査を助ける貴重な戦力となっていった。
だが、アルシアと女法皇の宮殿で生活することは、チアノにとって、少々息苦しいことであった。どうもアルシアは男性の裸に抵抗があるようなのだ。
事前に上層部から貰った経歴書には、性愛の女神の信者が産んだ喜捨子という、性愛の女神の孤児院に捧げられ育てられた過去を持っていた。
性愛の女神神殿が運営する店で下働きをしている時に、特異な才能を発揮して、司法神神殿へ移籍させられ、後に修道士となった。
とあったので、男女の裸形くらいは抵抗がないとおもわれたのだが・・・何より女法皇の宮殿で薄着でない者は外部からの侵入者とわかるから、この慣行は受け入れられると思っていたので、彼女が、軽い混乱状態に陥ったのは意外だった。
チアノは売春婦の子は売春婦と断じた、己の不明を恥じ、神に懺悔した。
一年ほど一緒に暮し、双方、精神的に限界を感じていた。また、犯人が襲撃してくる素振りもない。思い切って神殿の宿舎で暮すよう提案しようと考えてた時に、丁度、良い人物が来た。
位階的にも目立たなく、かつ年齢や立場的に一緒にいても警護しているという不自然さがなく、人並み以上の腕前を持つ女性、リン・ファオが。
チアノが過去の不祥事を不問にして飛びつくのも無理はなかった。
ファオの更生という点において、先日、チアノが目撃したフォルトゥナーテ大公から受けた辱めと、ファオが語った過去に大公から受けた陵辱を考慮すれば、男性器に嫌悪感を持つファオが、健全な恋愛――男性を愛することに至るのは、残された時間と、彼女の年齢を考えれば難しいだろう。
だが、ファオが異種族の女性アザリアと心を通わせた事実は大きい。ファオがアザリアの為に命を捨てようとした尊い行動は、チアノは本心から素晴らしいと思う。
それを司法神の教義内に治めた上での行動として昇華すれば、もっと素晴らしい行動となり、チアノ以外の教団上層部も手放しで賞賛せねばなるまい。
真の更生とは、男性と結婚することではなく、自分の様に一生を信仰に捧げ、自分がなし得なかった異種族達と、新たな絆や友情などの信頼関係を築いて、それを伝道から教勢拡大という結果に昇華させることではないのか?
だからこそ、同姓で彼女を教化し、正しい信仰に導く存在が必要であった。
まさに、アルシアは、その指導者に打ってつけの存在だ。強要された関係だったとはいえ、同性愛の罪に堕ちた背教者と、一緒に暮しても、絶対、間違いが起こらないと、浄化委員会を納得させる人物だ。
そんな二人を一緒にしたのだ。あらゆる危機は未然に防がれ、どんな間違いも起こる筈はないとチアノは断定していた。
チアノは、やがて二人が新しい世界へと切り開いていくであろう司法神教団の明るい未来を、心から期待してやまないのだ。