4.仮初の眠りは旅立ちの日まで永久に続き
セムトが説明するところによれば、単独で先行し、通常の日程より1週間早く神面都市に潜入した。
あらかじめ事情を話していた、幾度か、巡礼者を出したことがある信仰心の篤い豪商に頼み込み、幾人か死者を紹介してもらって、黒血真珠を一つずつ紛れ込ませた。
紹介された者達は熱心な信者ではなかった。だが、莫大な寄付金や手数料を払わずに巡礼へ出すことができるので、喜んで引き受けてくれた。協力に感謝して礼を言おうとしたら、逆に礼をいわれ、セムトが面を食らったぐらいだ。
「それから毎日、物品捜索の奇跡を用いて黒血真珠の場所を探りました。初日は棺に移す前なのか?場所を知らせる反応がありました」
やがて反応が減っていき、四日後には黒血真珠が存在することを告げる反応は全て消えた。棺にかかっている盗難防止の魔術は中身を追跡したり、捜索する魔法を遮断する。これは順調に納棺されたとみるべき現象だ。
「先着して五日後、何食わぬ顔で早く大使館についたフリをしつつ、夜間に物品追跡の奇跡を行ないましたが反応はありませんでした。この時点では、犯人は品物に手を出さなかったようです。いや、着いたばかりだから手を出せなかったのか?」
翌日、再び黒血真珠が存在することを告げる反応が現れ、それぞれ別の場所を移動しながら、夜半過ぎ、とある場所に集結し反応は消えた。
「一体、どこへ?なんのために消えたのかね?」
淡々とセムトが語る追跡劇が、核心に迫るにつれ、興が乗ったのか、トートは思わず身を乗り出して続きを促した。
「あらかじめ故買屋に顔が利く、ドゥラークという裏社会の顔役のような男に、黒血真珠の出物があれば高く買うともちかけおいたので」
セムトは、このとおりとばかりに、右手の掌で机に並んだ黒血真珠を指し示す。
「なるほど奴が買い集めたからか」
納得がいったというような顔で大使が、何度も、何度も小刻みに頷く。親衛隊長が実行した、今回の追跡劇に対して、大いに感じ入ることがあったようだ。
ややあって、はっと何かに気がついたかのように呻く。
「なんてことだ!市場に横流しされた品が戻ってきたわけか・・・」
「ええ、手元に戻った後、これに物品追跡をかけて確めたのですが、私が市場に流した物は、これに間違いありません」
親衛隊長が冷静な面持ちで突きつける現実に、大使は、緊張の余り、体が小刻みに震え、表情と心が蒼白に染まっていくことを感じた。
「やはり・・・これは・・・内部の者が起こした犯行なんだろうね」
この受け入れがたい出来事が、事実であることを親衛隊長確認するかのように、大使は、ゆっくりと言葉を切って問いかける。
「はい。やはり死者の装飾品が、横流しされてる・・・噂は事実とぉい・・・う?」
先程の淡々として口調から、打って変わって呂律が廻らなくなったセムトの顔をみれば、何時もの青黒い顔が、どす黒い顔色にかわり、額から滝のような汗を流していたように見えた。
はっきりと見えなかったのは、呂律が廻らなくなったセムトが、そのまま椅子から、横滑りに倒れてしまい、視線で追えなかったからだ。
少し遅れて大使も己の右手に違和感を感じ、突如、倒れた親衛隊長と、小刻みに痙攣し出した右手を交互に見比べた。痙攣は寒さによる震えなどではなく、身体中の血管に微かな電流が流れるかのような痺れを感じていることが原因だと気がついた。
「いかん!・・・こっ、これは・・・」
「どっどうやら毒ですな・・・感づかれ」
多分、自分の犯罪に感づかれたことを悟った犯人が、魔法の効かない部屋にいる時を狙って、料理に毒を仕込んだのだろうとセムトは推測した。
毒は色んな種類の毒があるが、勿論、毒に対して、様々な解毒剤が存在している。しかし、奇跡や魔術などの魔法によって生成された魔力薬ならば、毒の種類を問わず、解毒の魔力薬一本で済む。だが、魔力が遮断された、この部屋では魔力薬も、ただの水に過ぎない。
「誰か!誰かおらんのかーっ!」
トートが、なんとか力を振り絞り、下腹に気合を入れて、助けを求める。
床下から、立ち上がろうとして、顔を挙げたセムトが、再び体制を崩し、応接机にもたれかかりながら咽ると、ゴハッ!と吐血し、机上に血飛沫を撒き散らし紅い花を添える。
皮肉なことに、晩餐に招待したという立場上、料理を余り口にすることがなかったせいか、本来、守られるべき大使の方が、症状は軽いようだ。
「なんてことだ・・・犯人に先にまわりさ・・・れたとは・・・」
果たさなければ成らない職務を遂行できない今の状況に、親衛隊長は、絶望の涙を流し、嗄声で我が身の無力さを絶望した、その時!
応接机に倒れこんだセムトに、何者かが右肩に手をかけた。トートが応接机に伝いに歩み寄り、セムトに肩を貸したのだ。
「諦めるな!外に・・・外に出れば魔法が使える・・・」
大使、御自らの励ましに、セムトも全身に残る最後の気力を振り絞り、息も絶え絶えながらも、トートと呼吸と力を合わせて、生へ繋がる唯一の希望である扉へ、ゆっくりと・・・ゆっくりと確実に歩んでゆく・・・
その距離は長くはない。だが、この地獄からの逃避行である瀕死の二人三脚を駆け抜けようとする二人に、世界最高峰の山を登頂する時に等しい、距離と息苦しさを感じさせた。
セムトにとって短くも冗長に感じる時を過ごさせた後、二人は何とか魔力元素の通う場所に逃げ出すことができた。
命がけの二人には終着点に辿り着いた喚声を挙げる暇もなかった。トートはセムトを支える手を離すと、そのまま床に崩れ落ちるセムトを凝視しながら、壁にもたれかかった。
「待ってろ!生命活動を停めれば・・・毒もまわらん、誰かが助けに・・・」
仮死の奇跡は、この奇跡を受け入れた対象者のあらゆる生命活動を停止させ、通常の手段では傷つけられないように肉体を守護する。
この奇跡を用いれば、毒や病の進行を止めることができる。あらゆる建物の崩壊など危機的状況を防げるかもしれない。但し、第三者が、この奇跡を解除せねば対象者は二度と目覚めることはないのだが。
セムトを激励しながら、彼を救うために仮死の奇跡を発現しようとする。震える指を押さえつつ、なんとか印を結び、精神を集中させようとするが、毒が廻りつつあるせいか、なかなか上手くいかないようだ。
そうしてる間に、セムトは身を捩り、なんとか仰向けになり、天に向って告解するかのように唇を震わせながら言葉を紡ぎだす。
「すみません・・・まきこんでしま・・・」
本来ならば、自分が女王の代理である大使を守るべき立場なのに、不用意に薦められるままに多く食べたのがいけなった。
例え、久しぶりの郷土料理とはいえ、節度を保ち過食に奔らなければ、この様な事態を招かなかったのだという自責の念が、彼の心身を責め立てているのか、消耗が激しく見えた。
「なにを言う!命は・・・全ての臣民の命は・・・女王のものだ!!」
ふんっと鼻から、トートが気合を発すると同時に、まるで時が止まったかのようにセムトが、一瞬、硬直した後、寝入るかのように、ゆっくりと瞼を閉じてゆく・・・
それと同時に、両手両足も直立不動のごとく爪先までピンと伸びてゆく。トートが放った仮死の奇跡を受け入れたセムトのあらゆる生命活動が停止したのだ。
それを見届けたたか、いなや、トートは懐から小瓶を急いで取り出し、一気に中身を飲み干した。先程の落ち着きもどこへやら、その周章狼狽振りは、既に空になっている小瓶から、一滴も逃さんと、すする音が聞こえるぐらいだ。
予断を許さない状況であったということが、中身を必死に吸い出そうとする彼の浅ましい姿から、覗えた。
「フーッ、少量とはいえ危なかった・・・」
体の痺れが取れたのだろう。一息つき、トートは壁を背にしながら、腰が抜けたかの様に身体を崩した。
暫くして花崗岩の双子が、正方形の大人が一人、入るくらい大きさの入れ物を載せた台車を押しながら、ゆったりと、まるで何事もなかったかのようにやってくる。双子は、一瞥して異様な事態とわかる、この状況を意に介してない様だ。
「「トート様、ご無事で?」」
メンチュとモンチュが双子らしく声を揃えて問いかけた。
トートは立ち上がり、二人に軽く頷いて返事をすると
「喋ってる暇はない。棺に納めて、さっさと運ぶぞ」
この正方形の入れ物は棺のようだ。メンチュが手際よく、空の棺に入るようにセムトの体を膝を抱えるような姿勢にして棺につめこむと、まってましたとばかりにモンチュが棺の上蓋を閉じた。
双子のよって棺の留め金が全て降ろされた後、トートが施錠の奇跡であろうか?なにごとか唱えてゆく。
それが終わると、モンチュが上蓋の片隅にある空気穴であろうか?丸い小蓋を開けた。両手に瓶を抱えたメンチュが、棺の上蓋にある丸口の空気穴らしきところに、瓶の中身を注いでいく・・・空気穴ではなく注ぎ口のようだ。
「今日だけはしくじるなよ。清掃液が体につけば大変な事になるぞ」
「大丈夫ですよ。物を何度も取り出してまさぁ」
トートの心配をなだめるかのように軽口を叩くメンチュの額に汗粒が一つ光る。
清掃液とは、古来から伝わる門外不出の秘法によって精製される特殊な香油だ。これに浸された巡礼者は、神前に出た時に、佳事も悪事も包み隠せぬよう、全てを曝け出させる為に、貴金属を残し一糸まとわぬ姿、皮膚も肉体も融けた白い骨身だけ残した平等な姿に戻される。
このような姿にされるのだから、女王の巡礼と供に故郷へ戻ってきても見分けがつかなくて困るだろうと、いつしか巡礼者に貴金属の装飾品を身につけさせるようになった。
この貴金属を身につけさせる理由には、地方によって諸説あり、地獄の渡し守などに渡す賄賂だとか、女王の巡礼と供に故郷へ戻ってきた魂が、故郷の地から一族が去った。または最悪の場合、滅びていたとしても楽しく過ごせるようにもたせるという伝承もある。しかしながら、巡礼者に貴金属を身につけさせるという行為は、全て、本来の女王の信仰とは関係のない俗習からきている。
この危険極まりない液体が肉体にかかった場合、被害を止めれるのは女王の聖油だけだ。これは各大使館に少数のみ割り当てられている門外不出の貴重品で―これが流出すれば棺から盗み放題となってしまうからだ―在庫数を本国直轄で厳しく管理されている。何か良からぬ企みをしている彼らにとって、これを使う事態は避けたいのであろう。
瓶に入っていた液体を、全て流し込むと、すかさずモンチュが蓋を閉める。
「「清掃液、入れ終わりました」」
双子が仲良く声を揃えて報告すると、トートは軽く頷き、注ぎ口にも同じ様に施錠の奇跡を施していく。
「よし、棺に詰めれば盗難防止の魔術のおかげで魔法で追跡できまい。一先ずの保管場所として旅立ちの間に運べ」
何故に、こうまでして手間をかけなければならないのか?横領の真相を掴んだセムトを始末するだけで容易いだろうに。
だが、そうする訳にはいかなかった。相手は死者の国ザウロニアの女王だ。殺してしまえば、巡礼祭に顔を出さぬ親衛隊長に疑問を持ち、やがて死者に問いかけ事が露見するだろう。
トートとしては、なんとしてもセムトを生きてはいないが、死んでいるわけでもない状態に陥らせる必要があったのだ。
後は女王が親衛隊長の失踪に時間と興味を割けなくなるまで待てばいい。一月、いや半年ほどまでば良いだろう。
何故なら、個別の死者への問いかけは、力の消耗が大きく、週に何度も起こせる奇跡ではない。それこそ長年の強信者で、幾つか神殿が建つぐらい献金をした者でなければ、死者の国へ旅立った者と、再び会話をすることなど無理な話だ。
こんな状況だからこそ、大使自らの命を危険に晒す様な真似をしなければならなかった。
彼ら以外の者、地元の雇われ人も帰された静かな大使館の廊下。表の親衛隊以外、敷地には誰もいないのに、暗闇の中、音を立てぬよう慎重に台車を押していく花崗岩の双子。後に続くトートも足音一つたてようとしない。
自分達が仕出かしたことに対する後ろめたさか?案外、信心深く、事が女王に露見せぬよう気をつけているのかもしれない。
一行が辿り着いた地下の一室には、同様の正方形の棺が数百個、綺麗に並べられていた。彼が旅立ちの間と呼ぶ、死者の国へ旅立つ棺を収容する納棺部屋だ。 他の棺の中に紛れ込むように花崗岩の双子が、まだ息のある、ものいわぬセムトが眠る棺を、ゆりかごから赤子を降ろすかのように、優しく丁寧に置く。まるで中の者が目覚めないように。
トートが手で棺の留め金が、ちゃんと留まってるか確認し、よしとばかりに頷くと、花崗岩の双子にむかって
「明日の巡礼際予行中に屋敷内は空になる。その隙に私の部屋に移せ。隠し場所を用意しておく」
「「ハッ!」」
花崗岩の双子達が返事をし、颯爽と部屋から出ていく。
「ま、今日のところは、ここでよかろう。ゆっくり休みたまえ、親衛隊長君」
セムトは、トートが仮初の眠りについている棺に向って微笑む。今までの笑みとは違い、全てが終わり安堵からくる、心からの笑みだ。
さて、これから忙しくなるとトートは思った。自分達をコソコソと嗅ぎまわる者が消えたのだ。安心して取引を再開できるわけだが、油断は禁物だ。今まで溜め込んだ品物と、棺を隠匿する場所を考えねばなるまい。品物は自分の執務室で良いとして、棺は暫く、たらい回しになりそうだと一人言ちていたが、決心がついたのか、親衛隊長が眠る棺へ
「じゃあなセムト。短い付き合いだったな」と惜別の言葉を言い残して部屋から去っていった。
その遠ざかる足音は、セムトがザウロニアに抱いた正義と忠誠心から、早く遠ざかりたいかのように足早で、酷く間隔が短かいものであった。