3.久方ぶりの晩餐は判断を鈍らせるほど甘美で芳醇だ
花崗岩の双子が退出した後、トートが手ずから運んできた料理は、ザウロニアの郷土料理ではなく、神面都市の食材を活かした土着料理だった。
それは神面都市にやって来て幾ばくも経たないであろうセムトにとって、初めて食するものだったが、口に合わないものではなく、いや、寧ろ驚くほど美味で、どこか懐かしい感じのする味付けであった。
このあたりの料理は、神面都市に辿り着く迄に幾度か宿を取る必要があった時に食べてみたが、その殆ど――酢や香辛料が多く入ったスープや煮物、極めつけは肉と一緒に調理された果物など――は、彼らの口にあうものではなかった。そういった経緯があったので、この一品に対する驚きは殊更だ。
「ここの土着料理が、こんなに美味いとは・・・」
「うむ、雇った料理番に我が国の郷土料理は、食材が埋まるほど塩を振るのが隠し味でなと申し付けてあってな」
と、塩を雪に見立てた、母国に伝わる古い冗談を言うや否やトートは呵呵大笑する。大して面白くもない冗談だが、酒のせいか?それとも久しぶりに聞いた母国の古い云いまわしにつられたのかセムトも声を出して笑いだしてしまった。少し落ち着いたところでトートは話を続ける。
「そうはいっても、当初は一筋縄にはいかなんだ。口に合うようになったのは半年前くらいでね。やはり、我が地方にある香草と似たような味付けができる植物を見つけるのが鍵だったよ」
トートは一息入れると、グラスを軽く仰いだ。潤滑油を注がれ、滑らかになったトートの口が、興味の眼差しをむけるセムトに語り続ける。
「神面都市は名だたる交易都市でもあるから、なんでも揃うといわれていたがね。本物は在庫が無い上に高い!いやぁ代わりになるものを見つけるのに、本当に苦労したんだよ」
「なるほど、そういうことでしたか!今宵は私のような者の為に、この様な饗宴を・・・」
「いやいや、待ちたまえ。今回の饗宴は、我々の口に本当に合うかどうか、明後日の降臨祭に向けて試した訳で」
「素晴らしいですっ!!」
-君個人をだねと続けようとするトートの言葉を親衛隊長が感激の余り発した快声にかき消す。
私よりも公を重んじる大使殿の御振舞い!一挙手一投足、仔細洩らさず女王陛下に奏上し、史官に記して頂きましょう!と、感激の余り饒舌になった親衛隊長をみて、トートは心の中で、相も変わらず暑苦しい男だ。私が宮殿に出仕してた頃と、まったく変わらんなと思いつつ苦笑いをした。
しかし、その表情は、酒と料理の味より、いや、その品--女王に捧げられるべき料理が持つ使命に酔い痴れ、熱っぽくなった忠誠心篤き熱血漢である親衛隊長の瞳には映るはずもなかった。
X X X
応接机を挟んで向き合いながら、氷結した葡萄から作られた祖国の酒を食後酒に、とりとめのない話題で語り合っていた。話題も尽き、酔いも収まってきそうな頃合を見計らったかの様に、トートが懐から封筒を取り出した。
「さて、訓練日報に挟まっていたコレを読んだのだが、二人っきりで話し合いたいとの事だが、一体、どんな用件なのかね?」
先程とは、打って変わり、大使として威厳のある、落ち着いた口調で丁寧に訪ねる。
そんな大使の問いかけに、親衛隊長は黙して答えず、懐から、小児の握りこぶし位ある包みを三つほど取り出し、無造作に机の上に置いた。
「これは?」
トートの疑問に答えるかのようにセムトは順番に包み紙を開け放ち隠された秘宝の存在を曝け出していく。
無粋な蝋引紙に包まれていたものは、深紅色に染まりながらも光を照り返すことのない、闇のような色の深さと重みをもっていた。それは、まるで罪深き咎人が流す血の如く赤黒い流れを身に纏うかの様な大粒の見事な真珠であった。
「見てのとおり、我が王国でしか取れない黒血真珠です」
セムトが指し示した机上の三つの真珠は、黒血真珠というザウロニアの特産品だった。
この血の様に赤黒く輝く真珠は、乳吸貝という北限の海で取れる貝から、稀に産出される。
乳吸貝は白色の身に乳白色の体液をもつ。真珠を除き、血液を含む全てが白い、その存在は、北方の地域によっては嫌悪忌避される。
女王も白一色であるが眼や身体に流れる血は赤い。北方に住む体毛や体表が白い生物の殆どは赤い血液を持っている。
唯一、伝説に詠われる悪魔の御使いといわれる白い血を持つ魚を除けば。しかし、悪魔の御使いが網にかかった日は海が荒れるというが、この乳吸貝は何時でも海辺でとれる貝だ。とんでもない言いがかりであった。
また、時折、身体の一部を出すのだが、そこから水死者、特に刑死した罪人の血を吸うという伝説があり、迷信深い者は、刑死した罪人の罪が重ければ重いほど、真珠の黒さに顕れると信じている。
この乳吸貝の穢れた所業が、体内で黒血真珠が作られる原因だと信じていた。しかし、その吸血行為を、はっきりと目撃した者はいないのだが・・・
一説によると、ある学者は、極寒の地だけでとれる、この貝が、古代文明が作り出した魔力で生きる人造生物であり、黒血真珠こそが魔力の源、動力源では?と予想した。
学者に寄れば体躯が大きなればなるほど、大きい動力源=大粒の黒血真珠が必要になるからというのである。また、それが、この貝の捕食行動を特定できない原因だとも。なるほど、一見に理に叶っている説ではあるが、稚貝から成体に成長した直後では、殆ど黒血真珠を見つけられないのが謎になった。学者に寄れば、まだ眼に入らない大きさだからだそうだが、当代の人々には判別がつかなかった。主に教養層に、この説は支持された。
一部の魔導士は、そんな黒血真珠の由来を聞き及び、黒血真珠が魔道に通じ闇の力を蓄えやすい品として、魔術の触媒や、魔力元素を封じ込める品に好んで使うことがあった。そんなことから、黒血真珠は宝石としても市場価値が高く、特に大粒のものは、より多くの魔力元素が蓄えられるとして魔導士達も、貴族と争うかのように之を求めたのであった。
乳吸貝自体も、観光客には甘味とコクのある味わいが人気の食材だったが、信心深い地元の者は、女王の聖性を顕す色、白と混同をさけるため、実際は透き通るような綺麗な白色なのだが、あえて乳吸貝を白濁の悪魔と呼び、蔑んでいた。何故なら、乳吸貝は北方に住む者にとって、ありふれた食材であったからだ。
ザウロニアの上流階級出身の二人は、地元で二束三文で取引される食材が、この地で何百倍もの価格で取引されていることを知り、目を飛び出さんばかり驚いたことであろう。
余談だが、この話の数十年後に書かれた北方博物誌・生物編には、研究者が乳吸貝を故郷に持ち帰り、飼育した記録があり、それによれば乳吸貝を魔力が断たれた環境で飼育してみたが、やはり吸血行為を為すというのは伝説であった。管から水を吸っているようであった。
夏場に水温の上昇により多くの個体が死んだので、近くの鍾乳洞に場所を移して飼育を続けた結果、乳白色の体液と血を固めたような黒血真珠は、相い変わらず採取できた。
即ち、黒血真珠は、この生物の魔力に寄るものではなく、生物学的な特徴な一つなのだろう。時を経た黒血真珠が、砂の様に崩れる真珠と違い、赤錆の様な手触りで崩れることから、北方博物誌の編者であるプロフ・ゲイボルクは、鉄の扱いに長けた鉄の民出身らしく、血液に含まれる鉄が、何らかの形で蓄積したのだろうと推論した。その結論に至った理由を、寒い北方では、他の物質より冷気を伝えやすい鉄は不要だからだと看破した。
そんな価値のある大粒の黒血真珠が三つもでてきたのだ。トートが驚き唖然とするのも無理はなかった。
「これは・・・一体、どうしたのかね?」
狼狽するトートを臆面も気にすることもなく、務めて冷静にセムトは答えた。
「私が、最近、来訪した新たな巡礼者達の棺に紛れ込ませておきました」
「一体、どうしてこんな真似を?」
セムトは姿勢を少し前傾に頭を低くしながら、右手でトートに向い手招きをする。トートが緊張の面持ちで同じ姿勢をとり、頭を近づけると、先程とは打って変わった口調で
「最近、妙な噂を聞きつけまして、巡礼者達の装飾品が市場に横流しされていると」と、囁き声で答えた。
例え、魔術による盗聴が不可能な部屋とはいえ、大声で話せば、廊下から階上階下に至るまで密偵や暗殺者が気配を消して、聞き耳をたてれば盗み聞きすることは可能だ。
ましてや、横流し犯人は、大使館の人物かもしれないのだ。警戒するのは当然のことだ。
勿論、別の部屋に移り、魔術で室内の音を漏れないようにすることもできるが、より魔力の高い者には効かない。音が筒抜けになってしまう。この部屋であれば遠距離からの盗聴が防げるだけマシだとセムトは判断したのだろう。
「なるほど、そこで親衛隊隊長の君が女王の命令で調査したという訳か」
なるほど合点がいったという感じで、幾分、大使の表情が柔らかくなるが、親衛隊長の表情と話す内容の厳しさは変わらない。
「いえ、自分の独断です。醜聞が漏れぬよう、私、一人で調べました」
「ウム、して、その棺に納められたものが、一体どうして君の元に?」
確かに気になるのは、誰の命令か?より、横流しされた品物が、何故、親衛隊長の手元に戻っているのか?であろう。