5.人物に東西はあれど、強弱に東西なく、過去においてもない。ただ歴史があるだけ・・・
左眼教区の司法神神殿内にあるチアノの執務室では、見なれない青年男性の軽薄そうな声色による愚痴の独奏が溢れかえっていた。
愚痴の奏者は、地元の者らしく、この地方独特の赤土に塗れた赤茶毛た茶髪に、肌を健康的な赤茶色に焼いた若者だ。
「あーあ、騙された騙された」
赤毛の若者が、この嘆きが部屋の外に伝われといわんばかりの大声で愚痴を口にしながら、各種報告書に目を通しているチアノが、儀礼用の鎧を身につけるのを手伝っていた。
「誰がミルフェを騙したのかしらね」
右手に持った書類から視線を逸らさずチアノが答える。
赤毛の若者の名は、アミドル・フェイ・クリスティン。仲間内では、ミルフェやクリスと呼ばれていた。本人はアドルと呼んで欲しいようだが、彼のことをそう呼ぶ者は皆無だった。
「ファオに会えるって聞いたから頑張ったのに、それを赤毛の年増が」
「るさい!明日になれば同じ会場に警備に着くんだから、結局会えるでしょ!!」
チアノは視線を若者に移し大声で叱責したが、ミルフェは動じる様子もなかく、チアノが身につけている背面鎧の上に胴鎧を被せ固定しながら、尚も抵抗を続ける。
「俺を利用するために都合のいいことぬかし―」
「じゃあさ、アンタも今から巡礼祭警備演習に参加しなさいよ」
チアノはミルフェから少し離れると、ミルフェの途絶えることのない愚痴を遮るように人指し指を突きつけ、文字どおり指弾した。
「い~夜勤明けで!?」
そうなのだ。夜班勤務のミルフェが、夜勤の大捕物で肉体を限界まで酷使し、疲労困憊となり、早く信徒宿舎に戻ってベッドに飛び込みたい気持ちを、ファオに会う為に抑え、チアノ達、日勤捜査班の部屋が開く前から待ち伏せしていた。
だが、待つこと数時間、そこへ現れたのはチアノだけだった。これが彼の不幸の始まりだった。
「どうせ今夜は巡礼祭のせいで、警備が厳重だから何も起こらないわ。アンタみたいな役立たずの余り物がいなくても別にどうってことないのよ」
もし、周囲に人がいれば、その役立たずに無理強いして手伝わせてる、おまえは一体なんなのかと問い詰めたくなるところだろう。
「いやいや、将来有望株といって欲しいね」
この男も懲りるところがない。ここまで自信家だと本業に差支えが出てくるのではないだろうか?彼を使いこなす上司が、余程、有能なのであろう。
「どこが?居残り数人で事が足りるから役立たずを放出しただけじゃない」
相変わらずチアノは容赦ない。しかし、ミルフェは、それをチチチと舌を鳴らしながら人差し指を振りつつ軽く受け流し、ニヤリと余裕の笑みを浮かべる。
「そこが甘いなチアノさん、甘いよ。なんたって女王だぜ。あの偉大な死者の女王の警備だぜ。こんな気高い仕事、あんな粗野で卑しい奴らには勤まるわけが」
「それ、ヤン隊長に伝えとくわ」
「なっ・・・な、な、ちょっとまった!ちょっとまった!」
ミルフェが怖れるのも無理はない。彼の上司、右目教区の神官長ヤンは、常に金属全身鎧を身に纏い、あらゆる悪に鉄槌をくだす無慈悲な鉄化面の御使いとして咎人達から恐れられていた。
ヤンの素顔を知る者は少ない。正義を貫く為に、盗っ人の疑いをかけられた罪のない少女を救った時に、気が動転した少女に顔面を切り裂かれたとか、妹を救うために顔を焼かれたなどと、多種多様な噂が囁かれているが真実は誰も知らない。
はっきりとしているのは、彼は司法神の教義教則を鉄の信条として抱いており、勤勉、誠実、実直であり、司法神神殿に係わる全ての公務は、民衆への神聖な奉仕であると考えていた。また、彼の姿勢にそぐわぬ者を激しく嫌悪した。
もし、ミルフェの軽口が耳に入れば、相手の身分によって勤務態度を変える不届き者として反吐が出るくらい、いや、血反吐を吐かせるぐらい償いをさせることは明白だ。
自分の部下だからといって、手加減や容赦をする人物ではない。それは不正になるからだ。彼が無慈悲な鉄化面の御使いと呼ばれる一因でもある。
「冗談よ。それより口じゃなくて、ちゃんと手を動かしなさいよ」
「へいへい・・・」
余程、脅しが効いたのか、ミルフェは―チェッ冗談キツイぜとボソッと呟いた後、素直に作業を再開する。しかし、ミルフェは愚痴や軽口を叩きつつも、ちゃんと作業を進めており、喉当てをとりつけると、残すところは兜のみとなった。
「で、姐さん。兜はどこにあるんです」
ミルフェは遠く見るように額に掌を当てながら辺りを見渡すが、最後を締める一品、兜が見つからなかった。
「さて、どれにしましょうか・・・んーまだ、決まらないのよ」
「マジッすか?早く帰りたいんですけど!!」
ミルフェが、もう限界だといわんばかりに答える。
「別に拘りがあるわけじゃないし、どれも重いから、あんまり気乗りしないのよ」
「どれも同じッしょ!大体、重いの嫌なら、どれも軽くすればいんじゃないスか?あの目無し兜みたいに」
女法皇の兜は独特の形状をしており、神面都市で司法神に仕える者で知らない者はいないだろう。
一見、変哲もない兜だが、外見上、奇妙な点が一つだけある。兜が守ることが出来ない唯一の弱点、眼を攻撃されないように目出し穴が存在しないのだ。
その特異な形状と恐るべき力を秘めた兜は、一時期、正式な装備として採用されかけた事もあったのだ。
人は問う、乱戦で、兜や鎧の僅かな隙間を狙って正確な一撃を繰り出す者などいるのか?刃も通さない細かな穴を塞ぎ、視界を失ってまで防がなければならないほどのものかと?
鎧の継ぎ目や覗き穴などの隙間に滑り込ませる事に対処するには、金属や鎧の合わせ目や、覗き穴の大きさ、形などを工夫すれば事足りた。
それすらも破り、相手の眼を!それを突き越えて脳を!破壊するように刃を叩っこんで来る者がいる。そんな手練がチアノの部下にもいる、リン・ファオだ。
例え神業的技量が必要な行為であるとしても、ファオという、それを行なえる者が身近にいる以上、防ぐ手立てを講じねばなるまい。
彼女にいわせれば自分以上の腕前を持つ人間なぞ、幾人でもいるということなのだから。
しかし、神業といえど限界があるはず。その限界とは、一体どれほどのものか?と興味をもって、死体に鎧を着込ませ、試し切りを行なわせてみたところ、身動き一つせぬ死体が相手では百発百中であった。
もっとも実際は十二回程でやめさせた。これ以上やらせても、おそらく同じ結果が続くことがあきらかだからだ。
なにより、こんな退屈な状況に耐えれるほどファオは忍耐強くないとチアノには思えた。実際問題、ファオにとって、こういった単純作業は回りを忘れるほど集中できる楽しいことなのだが・・・
同じ肉体を使った単純作業でも、簡単な草むしりや土木工事などを投げ出したことがあるので、作業内容によることもあるだろう。
それ以上に、同じ結果を見続けることは、気の短い彼女には耐えがたいことであった。どうせ何度やっても同じだからだ。
後でチアノも幾度か同じ状況下で試し切りを試みてみたが、百発百中といえないまでも、かなり当てることはできたが、いざ実戦となると上手くはいかなかった。
だが、もっと凄まじい技を披露する者が現われた。生粋の東方蛮族のディアモント・サスラノである。
彼は怪鳥のような奇声を上げると同時に東方蛮刀を天高く振り上げ、虚空に舞い上がったと思えば、一瞬にして相手の面前に降り立った。いや、降り立ったのではない、斬りつけたのだ。
彼の相手をしていた犯罪者の頭部は厚い金属の兜に守られていたが、己が主を護り切れなかった。分厚い金属の塊が二つ落ち、少し後に犯罪者の体も崩れ落ちた。
犯罪者は頭頂部から眉毛あたりまで両断されていたのだ、即死であった。さすがのチアノも幾ら修練を積んだところで同じ芸当はできる気はしなかったし、実際にできなかった。
己を鍛錬し、色々と書を読み研鑽し、幾度となく実戦で試してきたが、何故、自分にはあの域に到達できないのか?と思案してみた。
あの東方蛮族特有の肉体的特徴、糸の様に細い切れ長の眼をもたなければ真理を見極めれないのか?あの薄汚らしい黄色い肌を持たねば会得できない境涯なのか?
真剣に悩んだ彼女は、彼らを観察し、研究し続けた。後に研究成果を一冊の本にして残している。『東方蛮族移民における嗜好と風習の変遷』は東方蛮族史を研究している者達には、当代きっての貴重な資料となった。
何故、自分にあれらの行為が行なえないのかと二人を綿密に観察していくにつれ、同じ東方蛮族でも、移民から数世代経た者と、生粋の東方蛮族出身では、細かな嗜好の差があった。
また、物事に関する考え方も、幾分かは矯正されたがファオの人道という言葉が存在しない場所からきたような、己の命すら顧みない人命軽視的な行動は東方蛮族特有のものらしい。
同じ東方蛮族でもディアモントは、先程まで憎み会った者を賞賛したり、同好の志であった者に、いきなり斬りつけたりと、何か独特の規範が存在するのか?更に理解し難い人物であった。
身につける物も、一つ例をあげれば、両者とも兜を視界以外の何かを阻害されるとして、これを忌避し、絶対に身につけることがなかった。彼らは口を揃えて間合いが掴めなくなるという。
そこで東方で使われている、頭部を守る布当てに、金属片を織り込んだハチガネ(鉢金)なるものを与えたところ、喜んで身につけた。
だが、東方蛮族の兜を与えたところ、ディアモントは、大いに喜んだが、移民のファオは受け取らなかった。
東方の戦兜は、顔を火薬から鉛玉が放たれる烙火弩と呼ばれる銃器から守る為に、メンポオなる金属の面がついていた。これがファオの好みにあわなかったのであろう。早速、未だ小さな内戦が続く本土出身者と、戦いを忘れた移民の差がでた。
・・・結局、東方の戦兜は、幾度かの仕事上の争いで破損した。神面都市に東方の戦兜を修復できる者がいなかったのは、ディアモントにとってもチアノにとっても残念なことであった。
ただ、どのように身につけ運用するのかのを、実際に眼の辺りにしたことは勉強になったと、チアノは書き記している。
さて、そんな連中を相手にしても失明の心配がない、チアノが新人神官の頃から愛用している、通称、目無し兜。
どうやって相手を認識するのかといえば、兜を被れば熱を発している者は、温度が高ければ赤く映り、視界に捉われる。
また、無生物や、蠢く死者、幽霊など熱を発しない者や、不可視の存在が相手でも、対象が少しでも動けば、兜から魔力元素を伝って波のように発せられる微妙な振動を阻害するので、着用者に黒い影となって捕捉される。
おまけに普通の視覚で背後が見渡せるようになっていた。まさしく死角がない兜だ。とどめに特殊な金属を使っているのか?錆びることなく非常に軽かった。
こんな便利な代物、誰もが正式装備として採用されたと思うだろうが、実際は採用されなかった。
まず、コストが高かった。しかし、これはチアノの親族が製作しているので大量に注文することと、支給対象者を神官以上の者達に絞れば解決できそうな問題であった。
ただ、実際に試着してもらった時に難しい問題が発覚した。
この兜、ミルフェも実際に被ったことがあるのだが、複数の擬似視界ともいうべき新しい感覚が、同時に脳裏を駆け巡り展開される。
更に、脳へ本来の視覚情報を伝える両の眼は闇に閉ざされているのに、自分の背後を脳裏に鮮明に映し出す視覚があった。
非常に違和感のある不快な状態におかれ、ミルフェは一歩も踏み出せない内に、少し立ちくらみをおこした。率直に感想をいえば、軽い拷問にかけられているような気分だった。
この兜を試着した多くの者は、脳裏で展開される複雑かつ、緻密な情報を処理できなければ、脳が限界に達したのか、眩暈や頭痛、酷ければ嘔吐、極度の位置関係における混乱―-迷走や同士討ち――などを引き起こした。
兜の採用試験として、この兜を使いこなせる十人とファオで模擬戦をやらせてみたが、時折、己を見失ったのか立ち止まるものや、実際に動きまわると脳にかかる負担が大きいのか、頭痛など不調を訴える者が現われた。
一戦目はファオに全員が一本を取られた。二戦目開始時点で模擬戦を続けれそうな者は四人位しか残らなかった。四人位というのは、内、一人は息も絶え絶えで指差し確認をしなければ歩けない状態だ。
採用試験は兜を身につければ有利になるどころか、兜を身につけていない一人に十人が嬲り者にされるという燦燦たる結果で終わった。
そのファオも兜を身につけて戦ってみたが、一対一では問題なかったが、三対一になり、対象が増えると限界を迎え根をあげることなった。その時、ファオが毛玉を詰まらせた猫の様に兜の中へ嘔吐したことをチアノは絶対に忘れない。
この兜は、使いこなせる者が一対複数の戦いにおいて、気配をくばらねばならない背後を気にすることなく戦えることが売りであったのに、その使いこなせる者が致命的に少なかった。
むしろ、チアノの双子の妹がチアノ個人の為に作ったのだ。やはり、不特定多数の者達が使用する用途には向かないのであろう。
話を冒頭に戻せばミルフェの返答は不適切だった。この兜は戦う為の物であって儀礼用ではない。大体、これと一対になる鎧には何者かわからぬよう所属を表すものは無かった。
要するに、格式張った場所で身につけるものではないのだが、ミルフェが早くしてくれとばかりに適当に答えたのだ。
彼が焦るのも無理はない。彼が睡魔に対抗しえる時間と、演習開始まで間に合う出発時間まで、刻一刻と限界を迎えようとしていた。
まだ、早馬、いや、そこまでしなくとも馬車でも間に合うだろう。だが、神殿の正門に馬がつながれているようには見えなかった。馬を出す時間も考えれば、こんな悠長な問答をやってるわけにはいかないのだが・・・
もう我慢の限界だ!ミルフェが儀礼用兜を求めて手近な戸棚をあけようとすると、戦場における兜に関する思索に耽っていたチアノが我に返って叫ぶ!
「やめて!そこは駄目!」
ミルフェが戸棚を開けると、そこには良く手入れされているのか、使用した痕跡が見つからないくらい綺麗な戦兜が、まるで閲兵式でもやっているかのように整列させられている。
兜はそれぞれ独特の意匠が施されており、同一人物の所持品とは思えない。もしくは、これを揃えた人物はよほどの蒐集家であることが窺われる。
良く覗きこむと、兜以外に籠手や脚当てなど、金属鎧の一部部位が僅かながらに納められていた。
「おっ、いーのあるじゃないの」
思わぬ収穫にミルフェが手を伸ばし、兜を一つ引きずり出そうとすると
「懐かしいわね」
何時の間にかチアノが足音もたてずに隣に立っていた。
「やっぱ、コレって何か由緒ある品物なんスか?」
とりあえず誤魔化す為にミルフェは軽く話題を振ってみる。
「ラウンデルのよ。昔の同僚で私が18の時に、彼は東頭教区の主計として栄転したわ」
「なんだーお宝とかじゃなくて想い出の品かー」
なんてこったいとばかりにミルフェは片手を大げさに額にあてた。
「そうよ。こっちはロートレックね。彼も私が20の時に西頭教区に司祭として栄転したわ」
「へー全部そういうのなんスか?」
「ええ、皆、偉くなっちゃってね。ここに残ってるのは、私一人だけ」
「偉大な諸先輩方っスか、みんな凄いっスね・・・」
途端に単なる中古防具が別の価値を醸し出し、彼から少しばかりの興味と、畏敬の念を引き出させる。
確かに偉大なことには変わりないのだが、チアノは一つだけミルフェに嘘をついていた。
ラウンデルという神官、いや司祭は東頭教区にはいない。勿論、ロートレックもだ。彼らは、皆、別の場所に赴任していた。