6.喪われし異邦の戦友も死して祀るべきか否か?
司法神本神殿にある賞罰記録帳には、こう記してある。
ラウンデル・ネルソン・・・ガンビーノ一家一斉取り締まり時に新人修道士を守りきって名誉の殉職、神官長から二階級特進、栄誉司祭長と。
イアン・ロートレックも同じだ、チアノと一緒に売春婦を殺害する狂信的な純潔主義者、イメンザ・ブーンを追ってる時のことだ。
市民の苦情を処理していたイアン神官のもとに、なんも変哲もない壺や、食料を高額に売りつけられたという苦情が殺到した。彼は、その元凶を探らんと調査していた。
彼のおかげでチアノは歪んだ考えに取り付かれたイメンザを追い詰めることができた。慈悲深くて有名な救世神の小規模な宗派を率いていたイメンザは、心の隙を悪魔に付け入られた。
イメンザは信徒を騙して資金を集め、儀式呪術により神面都市の非処女を、既婚未婚に関わらず全員抹殺しようとした。
儀式をチアノ達によって妨害されたイメンザは異形の化け物と化した。
戦い慣れていないイアンは、幼い息子を髣髴させる救世神の少年信者を身を挺して守り、妻と幼い息子を残し、名誉の殉職をとげた。後にチアノが推薦し、二階級特進、栄誉司祭となった。
―そう、マーカス、ファイド、シファール・リナ、サラトゥス、アール・ノート、ゲイボルク、アゼリア・・・みんな、死んだ。
この棚に並べられている品物は嘗て供に戦っている内に命を落とした、優秀な者達――ある意味、自分を追い抜いて『昇進』した神に近い気高き魂の持ち主達の墓標だとチアノは思っている。
彼らは皆、信仰を貫き通し、今、神面都市にいる誰よりも神の傍近く仕えている高潔な者達だ。
「へー兜以外に、籠手と刃物?槍の一部なんかもあるスね」
ミルフェが、やや反りのある槍の穂先のようなものを手に取った。
「なんか彫ってある。あらゆる童子に慈愛を捧げた森の慈母アール・ノート?えーを讃え」
「とにかく、それは使っちゃ駄目」
と、チアノはミルフェから、素早く刃物を奪い取る。
「・・・な、な、っぶないっすよ!」
この一瞬の出来事にミルフェは、青ざめた顔で抗議の声を上げようとするが、言葉にならなかった。頑丈な金属製の籠手を身につけているとはいえ、下手すれば指が切れるような代物を乱暴に奪い取ったのだ。
もし、チアノの指に傷でもつけば、ミルフェがヤン隊長に不始末を咎められるかもしれない。
そんなミルフェの気持ちを露知らず、チアノとしては何としても刃物に彫られた一文を読ませるわけにはいかなかった。ミルフェが読もうとしたのは一目で墓碑銘とわかるものだから。
ミルフェの注意を逸らさせる為に「大体、私の兜を仕舞ってるのは、そっちじゃない!その隣」と強く叱責しつつ、チアノ班共用の防具棚を右手人差し指で指し示しす。
「へい、へい、なんっスか、感じ悪ぅー」
愚痴をいいつつも素直に棚に向ったミルフェが棚を開けると・・・
「うっわ!なに、これ?カビ臭ぇー」
それは正式採用された椀の様な形の金属兜や、皮革地に金属片が取り付けられた鎧だった。これらは何も持たずに入ってきた者用の備品で、さまざまなサイズのものがある。が、大抵、自分の武具防具を持たずに入る者などいないから、ほぼ、使われることは無い。
ほぼというところがミソで、職欲しさに来た食い詰め者や、普段、武具などを持たない部署の修道士など、緊急時に使わせることがある。
それ故に、未使用新品とは違う、この微妙な使用感がカビと埃が一大勢力争いをする戦場となる素地になるのだ。
この光景に萎えたミルフェが
「むしろ、こっちのほうが験担ぎに良くありません?」
と、先程の戸棚へ未練のある視線を向けチアノに慈悲を請うた。
「命令は絶対だって、理解してるでしょ?」
「んなー、こんな綺麗なのに勿体無い。使ってナンボで・・・」
チアノの凄みも、もう遅刻が確定したと気が抜けているミルフェには通用しなかった。もう、夜勤時に遅刻の責任を取らされ、ヤンの私的制裁を受けることが、彼の頭の中では決定されているのだから。
諦めたミルフェが視線を戻すと「おっ、奥に何かあるな?」目的の物を見つけたのか、ミルフェが神殿の備品を傷つけぬよう一個づつ、丁寧に陽の下へ連行していく。
アール・ノートは東方蛮族の武具、難刀(ナンナタ?ナギナタ?)という槍のようなものを扱う腰まである長い黒髪が美しい森の民だった。
人間の二十代後半くらいの外見でありながら、すでに子供が十人もいるという長命な森の民らしい女性であった。
彼女とは23の時に、東方蛮族の武具について研究する同好の士による研究報告会で出会った。
自己紹介によると彼女は、森から消えた自分の子を捜しに生まれ故郷を離れ、街に出てきたという。
職業柄チアノが息子捜しを手伝うことになり、彼女も生活費を稼ぐためチアノの仕事を手伝った。
そんな関係を三ヶ月も続けたところ、神面都市に子供ばかり誘拐する邪教教団が現われた。邪教教団は破壊神復活を目論んでおり、破壊神の肉体を再構成するために、肉体が若い子供達を誘拐していたのだ。
チアノ達が、邪教のアジトである自然洞窟を利用した神殿へ踏み込んだ時には、肉体の八割が完成しており、生贄の子供達も残すところ二十人ばかりとなっていた。
が、その内の一人を見てアール・ノートの眼が変わった。さらわれた 彼女の息子がいたのだ。
チアノ達は破壊神に果敢に飛び掛ったが、そこは八割の力とはいえ神。あえなく蹴散らされた。
物陰に隠れて隙を覗う間に、一人、また一人と子供が捧げられ、祈りの言葉が響く、既に二人ほど殺されたのであろうか?
もう一刻の猶予も無い、こうしている間にもアール・ノートの息子も生贄にされてしまうかもしれない!だが、勝てる見込みもなかった。
意を決したようにアール・ノートは澄んだ眼でチアノを見つめながら「レヴァルティン、この森の民と死者の女王が取引した伝説のある生命樹の小枝を使って、奴を浄化します」と懐から一本の枯れた小枝を取り出した。
「これを奴の急所に突きたてれば・・・」
チアノは、 小枝をみて、一瞬、絶望した。その小枝は短かった。掌から少しはみ出る位の大きさしかなかった。
「これなら投げつければ・・・いや、槍の穂先にでも」アール・ノートは頭を振ってチアノの提案を途中で退けた。
「いえ、確実を帰す為に裂帛の気合を込め、全身全霊を持って、禍々しき者に突き立て、現世から放逐するのです」と答えた。
「そんなことしたら死ぬぞ」みすみす部下を死地に向わせてはならんとばかりチアノは上官として、死に急ぐ 森の娘を止めようと一歩踏み出そうとするが、彼女は軽やかに身を躱し、彼方へと眼差しを捧げる。破壊の化身が絶えることのない食欲と、未だ顕現できぬ肉体からくる止まぬ苦痛を慰め癒す唸り声をあげる決戦の場へ・・・彼女の眼差しは、やっと出会えた子供が捕らわれている近くて遠い遥か彼方を見据えていた。
「いずれは誰かがやらねばならない・・・そんな時なのです」と言い残し、目標に向って駆け出していく。
母が子を守る為に命を投げ出す姿にチアノは気圧され慄然とした。だが、遅れる訳にはいかない!「穢れ多し救い難き輩どもよ!女法皇が司法神の名において裁いてくれるっ!・・・さあっ!劣り醜き罪深き身形を我が神の下へ晒すがいい!」痛みを消す為に阿片を吸引したのであろう狂信徒達があげる唸り声と、地響きのような足音が、こちらへ寄せて来るのを確認すると、チアノは狂信徒達を、更に煽り、吼え立てた!
「どうしたあっ!?早くしないか!此処まで至れば、天つ空々を穢さぬよう、華麗なる我が剣技によって、陽の光が届かぬ内に打ち砕き滅ぼしてくれようぞ!」疾風の様に速く、陰の様に静かに駆けて行く 彼女を助けるには、チアノが速やかに生き残っているであろう二十名ほどの狂信徒全員を引き受けるという陽動をせねばならなかった!
痛みを感じぬ狂信徒達は片手、片足どころか、首を斬り飛ばされても襲ってくる難敵であった。それを、見事、二十名全員、五体生き別れにし退けたチアノは、激闘の疲れを癒すのも忘れ、アール・ノートの姿を求めて必死に駆け出した。
狂信徒達と戦っている最中、何か大いなるモノが喪われるのを感じた。この魔力的な感覚は、多分、彼女によって破壊神が浄化されたのだろうと思われた。のだが、なにか首筋あたりに油でも垂らされた様な不快な感触がチアノを苛ませ、心の底にある不安をあおった。
その不安を払拭する為に駆け出したチアノは一つの真実に辿りついた。
神殿の奥には生贄を捧げる高台があり、それに寄り添う様に、先程、突入した時にはなかった、若々しい割りに洞窟の天井を突き抜けるような大木があった。
高台の頂上にある台座は四隅を篝火に囲まれおり、子供が数人いるのが視認できたが降りて来る気配がなかった。「アァール・ノートッ!」勝利を手にした戦友を求め、チアノが叫ぶ。
「アールゥ・ノートッツ!」が、再び、その名を口にした時、微かな呻き声が聞こえ、そちらに視線を向ければ大木と高台の間の暗がりに、寝そべっているような姿が見えた。
チアノは駆け寄ると美しい彼女の上半身を抱き起こす。
「生きてたか・・・子供は、貴方の子供はどうしたの!?」
アール・ノートは力なく頭を振ると「隊長こそ、無事でなによ・・・」
「喋らなくていい。傷の傷の手当を・・・」また、アール・ノートは力なく頭を振る「何を言っている!傷はあさ」チアノはアール・ノートが指差すを方を見て絶句した。アール・ノートは左胸から下を綺麗に喪っていた。
「チアノ隊長・・・供に戦った日々は・・・い人生で瞬きより短い・・・」
「諦めるな!神殿から誰か連れてきて活動を止めれば、治療も間に」
捲し立てるチアノに構わずアール・ノートは最後の言葉を紡ぎ続ける「間でしたが・・・今・・・生きてきた・・・」
「馬鹿!しゃべるなって命令しているだろう!」口調とは裏腹に涙が止まらなかった。薄々、頭よりも身体の方が彼女の先が永くないことを察知したのだ。そんなチアノの我がままにアール・ノートは母親の様に穏やかな微笑を浮かべながら「無茶いわ・・・中・・・で最高の日々・・・」その長き生涯を終えた。異種族の友の死は初めてであった。そのせいなのか、後悔の涙と、はかない者に捧ぐ嘆きの吼声が口から溢れて留まることがなかった。
これは生き残った子供達六名が心配してチアノの側へ、降りてくるまで続いた。
「・・ッ!」左手に刺激を感じ、過去の微睡みから引き戻された。左手を見やると過去を思い出し感情が高ぶったのか、思わず草を薙ぐような形の刃を強く握ってしまったせいで、微細かな刀傷ができた。
これをミルフェにみられたら、パニックを起こされるだろう。掌についた小さな切り傷を右手で触れながら、小声で司法神に祈り、奇跡で癒してもらう。
神官の者なら与えられぬ神の慈しみを、難なく得られるからこそ女法皇と彼女は呼ばれる。だが、女法皇と世間から呼ばれ讃えられる彼女が神官長から、司祭へ素直に転じないのは、信仰と戒律、即ち法の遵守と救いを求める者達を保護する為、惜しみなく命を捧げる彼ら優秀な先達に引け目を感じているからかもしれない。
「よっ、はっ、ほっ、オラショッツ!セイッ!セイッツ!」物思いに耽るチアノを余所にミルフェは、幾つかの装飾性のある儀礼用に使える兜を見つけ引っ張り出して、埃を落として威容を整えている。もう少し時間がかかるだろうか?
彼女の生まれた場所はわかるが、親族に連絡はつかなかった。いや、森の民は母系社会であり、生まれた子供は血族中で最長老の女性へ預けられ、己が如何なる血族に産まれついたのか、これから血族の中で、どのような生き方をせねばならないかということを教育されるという。
彼女と同じ血を引く者に連絡をつけれるだろうが、彼女自身の肉親や、兄弟姉妹を知ることは、彼女を産み落とした社会が許さなかった。
その異質な社会との出会い。そこに産まれ育ちながら、社会に抗い、自らの子供との絆を、力の限りに求めたあげく、あえなく命を散華した戦友との出会いは、それまで漠然と司法神を信仰していたチアノの死生観に、なにかをもたらした。
チアノは冷静に戦い続けながらも、激しく厳しい戦いに生き残れば生き残るほど、はっきりと言葉にはできなかったが、それを身に染みて感じていたのかもしれない。
迷わず、なにかに惜しみなく命を捧げる者達と、生き残る為に、それを怖れ避けつつも冷静に物事を対処していく自分。果たして自分の信仰は偽りなのだろうか?と。その事実に気がつかせてくれたのが異邦の戦友であるアール・ノートだったのかもしれない。
だからこそチアノは、ある女性に興味を持った。その女性とは、チアノの部下、リン・ファオと、もう一人、嘗ての聖女アルシア・モーンのことだった。